自爆テロ
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自爆テロ(じばくテロ)とは、犯人自身も死亡する事を前提とした殺人・破壊活動などのテロ犯罪である。技術やコストがかからず目標まで誘導して攻撃できることから『貧者のスマート爆弾』とも言われる。もともと英語のSuicide bombingを日本語訳した言葉だが、原語が軍施設や兵士に向けられた攻撃・破壊活動も含むのに対して日本語の『自爆テロ』では特に無関係・無抵抗の民間人に向けられたテロ攻撃を示すことが多い。
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[編集] 概要
その嚆矢となったと思われるのが1971年に発生した岡本公三ら日本赤軍によるイスラエル・ロッド空港(現在のベン・グリオン国際空港)に於ける無差別乱射事件である(注:ここで自爆があったかについては自爆説とイスラエル反撃説とに分かれていて不明。またこの事件は一般的には乱射事件として認識されており、自爆攻撃との関連は不明)。
はじめに自爆テロ戦術が多発したのは、スリランカのタミル・イーラム・解放の虎(LTTE)であり、シンハラ族とタミル族双方の民族紛争と虐殺の中で生み出された戦法であった。1990年代は襲撃と並んで闘争手段の一つとなり、女性自爆者も出ている。
中東地域では1983年4月18日のベイルートにおけるアメリカ大使館爆破事件でイスラムシーア派組織ヒズボラが実行して以後、イスラム過激派(当初は主にシーア派)の常套的な攻撃方法として定着する。以降、チェチェン紛争、パレスチナの第二次インティファーダ、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争を経て、イスラム過激派による自爆テロの発生件数と犠牲者は増加の一途をたどっている。
特にイラク戦争以降、イスラム教徒のあいだで反欧米感情が高まるとともに、イスラム世界を中心に世界各国に拡散する傾向にある。たとえば、今まで自爆テロのなかったヨーロッパでも、スペインのマドリッド列車爆破テロで実行犯の一部が逮捕のさい自爆したほか、イギリスロンドンバス爆破テロでイスラム系住民の若者が自爆。アフガニスタンにおいては、ソ連のアフガニスタン侵攻や軍閥内戦時代にもほとんど見られなかった自爆テロが、近年になって首都カブールなどで頻発している。いずれもイラク戦争で伸張したアルカーイダの影響が大きいと指摘されている。最近では、テロリストがストリートチルドレンなどの子供を騙し荷物(爆弾)を兵士に渡した所でタイマーなどで爆発させるといった手段も使われている。
なお、国際法においては兵士が戦闘中に敵兵士や軍施設に対して自爆攻撃を行うのは違法ではない。これに関してアメリカがすべての自爆攻撃を禁止する国際法案を国際連合に提出しようとしたところ、アラブ各国を中心として、アメリカがアフガニスタンやイラクで使用した大規模破壊兵器(クラスター爆弾やデイジーカッターなど)も禁止するよう主張して対立したため立ち消えになってしまっている。
[編集] 特徴
犯人も同時に死亡するため、首謀者やその組織を見つけ出すことがきわめて困難(注:パレスチナその他の地域の武装組織では犯人によるビデオなど、攻撃の意志を示すものが多く、身元の判別は容易。その他の事件では、声明がない場合があり、動機の判定も難しい)で、このテロ攻撃を阻止することは極めて難しい。
しかし、自爆テロは、同時にそれだけの士気を持った人間を喪失することになり、結果として少数派である組織、集団の質を加速度的に下げていく(これは自爆攻撃全般に言えることで、日本の特攻も結局特殊技能である航空機操縦者の不足に拍車をかける結果になっている)。この為、自爆テロを行っている集団はまず、主流になることは不可能であるとされている。
自爆テロ戦術の浸透する条件として、下記のものが挙げられる。
- おもに宗教的指導者が率いる私軍やゲリラ組織で
- 自軍の装備戦力が決定的に劣っていること
- 住民が自国政府または外国の軍隊の強い抑圧下にあって自爆テロ志願者を徴募しやすいこと。
チェチェン紛争を例に上げると、ロシア軍が苦戦した第一次チェチェン紛争においては、チェチェン独立派の間で自爆テロ戦術は使用されていない。第二次チェチェン紛争において、独立派が敗退しチェチェン全土がロシア軍の制圧下におかれると、それまでの民族主義的なゲリラ組織に代わって、アミール・ハッターブ率いるイスラム原理主義組織が台頭し、それにともない自爆テロが頻発するようになった。
[編集] 神風特攻
一部では太平洋戦争末期に日本軍のとった戦術であるカミカゼ(神風特別攻撃隊)を名乗る事が在り、特攻隊の影響も見られる(これについては諸説あって不明)。
尚、それとは別にアメリカを中心に自爆テロと特攻隊を同一視する意見や報道が有る。それらは国家間の戦争とテロリズムとを攻撃方法が似ているだけで同一視をする異説との意見もあるが、国際的な認識ではともにw:Suicide attackまたはw:Suicide bombとして扱われ明確に区別されてはいない。
また“KAMIKAZE”という言葉自体が自爆攻撃を示す英語として一般名詞化しており日本文化への悪意はない、と説明する米メディアも多いが、9・11を「第二のパールハーバー」と呼ぶなど、かつての対日戦争の影響は無視できないと言える。
[編集] 主な自爆テロ事件
- レバノン内戦でのイスラム教徒ゲリラによるイスラエル軍への自爆攻撃
- 1992年11月18日 - クランシー・フェルナンド スリランカ海軍司令長官、LTTEの自爆テロにより暗殺。
- 1993年5月1日 - ラナシンハ・プレマダーサ スリランカ大統領、LTTEの自爆テロにより暗殺。
- 1996年7月4日 - スリランカ軍准将アナンダ・ハマンゴダ、LTTEの自爆テロにより暗殺。
- 1996年12月17日 - スリランカ特殊部隊副隊長S.S.P.サハバンドゥ、LTTEの自爆テロにより暗殺。
- 1997年12月28日 - スリランカ、ゴール海軍基地でLTTEによる自爆テロ。死者3名。
- 1998年2月6日 - スリランカ、コロンボでLTTEによる自爆テロ(実行者は女性)。死者8名。
- 1998年3月11日 - スリランカ、トリンコマリー沖でLTTEシー・タイガーによる自爆攻撃。スリランカ海軍艦船が沈没。
- 1999年7月29日 - スリランカ、コロンボでタミル統一解放戦線国会議員ニーラン・ティルチェルヴァム、自爆テロにより暗殺。
- 1999年8月4日 - スリランカ、ワウニヤでスリランカ政府特殊部隊隊員のトラックに自爆テロ(実行者は女性)。死者10人、負傷者20人。
- 1999年8月9日 - スリランカ、ワカライ基地で自爆テロ。死者1名。
- 1999年9月2日 - スリランカ、ワウニヤでタミル・イーラム人民解放機構の副リーダー、N.マニッカダサン、イランゴ軍司令官が自爆テロにより暗殺。
- 1999年12月18日 - スリランカ、コロンボで、人民連合の大統領選挙キャンペーン集会で自爆テロ。死者26人、負傷者100人以上。クマーラトゥンガ大統領はこの事件で右目を失明。
- 2000年3月2日 - スリランカ、トリンコマリーで自爆テロ。死者1人、負傷者2人。
- 2000年6月14日 - スリランカ、コロンボで自爆テロ。死者2人、負傷者13人。
- 2000年10月19日 - スリランカ、コロンボで自爆テロ。負傷者23人。
- 2001年9月9日 - アフマド・シャー・マスード暗殺。二人組の男がジャーナリストを装い爆弾を爆発させる。犯人の1人は死亡。残る1人も射殺された。
- 2001年9月11日 - ニューヨークでハイジャックされた民間旅客機が相次いでワールドトレードセンターのツインタワーに突入。死者約3,000人。→アメリカ同時多発テロ事件
- 2002年3月27日 - イスラエルのネタニヤでユダヤ教の祝日「過ぎ越しの祭り」を祝うパーティーに自爆テロ犯が侵入。28人が死亡。被害者の中にはホロコースト生存者も含まれており、4月のイスラエルによるヨルダン川西岸侵攻の引き金となる。
- 2003年7月5日 - モスクワ郊外のロックコンサート会場で自爆テロ。観衆20人以上が死亡。
- 2003年11月12日 - ナシリヤ(イラク南部)のイタリア軍警察本部に自爆テロ。イタリア人18人を含む27人以上が死亡。
- 2003年11月15日 - イスタンブール(トルコ)の2つのシナゴーグに自爆テロ。25人以上が死亡。
- 2003年11月20日 - イスタンブール(トルコ)のイギリス総領事館及び香港上海銀行本部に自爆テロ。ロジャー・ショート総領事を含む27人以上が死亡。450人以上が負傷。
- 2004年2月6日 - モスクワの地下鉄で自爆テロ。39人が死亡。