愛知県立岡崎高等学校
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愛知県立岡崎高等学校(あいちけんりつおかざきこうとうがっこう)は、愛知県岡崎市に立地し全日制と定時制を有する高等学校。国内有数の公立進学校である。地元の人からは略して岡高(おかこう)と呼ばれている。また過去の名称から二中(にちゅう)、県高(けんこう)と呼ぶ人もいる。
愛知県立岡崎高等学校 | |
過去の名称 | 愛知県第二尋常中学校 愛知県第二中学校 愛知県立第二中学校 愛知県岡崎中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
設立 | 1896年(明治29年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 定時制 |
学科 | 普通科 |
特殊学級 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒444-0864 |
愛知県岡崎市明大寺町伝馬1 | |
電話番号 | 0564-51-0202 |
外部リンク | 岡崎高等学校 |
目次 |
[編集] 概要
最寄駅は岡崎市の中心部に近い名鉄名古屋本線東岡崎駅であるが、高校は市街とは反対方向の丘の上にあり、周囲は閑静な住宅街である。西側には自然科学研究機構の基礎生物学研究所、生理学研究所、分子科学研究所が並ぶ。
一中として知られた旭丘高等学校に続き、1896年に愛知県第二尋常中学校として始まった。体育の授業で被る帽子の二本線は二中を表した名残と言われる。(注:この帽子は2006年度現在着用されていない)
伝統的な進学校であるが、1973年に学校群制度により岡崎北高校と入学者を分け、入学の難易度は下がった。当時、入学者全員を前に、ここにいる半数は本来入学できなかったはずの人であるとの学校長の発言が大きな波紋を呼び、PTA から強く抗議を受け、教職員の多くが入れ替えとなる事態になった[要出典]。
戦前・戦後を通じて、大学進学実績では東三河地方の伝統進学校である時習館高校にはっきりと差をつけられていたが、学校群制度下の1980年代前半から(岡崎高校、岡崎北高校両校の)大学進学実績が上昇し県内屈指の進学実績を挙げるようになった要因・背景として、1981年に岡崎国立共同研究機構(現自然科学研究機構)が設立され研究者の子弟が多く通うようになったことと、ほぼ同時期に熱心な進学指導を開始したことが挙げられる。
1989年に複合選抜が始まり、近隣の学力上位層を取り戻すことにも成功し、東京大学合格者数も30~40名程度を維持するようになり、公立の進学校として日本屈指の実績を修めている。
制服は男女ともブレザーである。男子のブレザー化は周辺ではもっとも早くデザインも垢抜けていて人気がある。それに対し女子のブレザー(通称・裃)は、特徴である X字が不自然で生徒には不評である。男子は学年毎にネクタイの色が異なり、1年はえんじ、2年はベージュ、3年は紺である。
行事では、アラカルト式修学旅行、マスコットと踊りが呼び物の体育大会に特徴がある。1年次は、芸術科目の選択(音楽、美術、書道)によってクラス分けが行われ、2年次から文系か理系かの選択でクラス分けが行われる。文系、理系の生徒数はほぼ同じであるが、やや理系の人気が高い。学期内の学習内容に沿った中間試験、期末試験のほか、出題範囲を広げた実力養成考査も行われる。
2002年度から2004年度まで3年間、文部科学省より、スーパーサイエンスハイスクールに指定された。2005年度からは2年間の終了経過措置に入り、2006年度をもって指定は終了したが、2007年度から再び5年間の新規指定を受けた。
同窓会には、岡崎高校同窓会のほか、首都圏在住者向けの「首都圏段戸会」と関西地区の「矢作会」がある。
2006年、一部生徒の必修科目履修不足が発覚。電話などによる調査には「問題ない」と回答していたが、愛知県教育委員会による立ち入り調査で発覚した。既に未履修生徒への補習は完了し、来年度以降の学習カリキュラムは改定されている。
[編集] 沿革
- 1896年 愛知県第二尋常中学校として設立
- 1899年 愛知県第二中学校と改称
- 1901年 愛知県立第二中学校と改称
- 1922年 愛知県岡崎中学校に改称
- 1929年 愛知県岡崎中学校校歌制定(現校歌)
- 1948年 学制改革により愛知県立岡崎高等学校となる
- 1957年 創立60周年記念式典挙行
- 1966年 創立70周年記念式典挙行、講堂兼体育館竣工
- 1973年 学校群制度により岡崎北高校と入学者を分けるようになる
- 1976年 創立80周年記念式典挙行
- 1986年 創立90周年記念式典挙行、校歌碑及び尾崎士郎記念碑設置
- 1989年 複合選抜により学校群制度が終わる
- 1996年 創立100周年記念式典挙行
- 2006年 創立110周年記念式典挙行(卒業生でもあるトヨタ自動車・渡辺捷昭社長が講演を行う)
[編集] 教育目標
高い知性、豊かな情操、たくましい心身を兼ね備えた国家社会に有為な形成者を育成する
[編集] 校歌・応援歌
[編集] 校歌
校歌は、石井直三郎作詞、小林禮作曲である。歌は同じメロディで4番まである。1番は愛知県最高峰の段戸山と一級河川矢作川に恵まれたこの地方の美しさを称え、2番はその美しい土地で生まれた徳川家康の遺した誇りを謳い、3番はその徳川家康の遺訓として知られる「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし」を受け、遠い道であっても我慢し、助け合いながら先に進むように励まし、4番では、高い理想を持って進むようにという内容である。それぞれの詞は前の言葉を受けて連なり、徳川家康も具体的に名は出さずに「かの英雄」と表現したり、岡崎高校の名も登場しないなど、全体的に控えめな表現を用いている。しかし、そこには、高校名など出さずとも、岡崎高校の卒業生であることが伝わるよう、地域の代表として岡崎高校が広く知られるほどに卒業後に各分野で活躍して欲しいという願いが込められている。
[編集] 応援歌
沢山の歌があるが、1990年頃には既に「われら若駒」くらいしか歌われなくなっていた。
- われら若駒
- 作詞:久野 保佑、補作:日比野 義弘、作曲:近藤惠子
- 岡崎高校生徒を若駒、若鮎、若鷹に喩えた歌
[編集] 主な行事
[編集] 全日制
- 新入生歓迎会(4月)
- 球技大会(5月)
- 1年オリエンテーション合宿(5月)
- 入学できた嬉しさが残っているのか盛り上がる。
- 3年遠足(5月)
- 修学旅行(5月)
- 芸術鑑賞会(7月)
- 1,2年水泳大会(7月)
- 今時水泳大会がある高校も珍しいが、そのことは教職員、生徒共に認識している。大会終了後に担当教師をプールへ突き落とすことが恒例となっている。
- 文化祭(9月)
- 体育大会(9月)
- 百人一首大会(1月)
- 勉強には関係ないものの非常に力を入れている。
- 予餞会(2月)
- 卒業生を送り出すための会である。
- 卒業証書授与式(3月)
- 1,2年スポーツ大会(3月)
[編集] 定時制
- 遠足(5月)
- 生活体験発表会(6月)
- 球技大会(7月)
- 修学旅行(9月)
- 3年生が対象、行き先は毎年異なる。
- 体育大会(9月)
- 文化祭(11月)
- 百人一首大会(1月)
- 卒業証書授与式(3月)
[編集] 体育大会
全日制では1年2年3年が組ごとに協力して1チームを作り、チーム単位で競争を行う。定時制でも、夕方から夜にかけて体育大会が行われる。以下は全日制についての記述である。
生徒は全員がマスコット班と踊り班とに分かれ、3年生が1、2年を指揮する形で各チームが1つのマスコットを作成し、踊りを披露する。
マスコット作成は、近くから竹を切り出すところから始まり、段ボール箱の収集、骨組作成、骨組への新聞紙貼り付け、模造紙の色塗り、模造紙貼り付けという形で進む。夕方から夜にかけて連日作成作業を行うものの、当日までに間に合わず本番当日も競技を行いながら作業することもある。作成されたマスコットは運動場を囲む形で並べられる。
踊りは、音楽にあわせて数十人が一斉に動く体操団体やシンクロ団体のような競技であり、運動場の中心で行われる。踊りの衣装は女子を中心に作成される。
3年生は異常なまでにこの行事に情熱を燃やし、当日午後の打ち上げでテンションは最高潮になるが、翌日から、学校が変わったかのように受験勉強をスタートさせる生徒も多い。
[編集] アラカルト式修学旅行
1990年頃の修学旅行は、旅行時期が2年夏、1年冬に分かれ、5つの行き先から選択できた。
病気や所用などで参加できなかった生徒は下の学年の東京文化コースに同行するという救済策もあった。
その後、冬のコースが無くなり、2005年頃は
- 広島・岡山・倉敷コース
- 萩・津和野コース
- 上野・会津若松コース … 1995年頃は、京都・奈良コース
の3つとなった。
なお、アラカルト式という名称が実際に用いられることはほとんどない。
[編集] 部活動
部活動では、掛け持ちで複数の部に参加することができる。特に応援部、書道部などは特定の時期だけ活動するので掛け持ちが主である。高校で初めて行う者が多いラグビー部、弓道部も人気がある。
- 運動部
- 野球、★ソフトテニス、卓球、バレーボール、バスケットボール、ラグビー、
- ハンドボール、陸上、体操、★水泳、柔道、剣道
- 弓道、登山、サッカー、女子ソフトボール
- 文化部
- ★弁論、★文芸、※理化、※生物、天文、数学、英語、★美術
- 書道、家庭、茶道、華道、写真、★コーラス、演劇、JRC
- 鉄道研究、囲碁、※語学、新聞、★放送、吹奏楽、応援、★スーパーサイエンス
- 同好会・準同好会
- チェス、将棋、ジャグリング
★印がついているのは、平成18年度に全国大会もしくはそれに相当する大会に出場・参加を果たした部。※印は、平成18年度活動実績のなかった部・同好会(理化部・生物部はスーパーサイエンス部にて活動)
[編集] コーラス部
コーラス部は通称岡コと呼ばれ、毎年コンクールで好成績を残し全国的に有名である。オペラ歌手としても活動を続ける近藤惠子が1968年に赴任して以来40年近く顧問として指導を続けており、定年を迎えた後も再任用された。コーラス部の卒業生を中心に組織される岡崎混声合唱団の正指揮者も務めている。小泉メールマガジンにも掲載され、世界大会での秘話が全国に知られることとなった。2006年には、NHKハイビジョンふるさと発の番組で特集され、近年注目を浴びる合唱団である。
- World Choir Games(旧名 世界合唱オリンピック)
- 1999年全日本合唱コンクールにて混声合唱1位になったことから、2000年の第1回大会への出場権が得られた。この大会では、一曲目終了と同時に拍手と歓声が沸き、4曲終了時にはスタンディングオーベーションによる拍手が鳴り止まなかったと伝えられている。以来4大会連続で本選から出場し、金賞を受賞している。かつては世界合唱オリンピックと呼ばれていたが、第4回大会(中国・厦門)の際、北京オリンピックと混同するとの理由で、オリンピックという名が正式名称から消えた。次回大会、オーストリア・グラーツ大会への出場権も獲得しているが、顧問の異動が予想され出場するかに注目される。
- 第1回(2000年)オーストリア・リンツ - 金賞・部門最優秀
- 演奏曲目:さくら、lo mi son giovienetta、さみしいと思ってしまう、Magic Songs
- 第2回(2002年)韓国・釜山 - 金賞・部門最優秀
- 演奏曲目:木曽節、Ecco mormorar l'onde、春愁三首、ソーラン節
- 第3回(2004年)ドイツ・ブレーメン - 金賞
- 演奏曲目:願い -少女のプラカード-、Sanctus、唱歌Ⅲ、追分節考
- 第4回(2006年)中国・厦門 - 金賞
- 演奏曲目:さくら、Quel angellin che canta、日向木挽唄、Leonard Dreams of His Flying Machine
- NHK全国学校音楽コンクール
- 平成18年現在、8年連続13回の全国大会出場を果たしている。現在の制度になってから、銀賞2回、銅賞2回受賞。
- 第73回(平成18年度) - 銅賞
- 課題曲:ある真夜中に 自由曲:日向木挽唄
- 第72回(平成17年度) - 銀賞
- 課題曲:風になりたい 自由曲:あい
- 第71回(平成16年度) - 銅賞
- 課題曲:新しい人に 自由曲:空に小鳥がいなくなった日
- 全日本合唱コンクール
- 4年連続の全国大会出場を果たす。平成18年度は3年ぶりに金賞を受賞。
- 第59回(平成18年度) - 金賞
- 課題曲:とむらいのあとは 自由曲:Leonardo Dreams of His Flying Machine
- 第58回(平成17年度) - 銀賞
- 課題曲:あやつり人形劇場 自由曲:i Thank You God for most this amazing day
- 第57回(平成16年度) - 銀賞
- 課題曲:樹氷と風と 自由曲:願い、私が歌う理由
[編集] スーパーサイエンス部
スーパーサイエンスハイスクール指定に伴い、平成14年度設立された部活。夏期休業中には大学の研究室を訪ね、短期集中で研究を行うこともある。化学班、物理班、生物班が活動を行っており、研究は数々の賞を受賞している。
ちなみに、生物班は Newton から取材を受け、2006年7月号(創刊300号&25周年記念号)に記事が掲載された。
[編集] 全日制と定時制
全日制と定時制では同じ教室を使うものの活動する時間帯が分かれているため、生徒同士が直接会うことはあまりない。卒業式を除いて、体育大会などの行事も別々で行われる。しかし、机に紙を残したり直接書きこむ形で文通が行われることもある。また、定時制では夕方に給食がある。
[編集] 著名な出身者
- 木村資生 - 生物学者、文化勲章、国立遺伝研名誉教授
- 大隅健一郎 - 商法学者、文化勲章、元最高裁判事、京都大学名誉教授
- 福山透 - 東京大学大学院薬学系研究科教授、Award for Creative Work in Synthetic Organic Chemistry
- 福山寛 - 東京大学大学院理学系研究科教授
- 佐口和郎 - 東京大学大学院経済学研究科教授、社会保障審議会委員
- 山本隆司 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授、行政法学者
- 内田修 - ジャズ評論家、医師
- 冨田勲 - 作曲家、日本アカデミー賞最優秀音楽賞
- 尾崎士郎 - 作家、小説『人生劇場』著者
- 近藤貞雄 - 野球選手、野球殿堂入り、元中日監督・大洋監督
- 天野彰 - 建築家、 通産省産業構造審議委員、 厚生労働省大規模災害救助研究会委員
- 黒田直樹 - 元通産省資源エネルギー庁長官
- 杉浦正健 - 衆議院議員、元法務大臣
- 杉浦ひとみ - 弁護士
- 土井真樹 - 公認会計士、衆議院議員
- 内藤正光 - 参議院議員
- 渡辺捷昭 - トヨタ自動車社長 (2005-)
- 川村貞四郎 - 山形県知事・内務省官僚、大日本インキ社長 / のち東京・日本中学へ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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