緑の党
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緑の党(みどりのとう)は、エコロジーや社会福祉を主義、信条とする政党の名前。
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[編集] 概要
主に欧米各国に存在する。また、前述の理想を実現する為、国際的に連帯しており、2001年4月16日にはオーストラリアのキャンベラでグローバルグリーンズ(緑の地球連盟)憲章が採択された。
緑の党的な組織の名称は英語で「Green Party」と「Greens」と言う二通りのパターンがあるが、日本語では両方とも「緑の党」と訳している。しかし、アメリカ合衆国の組織「Greens/Green Party USA」は両方の名称を党名に併記している為、同党の名称の決まった日本語訳が存在せず、米国で別個に活動している「Green Party」と混同される事が多い。
[編集] 緑の党一覧
- 緑の党 (ドイツ)
- 緑の党 (スウェーデン)
- 緑の党 (日本)
- 緑の党 (フィンランド)
- 緑の党 (フランス)
- 緑の党 (イタリア)
- 緑の党 (オーストリア)
- 緑の党 (ニュージーランド)
- 緑の党 2004 (ポーランド)
- グリーンレフト (オランダ)
- グリーンレフト (アイスランド)
- 社会党 (デンマーク) - デンマークの市民運動・環境政党
- デンマークには赤緑連合 (デンマーク)と名乗る政党があるが、国際的に緑の党との連携は無い。
[編集] 日本での試み
1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らにより日本みどりの党結成。その後太田派と非太田派に分裂、太田派は日本みどりの連合を結成した。その後、みどりといのちのネットワークとして再統合、大石武一らの推薦を受ける。同時期、水の浄化を訴える環境党が結成されている。また、重松九州男らを中心に結成された日本世直し党も「日本版緑の党」を名乗っていた。
1989年、山本コウタロー、北沢杏子、円より子、田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げるちきゅうクラブが、反原発運動の活動家を中心に原発いらない人びとが結成された。
1992年、「みどりといのちのネットワーク」・「ちきゅうクラブ」・「原発いらない人びと」を合併する形で環境政党「希望」が結成。代表は元社学同系全学連委員長の農民運動家藤本敏夫。
1995年、新党護憲リベラル内の反自民党派と環境保護運動の活動家らを中心に「憲法みどり農の連帯」が結成。同時期、農民運動の活動家らを中心に「みどりといのちの市民・農民連合」が結成。
1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫は黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境会議」結成。2002年、「みどりの会議」に改称。三木睦子の長女高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後はみどりのテーブルに活動を引き継ぐ。
地方政治においては消費者運動からスタートした生活者ネットワーク・神奈川ネットワーク運動・ネットワーク横浜や、市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑」、新潟県の地域政党「緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)等がそれに該当する。
[編集] 緑の党(三橋派・人民同盟)
- 日本にも80年代より「緑の党」を名乗る政治団体があり、各種選挙に出馬したり、関連組織日本ボランティア会が首都圏の各駅前で街頭募金活動をしたりしているが、こちらは毛沢東主義を掲げる日本労働党青森県委員会の分派であり、欧米のそれらとは主義主張を異にしている。環境政党である緑の党と区別するため、指導者三橋辰雄(故人)の名を取り「三橋派」「三橋派・人民同盟」などと呼ばれている。党首は対馬テツ子。機関紙は「日本新聞」だが、街頭募金の際手渡される新聞の切抜きやコピーには見出しである「緊急支援ニュース」などが目に付くようにしてある。機関誌「太陽の道」。かつて関西地区での街頭募金で駅の構内の自動券売機付近にて募金活動を行い、よくトラブルを起こしていた。
- 欧米の緑の党とは全く無縁であり、また日本みどりの党など国内の環境政党には批判的な立場だったにもかかわらず、「日本新聞」ではそれらの動向を、脚注も付けずにしばしば報道している。また、「エロ・グロ・ナンセンスに反対する女性の党」を掲げているが、「日本新聞」に性病に感染した女性器の写真を大きく掲載し、わいせつ物頒布罪に問われたこともある。
- 現在大田区に1人現職区議会議員がいる。他の地域でも、区議選を中心に選挙に積極的に出馬。
- 「緑フォーラム」という学習会を定期的に開催。歌声喫茶「銀河JOY」、劇団「荒野座」などを運営。大衆団体「人民同盟」「民族民主教育の会」などを組織。