暁星国際高等学校
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暁星国際高等学校(ぎょうせいこくさいこうとうがっこう)は、千葉県木更津市に在る学校法人暁星国際学園(田川茂理事長・各学校長兼務)が運営する高等学校。幼稚園と小学校、中学校も併設されている。
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[編集] 歴史
- 1979年(昭和54年) 暁星学園 理事長 田川茂(当時)が、帰国子女優先受け入れとして暁星国際高等学校(男子校)を千葉県木更津市に開校。
- 1981年(昭和56年) 暁星国際中学校開校。
- 1984年(昭和59年)8月 東京都千代田区在 学校法人暁星学園から分離・独立、新たに*学校法人暁星国際学園として千葉県より認可。
- 1995年(平成7年) 暁星国際小学校開校。
- 1998年(平成10年) 高等学校に女子生徒入学、共学開始。
- 2001年(平成13年) ヨハネ研究の森コース開設。
- 2002年(平成14年) 男女別学最後の21期生 高等学校卒業、完全共学に移行。いずれも現在は共学である。
[編集] 概要
[編集] 設立経緯
1970年代 経済成長とともに、商社やメーカーの海外駐在や在外公館勤務、逆に国内へ転勤する父兄の子女が急増する中、彼等いわゆる帰国子女を、転・編入などで受け入れる制度や寮制がある教育機関はわずかであった。当時、千代田区の暁星学園には、OBや、帰国後の教育実績に安心感を持つ父兄から子弟・子女の編入要請が増大したが、生徒数拡充には定員当たりの設置単位面積から敷地に限りがあり、さらに男子校での子女受け入れは不可能だった。
そこで、当時 暁星学園理事長兼学校長職にあった田川茂が別な場所に新たな校舎・学校設立を起案。しかしその構想に暁星学園を運営する修道会「マリア会」(The Society of Mary)との間で、校風や教育水準の維持、用地や資金取得手法(官僚等を六本木の飲食店で接待したことを週刊誌に報じられた)、生徒募集方法、設置目的の将来性、設立後の運営方針など様々な温度差が生じ、分離。紆余曲折を経て、
- 当時の在学生父兄や卒業生ならびに、田川会(私的後援会)からの寄付行為
- 日本航空株式会社 広報室 勤務(当時)で作家の深田祐介や、財界人、政治家らによる発起人会設立
- 経済界からの資金寄付
- 官公庁への陳情
等から、設置当初は海外からの帰国子女や、海外駐在員子弟を教育する目的で、全寮制男子校として作られた。
[編集] 帰国子女受け入れ校
その後帰国子女の減少や、「暁星」ブランドに憧れた裕福な家庭の子女の入校希望が相次いだ事から、帰国子女以外も受け入れるようになった。そのため自営業の芸能人といった富裕層の子弟、海外在住経験のある大企業や外資系企業の比較的裕福なサラリーマンの子弟がその多くを占めるという、帰国子女受け入れ校の名門私立にありがちな独特の生徒構成の学校である。
普通科とは別にインターナショナルコース(旧名:アングロ・アメリカンコース)が設置されており、フランス語の教育が行われている他、ESLなどの英語教育に熱心。
[編集] 英国暁星国際学園
1980年代にはイギリスのロンドン郊外のレディングに「英国暁星国際学園」(初等部、中等部、高等部。後に大学も)を開校したが、海外駐在員の減少により生徒が集まらず廃校となった。
[編集] ヨハネ研究の森コース(通称ヨハ研、ヨハ森、ヨハネ)
ヨハネ研究の森コースは、21世紀の人材に求められているコミュニケーション力・論理的思考力・創造力・問題解決能力を形成するコースとして2001年、文部科学省の研究開発学校の指定を受け、開設されたコースである。
開設当初は生徒も少なく印象も良いとは言えなかったが、2006年度現在では100名近くの生徒が在籍し、2006年5月にインターナショナルコースとの共同プログラムが始まったことから、徐々に学園全体に影響を与えていると言っても過言ではない。
6年目となる2006年からは、『学びの共同体』というテーマを掲げ、新たなスタートを切った。
また、学費が高いことでも有名である。
[編集] 制服
小学校男女と中学・高校女子の制服は、暁星学園の卒業生でもありパリコレで世界的デビューを飾ったデザイナー・山本耀司がデザインした本学園独自のものである。
中学・高校男子の制服は、高等学校開校時に暁星学園のものを流用するが、学外生活指導時に生徒の所属が木更津校と本校(各々同一法人当時の呼称)に識別できない問題が発生したために、制帽・制靴や通学鞄、靴下色など複数の点が暁星学園と異なって制定され、現在に至る。製作は、これも暁星学園OB、が経営する株式会社エトワール海渡。なお、男女共学開始に伴い体操服が変更された。
[編集] 進学先
上智大学や獨協大学などと関係が深く、推薦や一般入試で大学へ進学する生徒が大多数である。また、帰国子女の生徒が多いため、卒業後海外の大学に進学するケースも多くみられたが、近年は帰国子女生徒の減少により海外大学への進学はほぼ皆無に近い。
[編集] 同窓会
同窓会ホームページ掲示板にて、同ホームページの制作費に数百万円をかけるなど不明瞭な会計を指摘され紛糾した結果、掲示板は閉鎖され、あまり活発な活動は見られなくなった。
[編集] 取引先
- 株式会社 八丁幸 (開校以来、学内の食堂やパントリーで食事を供給していた給食業者。生徒達からの評判はあまり芳しくなかった。本社 横浜市神奈川区山内町)
- ソデッソジャパン株式会社(旧 株式会社ソデックスコーポレーション) (現在食事を供給する、給食業者。本社 渋谷区恵比寿)
[編集] エピソード
[編集] バブル期
バブル経済華やかりし頃の学園祭や体育祭の時は、駐車場に保護者のロールス・ロイスやメルセデス・ベンツが並び、学校に多額の寄付をしたり、全生徒分の給食を寄付したりという話がよく聞かれたが、バブル経済崩壊後には、それまでの様な景気の良い話に代わって、親が破産したり夜逃げしたという話がよく聞かれるようになった。
[編集] 芸能界ジュニア
従前より芸能人の子弟・子女はマスコミや周囲からの好奇の視線に晒されやすく、また、親が有名人であることが要因となって非行行為への誘惑などが多く見られるなどといった懸念も根強い。この為、思春期という敏感な時期の子弟・子女のプライバシーを護り、またこの時期の健全な育成を期待するという目的で、寮を持つ学校への子弟・子女の入学を希望する芸能人は決して珍しいものではない。この事があってか、東京から比較的近距離で寮を持つ進学校という特色を持つこの学校においても、生徒及び卒業生には芸能関係者の子弟・子女が少なくない。
なお、大手芸能事務所・バーニングプロダクションの周防郁雄社長の息子・周防彰悟(現・音楽プロデューサー)が在学中には、所属タレントの小泉今日子や系列事務所に所属している岩崎宏美(芸映から独立後バーニングの傘下に入った)が学園祭でミニコンサートを開いたり、暁星学園卒業生であるグッチ裕三の息子が入学した年の学園祭では、グッチ裕三自らがライブを開いたというエピソードがある。
他にも知られている所では、長嶋茂雄の息子(長嶋正興)、せんだみつおの息子なども卒業生として名を連ねている。
[編集] 著名な卒業生
- 長嶋正興(レーシングドライバー)
- 小笠原道大(プロ野球選手・日本ハム~巨人)
- 相川良太(プロ野球選手・オリックス)
- 飛田航介(俳優)
- 内田朝陽(俳優)
- 神田沙也加(中学部・歌手)
- 周防彰悟(音楽プロデューサー/レーシングドライバー)
[編集] 起こった事件
2006年1学期
女子トイレの使用済み生理用品のゴミ箱が何者かに荒される。ナプキンなどの生理用品がいくつか消えていた。
2006年2学期
特別教室Cや高校1年A組、B組など教室のプレートが何者かによって大量に剥がされる。これにより来校者がどこの 教室に行けばいいのかわからなくなるなどの様々なトラブルを引き起こす。剥がされたプレートは数十枚で行方は知れず プレートの価格は1枚数千円で被害総額は10万に近いもしくはそれ以上との声がある。
時期を同じくして3階の男子トイレの洗面台が壊される。1回取り替えるもまた壊される。洗面台の止め具の状態からして上からの強い衝撃によって 壊されたと思われる。
[編集] 学校の対応
洗面台やプレートを例に挙げれば生徒の多くが犯人(プレートと洗面台については同一犯との話がある。)を知っており教師側 に報告し教師側も事を把握して呼び出したりはしているが証拠が無いなどの理由で処分には至っていない。この件だけではなくイジメなどの問題でも 学校側は非常に消極的で処分を下すといえば暴力事件などすでに起こってしまったことが多い。未然に防ぐということは無い。