高柳秀樹
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高柳秀樹(たかやなぎ ひでき、1957年3月1日 - )は、南海ホークス・福岡ダイエーホークスに所属したプロ野球選手。1991年限りで現役を引退、福岡ダイエーホークス二軍打撃コーチ、千葉ロッテマリーンズコーチを経て現在は中日ドラゴンズ打撃コーチ。右投右打。茨城県鉾田市出身。
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[編集] 来歴・人物
1978年、南海ホークスのドラフト1位として国士舘大学から入団、翌1979年シーズンには一軍出場、1983年には一軍に定着し初本塁打も放った。
1984年に巨人に移籍した、「左殺し」の異名を持つ山本雅夫に代わる右の代打として期待された。高柳はそれに応え、対左投手専門ではあるものの、一軍の中軸打者としての地歩を固めた。1985年から1987年には、左投手を苦手としていた門田博光に代わって4番をつとめたこともあった。南海最末期の苦しいチームを支えた選手のひとりである。
1990年に田淵幸一が監督に就任すると出場機会は激減し、1991年限りで現役を引退した。その後はダイエー、台湾・三商、ロッテのコーチを歴任した。2005年に中日コーチとして入団し現在も活動中である。
[編集] 球歴
[編集] 所属
- 1978年 南海ホークス入団
- 1991年 現役引退、ダイエー二軍打撃コーチ就任。
- 1993年 二軍育成コーチに。
- 1994年 コーチ退任。
- 1995年 台湾・三商虎隊打撃コーチ就任。
- 1996年 コーチ退任。
- 1999年 ダイエー二軍打撃コーチ復帰
- 2000年 コーチ退任、フロント入り。
- 2002年 二軍打撃コーチとして復帰
- 2003年 ロッテ打撃兼外野守備走塁コーチ就任。
- 2004年 ロッテ調査役に転任。
- 2005年 中日二軍打撃コーチ就任。
[編集] 主な一軍通算成績
- 出場試合 592
- 打数 1149
- 安打 286
- 打率 .249
- 本塁打 48
- 打点 177
[編集] 背番号
- 23(南海・1979年~1991年)
- 88(ダイエーコーチ 1992年~1994年)
- 75(台湾・三商コーチ 1995年~1996年)
- 74(ダイエーコーチ 1999年~2000年・2002年)
- 89(ロッテコーチ 2003年)
- 88(中日コーチ 2005年~)
[編集] 関連項目
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201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 203(育成選手) チェン | 220(育成選手) R・クルス | 222(育成選手) E・ラミレス 66 監督 落合博満 | 81 高代延博 | 80 森繁和 | 89 高橋三千丈 | 88 高柳秀樹 | 78 小林聖始 | 77 宇野勝 | 87 仁村薫 | 72 田村藤夫 | 90 三木安司 | 85 二軍監督 辻発彦 | 84 早川和夫 | 75 石嶺和彦 | 83 音重鎮 | 86 古久保健二 | 71 川相昌弘 | 92 勝崎耕世 | 74 風岡尚幸 | 79 長谷部裕 | 82 奈良原浩 | 76 近藤真市 | 93 宮前岳巳 | 91 塚本洋 |