的場直樹
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的場 直樹(まとば なおき、1977年5月9日 - )は福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(捕手)である。
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[編集] プロフィール
- 身長・体重:179cm、87kg
- 血液型:O型
- 投打:右投右打
- 出身地:大阪府大阪市
- 球歴・入団経緯:上宮高校 - 明治大学 - ダイエー・ソフトバンク(2000~)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1999年ドラフト3位
- 背番号:26
- 英語表記:MATOBA
- 守備位置:捕手
- 愛称は「マットン」。
- 守備とリードには定評?があるが、通算打率は1割台であるなど打撃成績は思わしくない。
[編集] 来歴・人物
- 明治大学時代は木塚敦志(現横浜)と黄金バッテリーを組んだ。主将もつとめ、アマNo.1捕手と評価されていた。シドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場。その後のドラフトで3位指名を受け当時のダイエーに入団する。すでにパ・リーグを代表する捕手であった城島健司が絶対的なレギュラーとして君臨するホークスに入団することは、当初「勿体無い」と言われる程であった。1年目の2000年には城島が負傷したため34試合に出場したものの、2003年には全試合フルイニング出場するなど正捕手城島の壁は厚く、1軍の試合に出場すらできない時期が長く続いた。
- 2004年、城島がアテネオリンピックの野球日本代表に選出され不在となった折に、同僚の田口昌徳とともにその穴を埋めた。2005年、怪我により城島が離脱した際にも殆どの試合でスタメンを任され、正捕手不在のチームの敗戦数を最小限に抑えた。その年出場したパ・リーグプレーオフにおいても、城島が欠場したため正捕手を任された。低めのリードに徹する城島とは違って勝負所で大胆な内角高めのボールを要求して空振りを誘導するなど、城島とは一味違うリードを見せたりもした。
- 2006年、城島がFA権を行使し、シアトル・マリナーズと契約し移籍したことから、チームの新正捕手争いが激化。経験・安定感に勝る的場は最有力候補と目されておりシーズン序盤は常時スタメン出場をしていたが、中盤以降山崎勝己の台頭もあり出場機会が減ってしまった。しかし、同学年のエース斉藤和巳が先発する試合では、必ず先発マスクをかぶる他、大事な場面や抑え投手が登板した際には守備固めをすることもあり、リードなど守備面での信頼という意味では今でもチーム1であるようである。
- この年のプレーオフ、チームはシーズン3位に終わるものの、第1ステージを制し第2ステージでシーズン1位の日本ハムと対決する。しかし、日本ハムの圧倒的な勢いの前に敢え無く2連敗で敗退した。第2戦のサヨナラ負けの瞬間、的場はグラウンドに大の字になり、大粒の涙を流しながら、肩を支えられベンチ裏に引き揚げた。試合後、「(1位通過しながらプレーオフ敗退という)2年間の悔しさを思い出して…。和巳が頑張っていたので何とか助けようと思っていたけどできなかった」と目を真っ赤に腫らしながら、悔しさをあらわにした。
[編集] エピソード
- 自身と同い年のエース斉藤和巳が先発する試合では、必ず先発マスクをかぶる。これはお互い2軍でくすぶっていた時代からの気心知れた仲であり、深く信頼しあっているということがあると思われる。また、エースに成長した斉藤が的場の正捕手定着に期待しているということも伺える。
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- 2006年6月8日の対読売ジャイアンツ戦では、斉藤和巳とのバッテリーで巨人打線を脇谷亮太の内野安打1本のみに封じ、その脇谷も牽制で刺し打者27人のみで片付ける準完全試合達成という好リードを見せた。
- 斉藤とはプロ入り前から面識があり、斉藤がホークスに入団内定する頃に球を受けていたとの事。それ以降、二人には奇妙とも言える縁があり、斉藤のプロ初勝利の時の捕手が的場であり、二人が怪我をした時のリハビリ期間も一緒であった。ちなみに斉藤は、雑誌の的場との対談企画で当時を振り返り、的場がホークスに入ると決まった時、「(当時、城島健司がいたため)よう来たなぁ、どうすんねん。こいつ、運悪いなぁ」と思ったが、「この悪い運をこの縁で何とかしてやろうと思った」とも発言している。
- 投手四冠を達成するなど斉藤のめざましい活躍もあり、斉藤・的場は2006年の最優秀バッテリー賞に選ばれた。ちなみに日本プロ野球史上、同い年の投手と捕手による同賞受賞は95年テリー・ブロス・古田敦也(ヤクルト)、05年渡辺俊介・里崎智也(ロッテ)に次いで3組目である。
- いたって礼儀正しく、またひょうきんな一面もある。
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- 2004年オフより「ウクレレ侍」という波田陽区のパロディ的ネタを、2005年のファン感謝デーでは氣志團のコスプレでパフォーマンスをし場内を沸かせている。
- 2006年の春季キャンプでは、朝の声出しの際に「全試合出場、打率2割8分以上の成績を残したい」という目標の他に、「昨年プレーオフで負けた悔しさ、ファンに(風貌が用具担当)金岡さんと(コンディショニング担当)川村さんに間違えられた悔しさ、両親に『直樹、何で(試合中継の)テレビで王監督の後ろに立っているんだ』と鈴木広報に間違えられた悔しさを晴らしたい」と叫び、ナインから拍手喝采を浴びた。
- 2006年のプロ野球オールスタースポーツフェスティバルではその活躍で会場に詰めかけた大勢のファンを大いに沸かせ、かつて同番組で活躍した田口昌徳(現育成担当)の後継者としての地位を不動のものにした。
- 2007年の春季キャンプでは、朝の声出しの際に「ニックネームはホワイト、って欧米か」「思い返せば昨年、ガソリンスタンドに行くのが苦痛でなりませんでした。イラク情勢は悪化、石油が高騰、ハイオクガソリン147円、僕の打率1割4分6厘。しかしこれも過去の話。今年こそはそのハイオクガソリンではなく、レギュラーガソリン、いやレギュラー目指して頑張ります」と宣言、前年に引き続いてナインの爆笑を誘った。
[編集] 仏教との関わり
- 大阪市住吉区の実家は浄土真宗(真宗大谷派)の古刹。直樹は長男として出生、9歳で得度、僧籍を持つ。幼少時代は勉学・部活動の合間を縫って実父らと読経・檀家まわり等修行経験を積んだ。
- 中学時代、PL学園から進学の勧誘があったが、僧籍をもつ的場は宗教上のわだかまりを感じPL学園からの勧誘は固辞、上宮高校へ進学。なお、上宮高校は浄土真宗でなく浄土宗である。
- プロ入りの誘いがあったとき、的場および親族はプロ入りか野球をやめ仏道に専念するかで大いに迷った。しかし的場の父から
- 1.契約金すべてを実家に提供(寺の改築費用に充当のため)
- 2.オフシーズンはトレーニングの邪魔にならない範囲で寺の手伝いをする(除夜の鐘など)
- という提案がなされ、これを受け入れた的場はプロ入りを果たした。
- 2005年12月10日に同年5月入籍していた妻(会社員)と結婚式を挙げたが、披露宴で的場は羽織袴の上に袈裟懸け姿を披露、ケーキカットはせず鏡開きを行った。これは的場本人の有僧籍者としての決意のあらわれとみられる。
- しかしそんな的場だが、なぜかキリスト教(プロテスタント)宣教師でもあったトニー・バティスタのことは尊敬しきりだった。これにはバティスタの善良な人柄もあったからといわれる。
- ユーモラスな人柄、そして信仰に高い誇りを持つ的場だが、2005年オフの九州朝日放送の番組内で「実家が寺だからって(そして的場自身が近年薄毛が進行している点)、『住職』と呼ぶのだけはやめてほしい。」旨"困惑する胸のうち"を明かした。
[編集] ウクレレ侍
2005年にTVQ九州放送のスポーツ番組・「スポスタ」の番組内で、ギター侍・波田陽区ならぬ「ウクレレ侍」という名で「的場直樹のウクレレ侍」というコーナーをやっている。
[編集] ウクレレ侍に斬られた野球選手
- 第一回目・7月30日:本人
- 第二回目・8月6日:川﨑宗則内野手
- 第三回目・8月13日:フリオ・ズレータ内野手
- 第四回目・8月20日:トニー・バティスタ内野手
- 第五回目・8月27日:瑞季内野手
- 第六回目・9月10日:ペドロ・フェリシアーノ投手
- 第七回目・9月24日:田之上慶三郎投手
- 第八回目・10月1日:宮地克彦外野手
[編集] 通算成績
年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 四死球 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 福岡ダイエー | 34 | 53 | 6 | 8 | 2 | 2 | 0 | 8 | 6 | .151 |
2001 | 福岡ダイエー | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2002 | 福岡ダイエー | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2003 | 福岡ダイエー | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 |
2004 | 福岡ダイエー | 13 | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | .067 |
2005 | 福岡ソフトバンク | 39 | 86 | 7 | 16 | 2 | 8 | 0 | 21 | 4 | .186 |
2006 | 福岡ソフトバンク | 82 | 137 | 12 | 20 | 0 | 8 | 0 | 42 | 9 | .146 |
通算 | 169 | 292 | 25 | 45 | 4 | 19 | 0 | 71 | 14 | .154 |
[編集] テーマソング
[編集] CM
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
福岡ソフトバンクホークス - 2007
00 ブライアン・ブキャナン | 0 仲澤忠厚 | 1 柴原洋 | 3 松中信彦 | 4 アダム・ハイズデュ | 5 松田宣浩 | 6 多村仁 | 7 大村直之 | 8 江川智晃 | 9 小久保裕紀 | 10 本間満 | 11 小椋真介 | 12 高谷裕亮 | 13 高橋秀聡 | 14 馬原孝浩 | 16 篠原貴行 | 17 山田秋親 | 18 新垣渚 | 19 森福允彦 | 21 和田毅 | 22 荒川雄太 | 23 城所龍磨 | 24 高橋徹 | 25 大野隆治 | 26 的場直樹 | 27 中西健太 | 28 大隣憲司 | 29 領健 | 30 長谷川勇也 | 31 佐藤誠 | 32 森本学 | 33 星野順治 | 35 クリストファー・ニコースキー | 36 明石健志 | 37 福田秀平 | 38 神内靖 | 40 藤岡好明 | 41 倉野信次 | 43 リック・ガトームソン | 44 水田章雄 | 45 トゥーシェン | 46 本多雄一 | 47 杉内俊哉 | 48 甲藤啓介 | 50 吉本亮 | 51 荒金久雄 | 52 川崎宗則 | 53 金子圭輔 | 54 川頭秀人 | 55 伊奈龍哉 | 56 柳瀬明宏 | 57 三瀬幸司 | 58 辻武史 | 59 大西正樹 | 60 稲嶺誉 | 61 山村路直 | 62 山崎勝己 | 63 大田原隆太 | 64 田之上慶三郎 | 65 川口容資 | 66 斉藤和巳 | 67 斉藤秀光 | 68 竹岡和宏 | 69 井手正太郎 | 70 田上秀則 | 91 陽耀勲 | 93 小斉祐輔 | 94 西山道隆 | 121(育成選手) 山田大樹
89 監督 王貞治 | 80 秋山幸二 | 88 森脇浩司 | 81 新井宏昌 | 85 杉本正 | 82 高山郁夫 | 84 大石友好 | 87 井出竜也 | 92 山川周一 | 76 二軍監督 石渡茂 | 71 鳥越裕介 | 79 五十嵐章人 | 75 山村善則 | 77 藤田学 | 74 岩木哲 | 95 川村隆史 |
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