清水将海
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清水 将海 (しみず まさうみ、1975年1月9日 - )は、中日ドラゴンズ(2005年~)に所属するプロ野球選手である。ポジションは捕手、背番号は39番。
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[編集] 人物
1997年~2003年まで千葉ロッテマリーンズの実質的な正捕手として現在活躍する投手陣の発展期を支えた。 青山学院大では同期の井口資仁(ダイエー1位)・澤崎俊和(広島1位)・倉野信次(ダイエー4位)らと共に、千葉ロッテマリーンズから1位指名をされて入団する。当時の背番号は8。
1997年、ルーキーイヤーの開幕戦で小宮山悟とバッテリーを組み完封勝利、以後打撃の弱さを守備面でカバーしてマリーンズの現在の投手陣の構築に貢献した。この時期橋本将が少ない打席ながら打率3割以上打ったシーズンや打撃優先型捕手の補強などがあったのだが出場機会は圧倒的に少ない。捕手として清水の信頼を揺るがすほどの選手は皆無だったのである。
2003年、背番号を移籍した波留敏夫に譲る(27に変更)。日米野球に小林雅英と共に出場、3打数3安打と活躍。しかしシーズンでは圧倒的な打力を武器に台頭した里崎智也にレギュラーを奪われてしまう。シーズンオフにはボビー・バレンタイン監督が就任。彼の構想は里崎とタイプの近い橋本を彼のスペアとして使う構想であった(事実上の構想外である。ちなみに里崎も橋本も清水に比べてリードか拙いとの指摘も最近はそうでもないがある)。
2004年オフに、中日ドラゴンズ山北茂利と交換トレード。谷繁という名捕手の存在、同じセリーグの小田幸平の第2捕手としての台頭などにより現在は出場機会を減らしている。06年はようやく1軍出場。日本シリーズの出場資格者にも選ばれた。
- ちなみにロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズとなってから投手以外で27番を付けたのは彼だけであり、移籍後は古谷拓哉が付けたので再び投手の番号となった。
ちなみに清水以前は八木沢荘六~三宅宗源~土屋正勝~牛島和彦~河本育之~戸部浩と投手が続いていた。
[編集] 略歴
[編集] 背番号
- 8(1997年~2002年)
- 27(2003年~2004年)
- 50(2005年)
- 39(2006年~ )
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 633試合 打率.214(1424打数305安打) 9本塁打 115打点 3盗塁
00 前田章宏 | 0 金剛弘樹 | 1 福留孝介 | 2 荒木雅博 | 3 立浪和義 | 4 J・バレンタイン | 5 渡邉博幸 | 6 井端弘和 | 7 李炳圭 | 8 平田良介 | 9 井上一樹 | 11 川上憲伸 | 12 岡本真也 | 13 岩瀬仁紀 | 14 朝倉健太 | 16 佐藤充 | 17 川井進 | 18 中里篤史 | 19 吉見一起 | 20 中田賢一 | 21 樋口龍美 | 22 藤井淳志 | 23 鈴木義広 | 24 堂上直倫 | 25 新井良太 | 26 小田幸平 | 27 谷繁元信 | 28 田中大輔 | 29 山井大介 | 30 石井裕也 | 31 森野将彦 | 32 中川裕貴 | 33 平井正史 | 34 山本昌 | 35 上田佳範 | 36 デニー | 37 小山良男 | 38 斉藤信介 | 39 清水将海 | 40 西川明 | 41 浅尾拓也 | 42 S・ラミレス | 43 小笠原孝 | 44 ウッズ | 45 森岡良介 | 46 岩﨑達郎 | 47 菊地正法 | 48 沢井道久 | 49 F・グラセスキ | 50 佐藤亮太 | 51 中村一生 | 52 春田剛 | 53 柳田殖生 | 54 鎌田圭司 | 55 福田永将 | 56 中村公治 | 57 英智 | 58 石川賢 | 59 小川将俊 | 60 高江洲拓哉 | 61 久本祐一 | 62 普久原淳一 | 63 堂上剛裕 | 64 清水昭信 | 65 金本明博 | 67 高橋聡文 | 68 長峰昌司 | 69 小林正人 | 70 三澤興一 | 99 中村紀洋
201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 203(育成選手) チェン | 220(育成選手) R・クルス | 222(育成選手) E・ラミレス 66 監督 落合博満 | 81 高代延博 | 80 森繁和 | 89 高橋三千丈 | 88 高柳秀樹 | 78 小林聖始 | 77 宇野勝 | 87 仁村薫 | 72 田村藤夫 | 90 三木安司 | 85 二軍監督 辻発彦 | 84 早川和夫 | 75 石嶺和彦 | 83 音重鎮 | 86 古久保健二 | 71 川相昌弘 | 92 勝崎耕世 | 74 風岡尚幸 | 79 長谷部裕 | 82 奈良原浩 | 76 近藤真市 | 93 宮前岳巳 | 91 塚本洋 |