英智
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
英智(ひでのり、 1976年5月9日 - )は、岐阜県羽島市出身のプロ野球中日ドラゴンズの選手である。本名は蔵本 英智(くらもと ひでのり)だが、成績が伸び悩んだために、2004年から登録名を「英智」にしたという経緯がある。愛称は「ひでのり」「ナゴヤドームの変なおじさん」「クララ」(苗字の蔵本から(?)と思われる)など。2001年のアメリカ同時多発テロ後しばらくは、ヒゲを生やしていたことから「タリバン」と呼ばれていたこともあった。ポジションは外野手。右投げ右打ち。背番号は57番。
目次 |
[編集] 来歴・人物
プロ野球界で屈指の強肩(ナゴヤドームのホームベースからセンターに向かって遠投してフェンス直撃)で知られ、送球の体勢に入るとスタンドがざわめく光景が見られるほどである。2004年、レフト英智、センターアレックス、ライト福留孝介と組んだ堅守で一躍有名となった。
県立岐阜商業高校では控え投手からセンターのレギュラーとなる。名城大学では3番センターとして活躍し、投手も兼任。1998年、春・秋愛知リーグでベストナイン外野手。ドラフト4位で指名され、中日に入団。入団当初から肩の強さが高く評価され、山田久志監督の時代には投手と外野手の兼任案が出たこともある。しかしバッティングなどに課題があり、なかなか一軍に定着できなかった。
2004年のシーズンから指揮を執る落合博満監督が掲げたオレ流野球の一つ「一芸に秀でた選手が必要」を象徴する選手として、2004年シーズンは開幕から一軍の守備固めおよび代走として活躍。徐々に出場機会が増え、福留孝介外野手が8月にアテネオリンピック出場のため欠場、さらに9月に死球による骨折で戦列を離れると、右翼手のレギュラーに定着し、ゴールデングラブ賞を獲得した。
その後は強肩が警戒され相手チームが進塁を自重する場面が多くなったため、送球で観客を沸かせる機会は少なくなった。とはいえ、地面すれすれの飛球を回転しながら捕球したり、フェンスに足を掛けてよじ登りながら捕球したりするなど持ち前の運動能力の高さを生かしたダイナミックなプレーで守備のスペシャリストとして存在感を見せている。走塁の技術にも磨きがかかり、試合の流れを変える頭脳的な好走塁も多い。
2005年は走塁中に肩を強打して負傷した影響もあり、打率1割にも満たない極度の打撃不振に陥った。また代走専門選手として活躍していた沢井道久がシーズン後半から登録を抹消されたため、やむを得ず代走で起用され守備位置の関係で途中交代させられるなど、起用法が一定しなかった。
しかし2006年には、落合監督が「秋にあれだけ振ったんだからな。一番練習してる奴が打つ」と話すように、人一倍の練習量で前年の打撃不振を見事に克服し打撃成績が向上。5月には3回のヒーローインタビューを経験した。
2試合連続で満塁のチャンスから2点タイムリーを打ったため、満塁男と言われたこともある。2006年中盤頃は試合途中で代打出場の立浪和義と代わることが多かった。(その後は藤井淳志や井上一樹が守備に就く)
[編集] エピソード
- 長兄2人も県立岐阜商業高校で野球をしており、高校生時代は『蔵本三兄弟の三男』としてプロのスカウトに知られていた。
- 2005年8月5日の横浜ベイスターズ戦において、1点を追う最終回、1死満塁のチャンスに3塁走者英智は、立浪の浅い右飛に迷うことなく本塁に突入。芸術的なヘッドスライディングで捕手相川亮二のタッチをかいくぐって同点のホームインをもたらし、その後の逆転(福留の満塁弾)に繋げた。試合後、落合監督は「英智はプロだ」と語り、賛辞を惜しまなかった。
- 2006年5月10日、札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズ戦においては、延長11回表、岡島秀樹のワイルドピッチで2塁から悠々ホームインする走塁を見せた。(しかも、その時は変化球を投げるだろうと予想を立て、的中した)
- 同年8月12日の阪神戦、2回裏2死で2塁走者の英智は、荒木雅博のライト前ヒットで、前進守備だったにも関わらず3塁を回り、3m超のロングヘッドスライディングでホームイン。落合監督をして「あれで(本塁に)帰ってこれるんだから凄い。ああいうプレーを見せられるのがプロだ」と唸らせる。
[編集] お立ち台でのコメント
見かけや雰囲気は朴訥そのもので、実際に恥しがり屋。多くは語らないが、口を開いた際はかなり独特な発言をする。以前はそれほど目立つ選手ではなかったが、ヒーローインタビューでの受け答えでファンが急増。いまやチーム内では押しも押されもせぬ人気選手となっている。なお、2004年には、犠牲フライとなる打球を、好返球で三塁ランナーを刺し、勝利に貢献。守備での活躍でお立ち台に立つという珍しい経験がある。また、そのプレイが英智を知らしめるきっかけにもなった。
- 人気となったきっかけは2006年5月4日の横浜戦。8回裏の満塁の場面で2点決勝適時打を放ちお立ち台へ。その時に、「代えられると思ったけど、曲が流れても監督が出てこないんで、ぼくかと思って打席に立った」「去年などのぼくであれば、間違いなく代えられていた」などと発言し、場内は笑い声が起こっていた。
- さらに翌日の5月5日でも満塁から2点適時打を放ち、「今日は監督を見ずに打席に立てました」と発言した。
- 同年6月29日、神宮球場での東京ヤクルトスワローズ戦においては、延長11回表4対4の同点・2死1塁の場面で木田優夫からレフトスタンドへ約4年振りとなる2ランホームランを放ち、これが決勝点となった。試合後のお立ち台でのインタビューでは相変わらずの英智節を見せ、観客を沸かせた。
以下はその時のインタビューの要約。
- まず何を考えて打席に向かったのでしょう?
-
- 「打ちたいと思って入りました」
- 自分のホームランについては?
-
- 「何年もホームランを打ってない訳ですし、やっぱりホームランはまぐれと言うのが妥当だと思います」
- 明日から名古屋に戻って広島との3連戦です。そこでの1本期待していいですか?
-
- 「バットを振ると何かが起こると思うので、バットを振っていきたいと思います」
- 同年8月11日の阪神タイガース戦、得意としている下柳剛から(そのため、一部からは「下柳キラー」とも言われる)2点タイムリーを放ち、お立ち台に上がる。「下柳さんはいつもタイミングが合う」という発言をし、さらに「僕は川上さんみたいにスーパーサイヤ人じゃないので、ナメック星人程度に頑張ります」とドラゴンボールに例えて発言している。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m81cm、72kg
- 血液型 O
- 球歴・入団経緯 岐阜県立岐阜商業高等学校-名城大学-中日ドラゴンズ(1999年- )
- プロ入り年度・ドラフト順位 1998年(4位)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 打率.237(702打数167安打) 4本塁打 69打点 23盗塁
[編集] 主なタイトル
- ゴールデングラブ賞 2004年
- JA全農Go・Go賞 好捕賞 2004年~2006年
[編集] 関連項目
00 前田章宏 | 0 金剛弘樹 | 1 福留孝介 | 2 荒木雅博 | 3 立浪和義 | 4 J・バレンタイン | 5 渡邉博幸 | 6 井端弘和 | 7 李炳圭 | 8 平田良介 | 9 井上一樹 | 11 川上憲伸 | 12 岡本真也 | 13 岩瀬仁紀 | 14 朝倉健太 | 16 佐藤充 | 17 川井進 | 18 中里篤史 | 19 吉見一起 | 20 中田賢一 | 21 樋口龍美 | 22 藤井淳志 | 23 鈴木義広 | 24 堂上直倫 | 25 新井良太 | 26 小田幸平 | 27 谷繁元信 | 28 田中大輔 | 29 山井大介 | 30 石井裕也 | 31 森野将彦 | 32 中川裕貴 | 33 平井正史 | 34 山本昌 | 35 上田佳範 | 36 デニー | 37 小山良男 | 38 斉藤信介 | 39 清水将海 | 40 西川明 | 41 浅尾拓也 | 42 S・ラミレス | 43 小笠原孝 | 44 ウッズ | 45 森岡良介 | 46 岩﨑達郎 | 47 菊地正法 | 48 沢井道久 | 49 F・グラセスキ | 50 佐藤亮太 | 51 中村一生 | 52 春田剛 | 53 柳田殖生 | 54 鎌田圭司 | 55 福田永将 | 56 中村公治 | 57 英智 | 58 石川賢 | 59 小川将俊 | 60 高江洲拓哉 | 61 久本祐一 | 62 普久原淳一 | 63 堂上剛裕 | 64 清水昭信 | 65 金本明博 | 67 高橋聡文 | 68 長峰昌司 | 69 小林正人 | 70 三澤興一 | 99 中村紀洋
201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 203(育成選手) チェン | 220(育成選手) R・クルス | 222(育成選手) E・ラミレス 66 監督 落合博満 | 81 高代延博 | 80 森繁和 | 89 高橋三千丈 | 88 高柳秀樹 | 78 小林聖始 | 77 宇野勝 | 87 仁村薫 | 72 田村藤夫 | 90 三木安司 | 85 二軍監督 辻発彦 | 84 早川和夫 | 75 石嶺和彦 | 83 音重鎮 | 86 古久保健二 | 71 川相昌弘 | 92 勝崎耕世 | 74 風岡尚幸 | 79 長谷部裕 | 82 奈良原浩 | 76 近藤真市 | 93 宮前岳巳 | 91 塚本洋 |
カテゴリ: 日本の野球選手 | 愛知大学野球連盟の選手 | 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 | 1976年生 | 岐阜県出身の人物