戸塚ヨットスクール
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戸塚ヨットスクール(とつかヨットスクール)は、愛知県知多郡美浜町に所在するヨットスクールである。
校名は、創始者・校長(現職)戸塚宏の名字に由来している。「横浜市戸塚区」との関連性はない。
目次 |
[編集] 概要
戸塚ヨットスクールは1977年設立の当初、一般児童・青少年向けのヨットスクールとして発足したと、支援団体の戸塚校長プロフィールには紹介されている。全寮制で訓練生は同スクール宿舎に寝泊りすることを前提としている。
スパルタ式と呼ばれる独自の指導を行い、不登校や家庭内暴力などの数多くの少年少女達を矯正させたという触れ込みで話題となる。1970年代末~1980年代は校内暴力が社会問題として度々マスメディアに取り上げられるなどしており、問題行動を起こす青少年の矯正を行えるとした同スクールも注目された。 その一方で過度の体罰による怪我人が後を絶たず、脱走を企てた訓練生もおり、美浜町長が過度の体罰を自粛するよう異例の申し入れを行った経緯もある。
戸塚校長が提唱する、「脳幹論」に基づいた、体罰を含んだ訓練手法を用いている。戸塚校長は著書や講演会において「アトピーや喘息・登校拒否・癌なども、脳幹を鍛えることによって克服できる」と主張している。
[編集] 特色
戸塚ヨットスクールでは、事件として報じられる以前、校長である戸塚自ら考案したという「かざぐるま号」と呼ばれる一般向けの小型一人乗りヨットよりも安定度の低いヨットを用いて敢えて困難な状況を作ることで、心身を鍛えることができるとしていた。
戸塚校長の著書『私が直す!』でも「かざぐるまに乗っている子供を、あえて海に落とす」とし、この極限的状況の中で自分で対処する方法を考えさせるとしている。これはヨットマンとして実績のある同校長自らの経験に基づいている訓練方法で、名古屋大学工学部機械工学を最終学歴とする戸塚校長の経験と独学的な理論に基づいている。
しかし現在、「かざぐるま号」は使われず、ウィンドサーフィンを中心に指導しているとされる。
[編集] 問題と支援・支持者
技術的なヨット操法のみを指導する一般のヨットスクールとは異なり、“ヨット操法を通じて人格を直す”事を目的にしていると言われる。
これ以外にも訓練生の死亡・傷害致死・行方不明といった事件が1980年代を通じてマスコミに取り上げられるにつれ、同スクールの方針が教育的な体罰なのか、過酷な暴行だったのかが議論の発端となり、同スクールの方針や主張の根拠を疑問視する報道合戦に発展するなど、社会現象として度々マスメディアに取り上げられている。
また、体罰を含むそのような方針に賛同している者達(石原慎太郎など)が「戸塚ヨットスクールを支援する会」を組織し、これの支援に当たっている。
[編集] 被害者遺族
一方、遺族たちは同団体や支援者とは被害者の死因に対して正反対の見解にあり、円満解決には至っていない。 当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューにおいて「入校して1週間ほどで死に、火傷の跡や出血がひどく外傷性ショックを起こしたのが死因。出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかってない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしていることから、双方の見解は依然として食い違っている。
[編集] 戸塚ヨットスクール事件
- 1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生。
- 1983年に1982年に起きた少年の死亡に関して、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから、傷害致死の疑いでスクール内を捜査。その後、指導員が舵棒と呼ばれるヨットの部材(一部では「角材」と報道された)で少年の全身を殴打し、その後ヨットでの訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者が逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。
[編集] 訓練中に発生した死亡・行方不明事件
- 1979年 少年(当時13歳)が死亡
- 戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」として、無罪を主張 病死として不起訴
- 1980年 青年(当時21歳)が死亡
- 指導員によって暴行を加えられた事によるものとして傷害致死で起訴
- 1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込んだとして行方不明
- 体罰から逃れるために飛び込んだとして監禁致死で起訴
- 1982年 少年(当時13歳)が死亡
- 傷害致死で起訴
校長保釈後にはスクールが再開され、その後の公判において校長は懲役6年の判決を受け、2002年3月11日に刑が確定し、3月29日に収監された。コーチなどの一部も同様に実刑となったが、数名のコーチにより活動は続けられていた。
同事件は、事件として取り沙汰されて以降の体罰の是非を問う討論等でたびたび参考として出され、また個人の教育論の展開(講演会や商業書籍の執筆など)のために、引き合いに出されている。
その一方、勾留・収監中も同校長はマスメディアに依頼された原稿の執筆活動や弁論雑誌への投稿、同スクール支援者団体を通じてのインターネット上での意見表明・コラム掲載などを行っており、支援団体サイト『教育再生!』では、それらスクールや戸塚校長側・支援者側の視点による多量の資料が2006年12月現在も掲載されている。
[編集] 戸塚校長の出所後
- 2006年4月29日 - 満期で戸塚校長が出所。今後も信念を曲げずにヨットスクールを続ける意向を語る。
- 戸塚出所後、近年のいじめ問題について自己のホームページにおいて「いじめは人間の本能であり、子供の成長において絶対不可欠なプロセスだから無くしてはならない」という趣旨の主張を行う。
なお、同氏の主張する『脳幹論』は、2006年の現時点では、明確な科学的根拠が発見されていない。同説および同スクールの方針や手法は、一般的に疑似科学と同一視されているが、戸塚と彼の支持者は、「実際の効果」なるものを挙げて、その有効性を主張している。戸塚校長らは、現在は体罰を伴う教育方法は行っていないという。ただし、その行為自体は肯定している。
- 2006年10月 - スクールからいなくなった訓練生の25歳男性が、知多湾で水死体となって発見される。
- 警察は自殺と事故の両面で捜査を行っていると報道された。男性はうつ病で通院中であり、父親もスクールで共に寝起きしていたが、目を離した隙に居なくなり、スクールから3キロ離れた地点で水死体になって発見されている。同男性の遺体に目立った外傷はなかった(2006年11月7日現在、新聞報道による)。
[編集] その他
俳優の山本太郎が、かつて箕面自由学園高等学校在学中に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」に出演した際、グループ名を「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」とした。
同スクールの遭難・行方不明・傷害致死の事件が大々的に報じられた当時やそれ以降、同スクールは激しい非難に見舞われる一方で、「不謹慎ネタ」として扱われる傾向も見られた。漫画作品では『頑丈人間スパルタカス』というギャグ漫画で校長である戸塚をモチーフにした無茶なキャラクターが描かれ、同様に「論理的・理知的な根拠を持たない、しごきや訓練(ないし教育)と称して暴虐を尽くすような自称教育者」というキャラクターは、作者も様々な幾つもの創作物に散見される。こういったキャラクターは、体罰を否定した学校教育法第11条(→体罰の項を参照)施行以降にも少なからず存在して暴行ないし傷害事件を起こし報じられた暴力的な教師をモチーフにしたとみられるものが含まれる一方、事件当時の同スクールに関する加熱した報道合戦の中で取り上げられた、(偏見も含まれる)スクール内の指導内容によっても雛型が形作られたといえよう。
また戸塚自身のキャラクター性そのものも、一種の話題性から報道番組ではなく『ムハハnoたかじん』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』をはじめバラエティ番組のような娯楽を主題とするテレビ番組にゲストとして招かれるなど、むしろ「娯楽や揶揄の対象」として扱われた傾向も見られる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 教育再生! - 戸塚ヨットスクールを支援する会
- "無限回廊"より戸塚ヨットスクール事件
- "オワリナキアクム"より戸塚ヨットスクール