田嶋陽子
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田嶋陽子(たじま ようこ、女性、1941年4月6日 - )は、英文学者、タレント、フェミニストである。岡山県浅口市(旧・鴨方町)出身。日本女性学会所属。元法政大学教授。元参議院議員。血液型B型。
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[編集] 経歴
- 静岡県沼津市育ち
- 1960年 静岡県立沼津西高等学校卒業
- 1964年 津田塾大学学芸学部卒業
- 1966年 同大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程を修了
- 1970年 イギリスに留学
- 1974年 法政大学第一教養部助教授に就任
- 1976年 法政大学第一教養部教授に就任
- 1979年 イギリスのロンドン大学に留学
- 2001年7月12日 社会民主党から参議院議員選挙に立候補、約50万票を得票し当選
- 2001年7月31日 法政大学教授を辞職
- 2002年10月7日 社会民主党の北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる対応などを批判し離党を表明。無所属議員に
- 2003年3月27日 神奈川県知事選挙に立候補、そのため参議院議員失職
- 2003年4月13日 神奈川県知事選挙に落選
[編集] メディア
- 1980年代には、NHK教育テレビの最上級者向け英会話番組「英語会話Ⅱ」(1985年~1988年)の司会進行役だった。英国人ゲストと流暢な英語で会話していたが、後にフェミニズムの論客になろうとは想像もつかぬほど地味な役回りだった。
- 1990年、フジテレビ系『笑っていいとも!』の「モリタ花婿アカデミー」のコーナーに講師として出演。それまではこの番組やタモリのことを全く知らなかったという。その時に初めてメディアで持論を展開し、反響を呼びその後レギュラーとして出演。
- 1991年1月7日にテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』にゲストとして出演。そこで「パンツも洗えないような男は一人前じゃないよね」という発言でビートたけしと論争になった。そこでたけしにもはっきりと自分の意見を言うキャラクターが受け、その後レギュラーとして出演し、世に「フェミニスト」という存在が知られるようになる。番組でもよく女性問題を扱うようになり、他の多くの男性パネリストと論戦バトルを繰り広げ、特に舛添要一がライバルだった。嵐山光三郎と出演した際は怒って途中退席した事もある。東京都知事になる前の石原慎太郎が出演した際には激しいディベートを繰り広げた。
- 1994年にニッセンのCMに出演し、その中の「見ーてーるーだーけー」のフレーズが有名。1996年には伊丹十三の映画「スーパーの女」にも出演。
- 2003年からよみうりテレビ『たかじんのそこまで言って委員会』に準レギュラーで出演。番組内でしばしば三宅久之、桂ざこば、橋下徹、宮崎哲弥、勝谷誠彦らと論戦になることがある。その中でも三宅・勝谷・橋下と口論になることが多いが、特に三宅久之との口論は番組の名物となり、因縁の対決とも言われている(ただ、三宅は田嶋の出演していない回の同番組で「田嶋さんがいないとテンションが上がらない」と発言していることから、ある意味田嶋との論戦を楽しみにしているようである)。2006年初回放送の中で「今年の公約」という項目に対し「三宅さんに『私が間違っていました』と言わせる」と宣言した(ちなみに三宅久之の公約は「猛女田嶋女史の精神を改造し素敵な女性にしたい」)。しかしこれらの公約は結局守られなかった。また、同番組で、「司会者までが私の事を憎んでいる」と田嶋が発言した事に対して、宮崎哲弥は、「愛してますよ」と発言し、この意見に橋下やたかじんを始めスタジオ全体が同調した。それに対し、田嶋は「うるさいよ」と言いながら照れていた。なお、この日は、三宅久之は出演していなかった。
- 北朝鮮の(日本人)拉致は、日本軍の従軍慰安婦を真似してやったと発言し、三宅氏にその場で面罵。視聴者から抗議も殺到。
- 2006年2月19日、歌手としてリサイタルを開催し、プロを目指してレッスンに励んでいる。
- 一見男性嫌いの印象も受けるが、実は異性に対しては非常にシャイである。バラエティ番組などでその一面を窺うことが出来る。最近では日本テレビ系『ダウンタウンDX』に出演し、「学業に専念してる間は男性は眼中にない。・・・ただ、論文を書き終えるたびに激しい恋愛がしたくなる」と語っている。
- かつて藤井厳喜がキャスターを務めるラジオ番組で、1991年の連邦最高裁判事に黒人で保守派のクラレンス・トマス判事が任命された件に絡み藤井氏に論破され番組中に泣き出しレギュラーを降板した逸話がある。
[編集] 人物
- フェミニストの立場で主に国内の女性差別問題から、人権擁護の考えに基づき従軍慰安婦問題や売春、朝鮮人の強制連行、FGM(女性器切除)等の国外の人権侵害全般に対する問題提起も行っている。従軍慰安婦問題では、そもそも従軍慰安婦に問題など無かったと主張する新保守派と意見が真っ向から対立している。
- フェミニストを自称し大学教授を務めていたため、フェミニズム学者のようなイメージを持たれているが、実際は英文学者として出発し、国内外の文学テキストのフェミニズム的読解を一般向けに発表していた。法政大学教員のポストも英文学の領域で得たものである。大学の講義も、第一教養部では英語に関する授業で中身は女性学というものを開講していた(後に法学部の専門科目を担当した際は、普通に日本語で女性学を講義した)。
- 「戦闘的フェミニスト」と称されることがある。テレビの討論番組などに出演した際、フェミニストの立場から自身の持論を強く述べる一方、一致しない意見にはその場ではっきりと反論を述べる。その発言がしばしば攻撃的ととられ、よく他の出演者と論戦になることがある。そこで反対意見や批判にあまり耳を貸さず、それらの発言を遮って話し続ける姿勢から独善主義的な所も見受けられるが、信念は常に首尾一貫しておりそこに共感を覚える人も少なくない。
- 田嶋のフェミニストとしての見解及びその実態は、男女平等主義ではなく、女尊男卑主義ならびに男性差別主義と言える。「男女」という表現は差別だから、「女男」という表現を使おうと主張した事があったが、この発言に関しては、伝統を重んじる自民党議員から「伝統的な日本語表現を破壊する言葉狩りだ!」といった猛反発をうけた。さらに「「男女」が差別なら、「女男」も差別だ。本当に平等を望む人間なら、もっと中性的な造語を作るもんじゃないのですか?」といった冷静な指摘に対しても、ヒステリックにまくしたてて、煙に巻いており、「フェミニスト=男性差別主義者」というイメージを構築している人物との評価が定着しつつある。保守派に嫌われる理由はここにある。
- かつて女子の体操着でもあったブルマーの廃止に貢献した一人でもある。テレビ番組でブルマーを批判し、理由として「はいた時に陰毛がはみ出てむだ毛処理が面倒くさいから」ということを挙げた。これがきっかけで男子または男性から大量のアンチを生み出すこととなった(本人にはそんなことは気にならないようで、「ブルマー廃止の情報を知るたびに上機嫌になる」とのこと)。それ以外の言動によっても多くの男性から嫌われる要素は多いと考えられる。
- 法政大学で教授をしていた頃、あまりにもキツ過ぎたために学生の間では評判が相当悪かったという。しかし当時の学生にも、他の教授と同様の休講を望んだり、授業態度が悪かったりと、授業を厳しくせざるを得ない原因があった模様。学生の中には、「男子学生にだけ厳しかった」との指摘をする者もおり、それゆえに女子学生からの評判はあまり悪くなかったとも言われる。
- 幼少の頃、戦争中で父親が召集され家を転々とし居候生活をしていた。小学生の頃、母親が脊椎カリエスを発病し寝たきりの生活を送っていたが、その中で母親から非常に厳しく育てられた。また学生の頃の夢は医者になることだった。
- 母親の脊椎カリエス養生中に、父親が自身の仕事のほかに家事一般を引き受けていたが、田嶋自身は家事を手伝ったことはなかった。
- 一度目のイギリス留学の間に、年下のベルギーの公爵に求婚され、交際中はお城での生活を送っていた。また二度目のイギリス留学でも帰国後10年間の「通い婚」を経験したと語っている。
- その主張や経歴(元社民党議員)から誤解されがちであるが、社会主義者やマルキストの類ではなく、むしろ経済競争を強調する新自由主義者と言える。歴史認識、憲法改正反対等で歩を同じくするはずの社民党・共産党に対しても「小さくまとまって何もできない人達」と手厳しい。経済格差を「絶対悪」とは認識していない点も、この二政党とは主張を異にする。また、かねてからイギリスのサッチャー政権(サッチャリズム)を全面的に支持しており、臨調行革路線や国鉄分割民営化、電電公社民営化などを手放しで支持し、小泉改革(郵政民営化には賛成)や堀江貴文に一定の評価を下すなど、経済的な面では新保守主義に対しては肯定的な立場を取るが、男女の役割分担や、性に関する問題、ジェンダーフリーといった経済面以外では、新保守主主義と真っ向から対立する。実際、第44回衆議院議員総選挙の時には、「郵政の対案すら出せず郵政問題に関して逃げた民主党には失望した」と発言し自民党を支持している。
- 元々政治に興味があったわけではなく特に社民党の政策を支持していたわけでもなかったが、参議院議員選挙出馬時の記者会見では「頼まれたから出馬することにした。自分の主張を国会に反映させられるなら何処でも良いと思っている。他党が社民党より優れていると判断すれば、直ちに移籍する。」と発言。しかし、2001年参院選より導入された比例区選出議員の政党間移動禁止を記者より指摘され、「何故出来ないのか。そんな議員の自由な活動を縛る制度はおかしい」と憤慨した。またその発言に対し「選挙民をだますという卑劣な手段だ」として、自民党議員から非難された。
- 選挙の時のスローガンは「変えよう変えよう!男の政治!」。ホイッスルやカスタネット、ドラムなどの鳴り物を派手に鳴らし、サンバのリズムで踊りながら街宣活動を展開した。
- 山本コウタローらの結成した環境政党「ちきゅうクラブ」の推薦人として名を連ねたことがある。
- 静岡県伊豆市にある「ライフハウス友だち村」で、年4回「田嶋陽子のおしゃべりサロン」を開催している。
- 趣味として毛筆で篆書の文字を書いている。
- 和服が好きで、創作きもの発表会なども開催している。(ただし田嶋自身は「女性の和装は、女性の行動を抑制しようとする男尊女卑の象徴」と主張しており、和装研究家から「日本文化を否定する暴論」と痛烈に批判されている)
- 韓流俳優イ・ビョンホンのファンであると公言している。
[編集] 出演番組
[編集] バラエティ
- 笑っていいとも!(1990年・フジテレビ)※「モリタ花婿アカデミー」講師として出演
- ビートたけしのTVタックル(1991年~・テレビ朝日)
- たかじんのそこまで言って委員会(2003年~・よみうりテレビ)※準レギュラー
- 踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
- ダウンタウンDX(日本テレビ)
- メレンゲの気持ち(日本テレビ)
- 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ)
[編集] ドキュメンタリー
- 世界わが心の旅 ~スマトラ大地の女たち~(NHKBS)
[編集] ダンス
- オールスター Shall we dance?(2005年12月30日)
- ウリナリ!! 芸能人社交ダンス部(2006年3月21日)
[編集] ドラマ・映画
- ドラマ「魚河岸のプリンセス」(1998年・NHK)
- 映画「スーパーの女」(1996年)
- 映画「メトレス」(2000年・松竹)
[編集] 語学
- 英語会話Ⅱ(1985年~1988年・NHK教育)※英語講師として出演
[編集] CM
- ニッセン(1994 - 1996年)
- YKK(1996年)
- ネスレ「ネスレ ニド」(1996年~1997年)
- ヴァージン・アトランティック航空(1999年)
- マイクロソフト「Office XP」(2001年)
[編集] 著書
- 愛という名の支配(講談社α文庫・2005年/太郎次郎社・1992年)
- もう、「女」はやってられない(講談社・1993年)
- だからなんなのさ! -史上最強の田嶋語録(テレビ朝日・1995年)
- それでも恋がしたいあなたへ -私の体験的恋愛論(徳間文庫・1999年)
- 田嶋陽子が人生の先達と考える女の大老境(マガジンハウス・1997年)
- ヒロインはなぜ殺されるのか(講談社・1997年)
- だから、女は「男」をあてにしない(講談社・2001年)
- もう男だけに政治はまかせられない(オークラ出版・2002年)
- 女は愛でバカになる(集英社・2003年)
[編集] 訳書
- 現代イギリス女流短編集(Muriel Spark著・太陽社・1974年)
- ※全317ページ中、「ゴー・アウェイ・バード」(101~161ページ)を担当。
- シベリアの馬ジャンパー(Nicholas Kalashnikoff著・ぬぷん児童図書出版・1978年)
- 届かない手紙-レベッカ・ウエスト(フェイ・ウェルドン著・山口書店・1997年)