福岡国際マラソン
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福岡国際マラソン(ふくおかこくさいまらそん)は、福岡県福岡市平和台陸上競技場をスタート及びゴール地点とし、福岡市西南部を周回し、福岡市香椎を折り返し地点として42.195 kmを走破する冬の名物フルマラソンである。かつてランナーの間では「非公式の世界選手権大会」とみなされ世界のトップランナーの集うハイレベルのエリートマラソン大会であった。近年は参加資格を緩めて参加者の門戸を広めている。
テレビ放送は1991年までNHK(担当局:福岡)が放送していたが、1992年から主催者の朝日新聞系列である九州朝日放送に放送権が移り、テレビ朝日系列(福井放送、テレビ宮崎を含む)と山梨放送、北日本放送、四国放送、高知放送の全国30局で放送。ラジオ放送は、九州朝日放送とニッポン放送の制作で全国34局(NRN)で放送される。
歴代優勝者の足型プレートが博多駅博多口広場に埋め込まれている。
目次 |
[編集] 大会の概要と変遷
- 本マラソン大会は、日本で「マラソンの父」と言われた金栗四三の功績をたたえる『金栗賞朝日マラソン』として第1回大会が1947年熊本市で開催されたのが始まりである。2006年の大会はこれを基点として第60回記念大会としている。
- 第2回以降1954年までは、開催地を高松市、静岡市、広島市、福岡市、宇部市、名古屋市、鎌倉市と毎年変え続いた。
- なお鎌倉で行われた第8回大会は日本初の外国選手を招待したマラソンであった。
- 第9回大会から『国際朝日マラソン』と名称を変え、第11回大会以降開催地が福岡市に定着した。
- また第11回から平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返しのコースが多少の変更を経ながら第38回まで長い間親しまれてきた。
- 1966年、日本陸連は世界陸連(IAAF)に対して世界選手権の開催を提案し、実質的に世界一を決める国際マラソン選手権として本大会が充てられることになった。
- その結果第20回大会から“Open Marathon Championship”として選手権(Championship)を名乗る唯一の国際レースに生まれ変わった。
- 1974年の第28回大会より福岡の名前を冠して福岡国際マラソン選手権となり現在に至っている。
- 雁ノ巣折り返しのコースは海風の影響を受けやすいことから、第39回より海の中道の部分をカットし市の南西部の市街地を周回するコースに変更された。第45回からコースが和白丘折り返しから香椎折り返しになり海沿いの部分がさらに短縮され好記録の出やすいコースに変更されている。
- 日本人選手にとっては、オリンピック、世界選手権、アジア競技大会など、大きな国際大会の代表を決定する男子三大レースの第1弾に位置づけられている(ほかの2つは、東京国際マラソンとびわ湖毎日マラソン)。
[編集] 参加資格
日本陸上競技連盟登記登録男子競技者で日本陸上競技連盟公認の大会で下記の標準記録を突破した者。
- Aグループ
1. マラソン2時間27分 2. 30kmロードレース1時間35分 3. ハーフマラソン1時間07分 ※以上のほか日本陸上競技連盟が特に推薦する者
- Bグループ
1. マラソン2時間50分 2. 30kmロードレース1時間50分 3. ハーフマラソン1時間20分
[編集] 現行コース
1991年以降のコース。
平和台陸上競技場→大手門交差点(左折)→(明治通り)→小戸西交差点(左折)→(県道560号線)→青果市場入口交差点(左折)→(国道202号線)→警固交差点(右折)→(県道31号線)→薬院六ッ角交差点(右折)→(県道31号線)→平尾交差点(左折)→(県道555号線) →美野島交差点(左折)→(小柳通り)→博多駅前4丁目交差点(右折)→(住吉通り)→博多駅前3丁目交差点(左折)→博多駅前→(県道43号線・大博通り)→築港本町交差点(右折)→(県道602号線)→千鳥橋交差点(左折)→(国道3号線)→御幸町バス停留所前で折り返し→(国道3号線)→千鳥橋交差点(右折)→(県道602号線)→対馬小路交差点(直進)→(那の津通り)→浜の町公園前交差点(左折)→平和台交差点(右折)→大手門交差点(左折)→平和台陸上競技場
[編集] 歴代優勝者
回 | 日時 | 優勝者名 | 国籍 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1947年12月7日 | 和田敏一 | 日本 | 2:45:45 | 熊本市で開催 |
2 | 1948年12月5日 | 山田三郎 | 日本 | 2:37:25 | 高松市で開催 |
3 | 1949年12月4日 | 古賀新三 | 日本 | 2:40:26 | 静岡市で開催 |
4 | 1950年12月10日 | 小柳舜治 | 日本 | 2:30:47 | 広島市で開催 |
5 | 1951年12月9日 | 拝郷弘美 | 日本 | 2:30:13 | 福岡市で初開催 |
6 | 1952年12月7日 | 西田勝雄 | 日本 | 2:27:59 | 宇部市で開催 |
7 | 1953年12月6日 | 浜村秀雄 | 日本 | 2:27:26 | 名古屋市で開催 |
8 | 1954年12月5日 | レイナルド・ゴルノ | アルゼンチン | 2:24:55 | 外国選手を初招待、鎌倉市で開催 |
9 | 1955年12月11日 | ヴェイッコ・カルボネン | フィンランド | 2:23:16 | 国際大会化 |
10 | 1956年12月9日 | 山田敬蔵 | 日本 | 2:25:15 | |
11 | 1957年12月1日 | 廣島庫夫 | 日本 | 2:21:40 | これ以降開催地を福岡市に固定 |
12 | 1958年12月7日 | 貞永信義 | 日本 | 2:24:01 | |
13 | 1959年11月8日 | 廣島庫夫 | 日本 | 2:29:34 | |
14 | 1960年12月4日 | バリー・マギー | ニュージーランド | 2:19:04 | |
15 | 1961年12月3日 | パベル・カントレク | チェコ | 2:22:05 | |
16 | 1962年12月2日 | 寺沢徹 | 日本 | 2:16:18.4 | ルール改正により記録表記を10分の1秒単位に |
17 | 1963年10月15日 | ジェフリー・ジュリアン | ニュージーランド | 2:18:00.6 | |
18 | 1964年12月6日 | 寺沢徹 | 日本 | 2:14:48.2 | |
19 | 1965年10月10日 | 廣島日出国 | 日本 | 2:18:35.8 | |
20 | 1966年11月27日 | マイク・ライアン | ニュージーランド | 2:14:04.4 | |
21 | 1967年12月3日 | デレク・クレイトン (Derek Clayton) |
オーストラリア | 2:09:36.4 | |
22 | 1968年12月8日 | ビル・アドコックス | イギリス | 2:10:47.8 | |
23 | 1969年12月7日 | ジェロム・ドレイトン | カナダ | 2:11:12.8 | |
24 | 1970年12月6日 | 宇佐美彰朗 | 日本 | 2:10:37.8 | |
25 | 1971年12月5日 | フランク・ショーター (Frank Shorter) |
アメリカ合衆国 | 2:12:50.4 | |
26 | 1972年12月3日 | フランク・ショーター (Frank Shorter) |
アメリカ合衆国 | 2:10:30.0 | |
27 | 1973年12月2日 | フランク・ショーター (Frank Shorter) |
アメリカ合衆国 | 2:11:45.0 | |
28 | 1974年12月8日 | フランク・ショーター (Frank Shorter) |
アメリカ合衆国 | 2:11:31.2 | ショーター4連覇達成 |
29 | 1975年12月7日 | ジェロム・ドレイトン | カナダ | 2:10:08.4 | |
30 | 1976年12月5日 | ジェロム・ドレイトン | カナダ | 2:12:35.0 | |
31 | 1977年12月4日 | ウィリアム・ロジャース | アメリカ合衆国 | 2:10:55.3 | |
32 | 1978年12月3日 | 瀬古利彦 | 日本 | 2:10:21.0 | |
33 | 1979年12月2日 | 瀬古利彦 | 日本 | 2:10:35 | ルール改正により記録表記が秒単位に戻る |
34 | 1980年12月7日 | 瀬古利彦 | 日本 | 2:09:45 | 瀬古3連覇達成 |
35 | 1981年12月6日 | ロバート・ド・キャステラ (Robert de Castella) |
オーストラリア | 2:08:18 | |
36 | 1982年12月5日 | ポール・バリンジャー | ニュージーランド | 2:10:15 | |
37 | 1983年12月4日 | 瀬古利彦 | 日本 | 2:08:52 | |
38 | 1984年12月2日 | 中山竹通 | 日本 | 2:10:00 | |
39 | 1985年12月1日 | 新宅雅也 | 日本 | 2:09:51 | コースを一部変更 |
40 | 1986年12月7日 | ジェマ・イカンガー | タンザニア | 2:10.06 | |
41 | 1987年12月6日 | 中山竹通 | 日本 | 2:08:18 | |
42 | 1988年12月4日 | 渋谷俊浩 | 日本 | 2:11:04 | |
43 | 1989年12月3日 | マヌエル・マティアス | ポルトガル | 2:12:54 | |
44 | 1990年12月2日 | ベライン・デンシモ | エチオピア | 2:11:35 | |
45 | 1991年12月1日 | 森田修一 | 日本 | 2:10:58 | コースを一部変更 |
46 | 1992年12月6日 | テナ・ネゲレ | エチオピア | 2:09:04 | |
47 | 1993年12月5日 | ディオニシオ・セロン | メキシコ | 2:08:51 | |
48 | 1994年12月4日 | ボアイ・アコナイ | タンザニア | 2:09:45 | |
49 | 1995年12月3日 | ルイス・アントニオ・ドスサントス | ブラジル | 2:09:30 | |
50 | 1996年12月1日 | 李鳳柱 | 韓国 | 2:10:48 | |
51 | 1997年12月7日 | ジョサイア・チュグワネ (Josia Thugwane) |
南アフリカ共和国 | 2:07:28 | |
52 | 1998年12月6日 | ジャクソン・カビガ | ケニア | 2:08:42 | |
53 | 1999年12月5日 | ゲザハン・アベラ (Gezahegne Abera) |
エチオピア | 2:07:54 | |
54 | 2000年12月3日 | 藤田敦史 | 日本 | 2:06:51 | |
55 | 2001年12月2日 | ゲザハン・アベラ (Gezahegne Abera) |
エチオピア | 2:09:25 | |
56 | 2002年12月1日 | ゲザハン・アベラ (Gezahegne Abera) |
エチオピア | 2:09:13 | |
57 | 2003年12月7日 | 国近友昭 | 日本 | 2:07:52 | |
58 | 2004年12月5日 | 尾方剛 | 日本 | 2:09:10 | |
59 | 2005年12月4日 | ドミトロ・バラノフスキー | ウクライナ | 2:08:29 | |
60 | 2006年12月3日 | ハイレ・ゲブレセラシェ (Haile Gebrselassie) |
エチオピア | 2:06:52 |
[編集] 世界記録
過去、本大会では2回世界記録(当時は世界最高記録)が樹立されている。
- 第21回(1967年) D.クレイトン 2:09:36.4
- 第35回(1981年) R.キャステラ 2:08:18.
クレイトンの記録は、多くの人が「1970年代の記録」と考えていたサブテン(2時間10分以内)を世界で初めて実現した歴史的なレースであった。
一方、キャステラの記録は当時アメリカのアルベルト・サラザールが同年のニューヨークシティマラソンで記録した 2:08:13 が世界最高記録とされており、世界最高とはアナウンスされなかった。その後、1984年になってサラザールの走ったレースは距離不足だったことが判明するが、そのときにはすでにイギリスのスティーブ・ジョーンズによって 2:08:05 の記録が樹立されており、一度も世界最高と呼ばれなかった不運な記録である。
[編集] テレビ・ラジオ中継の体勢
テレビ・ラジオとも主催する朝日新聞の系列である九州朝日放送(KBC)が放送に全精力を挙げる。
[編集] テレビ
- キー局テレビ朝日とKBC九州朝日放送の共同制作。
- 平和台陸上競技場に近い福岡市中央区長浜のKBC本社が中継ターミナルとなっている。
- 全国30局ネット(ANN系列26局+北日本放送、山梨放送、四国放送、高知放送にて放送。なお、山陰地方でのネットはされておらず、周辺各県のANN系列局が見られない限りテレビでの放映を見ることはできない。なお、ラジオ放送では山陰放送がネットしている。なお、NHK総合テレビが放送していた時代は当然ながら山陰地方でも見ることができた)
- テレビ朝日系列においては『駅伝・マラソン3大決戦第3弾』として位置づけられている。
- 移動中継車は3台配備される。
[編集] 第60回(2006年)
実況アナウンサー
- 平和台陸上競技場 吉野真治(テレビ朝日)
- 第1中継車 中山貴雄(テレビ朝日)
- 第2中継車 田上和延(九州朝日放送)
- 第3中継車 太田祐輔(九州朝日放送)
- ここ数年田上・太田両アナはテレビ中継の担当である。
- 香椎折り返し 川松真一朗(テレビ朝日)
移動中継車
- 1号車は名古屋テレビ(メ~テレ)の中継車(日野・スペースレンジャー)。以前はテレビ朝日の車両(三菱ふそう・ファイター)を使用していた。
- 2号車はテレビ朝日の中継車(三菱・シャリオを改造)を使用。
- 3号車はKBCの中継車(三菱ふそう・キャンター)を使用。
- 平和台陸上競技場にはテレビ朝日の大型中継車が配備される。
- 他にもバイク中継車などがテレビ朝日から配備される。
- 優勝者インタビューはKBCのアナウンサーが担当する。
- KBCは2006年12月1日、九州・沖縄の他の系列局とともに最後発組として地上デジタルテレビジョン放送を開始する。これに伴い、KBC地上デジタル放送開始記念として、ハイビジョンシステムによる中継、データ放送を活用した選手の情報や途中経過などの提供が行われる見通しである。
- 2006年以前の解説は、伊藤国光や宗茂が担当していた。
- また2006年以前の実況アナは、テレ朝のマラソン中継によく携わっていた森下桂吉アナがメイン実況を担当していた他、伊勢駅伝の実況担当の角澤照治アナ、またゴルフ中継担当の進藤潤耶アナも中継に携わっていた。
[編集] ラジオ
- ニッポン放送の制作協力のもと、KBC九州朝日放送をキーステーションに、NRN加盟局34局で全国放送される。
- 北海道ではSTVラジオ、大阪では朝日放送(ABC)がネットする。
- 栃木放送・茨城放送はニッポン放送がカバーしているため放送しない。
- 中継車はKBCが2台配備する。なお、実況担当は平和台陸上競技場をニッポン放送、中継車並びに折り返し地点をKBCのアナウンサーが担当している。
[編集] 第60回(2006年)
- 解説 宇佐美彰朗(東海大学体育学部教授兼陸上部顧問)
実況アナウンサー
- 平和台陸上競技場 山内宏明(ニッポン放送)
- ※以前は、ニッポン放送松本秀夫アナが担当していた。
- 第1中継車 岡田浩一(九州朝日放送)
- 第2中継車 小林徹夫(九州朝日放送)
- 岡田・小林両アナはここ数年、ラジオの中継担当である。
- 各地点(折り返し地点など)の実況や選手および監督のリポートは、九州朝日放送のアナウンサー(記者)が担当する。
[編集] 主催
- (財)日本陸上競技連盟
- 朝日新聞社
- テレビ朝日
- 九州朝日放送
[編集] 後援
[編集] 主管
- 福岡陸上競技協会
[編集] 支援
- 福岡県警察
- 陸上自衛隊第4師団
[編集] 協賛
2002年から現在は協賛社はないが、TV中継放送では「年末ジャンボ宝くじスポーツスペシャル」として放送している。なお、2006年以降はまだ決まっていない。(放送当日の番組字幕スーパーまで不明。)
[編集] 協力
- マツダ(1986年~1994年。大会車両)
- 三菱自動車工業(1995年~2001年。大会車両)
- セイコー(~1985年。公式計時)
- トヨタ自動車(2002年~。大会車両)
- シチズン時計(1986年~。公式計時)
- ニューバランスジャパン(1995年~2000年。競技用品)
- アシックス(1957年~1988年。競技用品)
- サントリー(1993年~2000年。公式飲料)
- カルピス(1992年。公式飲料)
- 大塚製薬(1981年~1991。公式飲料)
[編集] 参考図書
福岡国際マラソン選手権大会50年史編集委員会 『福岡国際マラソン選手権大会50年史』 朝日新聞社 1997