猪口邦子
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生年月日 | 昭和27年(1952年)5月3日 |
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出生地 | 千葉県市川市 |
出身校 | イェール大学大学院 |
学位・資格 | Ph.D.(イェール大学) |
前職・院外役職(現在) | 上智大学教授 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
外務委員会 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例区東京ブロック |
当選回数 | 1回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(無派閥) |
党役職(現在) | 党幹事長補佐、国際局局長代理 |
会館部屋番号 | |
ウェブサイト | 猪口邦子ウェブサイト |
猪口邦子(いのぐち くにこ、1952年5月3日 - )は、自由民主党所属の衆議院議員(1期)。日本学術会議委員。学位はPh.D.(イェール大学)。前職は上智大学教授。夫は政治学者の猪口孝。
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[編集] プロフィール
千葉県市川市生まれ。ブラジルサンパウロ日本人学校→アメリカンスクール卒→私立桜蔭中学校卒→アメリカ・マサチューセッツ州コンコードアカデミー高校卒。1975年、上智大学外国語学部卒業。1977年、アメリカ・イェール大学大学院政治学研究科修士課程修了 M.A.取得。1982年、同大学大学院政治学研究科博士課程修了 Ph.D取得。上智大学では武者小路公秀の、イェール大学ではブルース・ラセットの下でそれぞれ学ぶ。
1990年より2002年上智大学法学部教授。 2002年より2004年軍縮会議日本政府代表部特命全権大使。 その後、上智大学法学部教授に復帰。 専門は、国際政治学、安全保障。元日本平和学会[1]理事。
防衛問題懇談会委員(1994年-1996年)を務めるなど、日本の安全保障政策に強い発言力を持ち、行政改革会議委員(1996年-1998年)として防衛庁の省格上げに強硬に反対するなど、防衛庁・自衛隊の存在に対しては武者小路公秀と同じく否定的なスタンスに立つ。軍縮外交の他、「ジェンダー・イコーリティー(社会的文化的に形成された男女性別の平等)」推進にも熱心であり、衆議院議員当選後の日本外国特派員協会記者会見で「ジェンダーバッシングを許しません!」と宣言した[2]。また開発論では子どもを中心とした開発を提唱するなど活動は幅広い。
1980年代から積極的に言論活動を行い、論壇誌への寄稿やテレビ出演で新進気鋭の女性学者として注目を集める。しかしながら、西尾幹二が「当節言論人の『自己不在』」として批判を加えるなどした。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙に際し、自由民主党総裁の小泉純一郎から衆院選出馬を要請され、自由民主党の比例区東京ブロックより名簿順位単独1位で出馬し初当選。
その後、2005年10月31日に第3次小泉改造内閣に内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)として初入閣。
2005年末の男女共同参画基本計画の改定及び犯罪被害者等基本計画の閣議決定、2006年の食育推進基本計画や新しい少子化対策の策定を担当。
2006年9月26日に第3次小泉改造内閣の総辞職に伴い、国務大臣を辞任。
現在の役職は、自由民主党幹事長補佐、国際局局長代理。
[編集] 職歴
- 1980年4月 上智大学外国語学部国際関係研究所助手
- 1980年10月 同法学部専任講師
- 1981年10月 同助教授
- 1990年4月 同教授
- 2002年4月 軍縮会議日本政府代表部特命全権大使
- 2004年4月 上智大学法学部教授
- 2005年9月 衆議院議員
- 2005年10月 内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)(第3次小泉改造内閣)
- 2006年9月 自由民主党幹事長補佐、国際局局長代理
[編集] 家族
[編集] 著作
[編集] 単著
- 『ポスト覇権システムと日本の選択』(筑摩書房, 1987年/ちくま文庫, 1992年)
- 『戦争と平和』(東京大学出版会, 1989年)
- 『戦略的平和思考――戦場から議場へ』(NTT出版, 2004年)
[編集] 共著
- (猪口孝)『世界を読む――Book review 1990』(筑摩書房, 1990年)
[編集] 編著
- 『政治学のすすめ』(筑摩書房, 1996年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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