自由民主党総裁選挙
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自由民主党総裁選挙(じゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は日本の自由民主党において、党総裁を選出する選挙。
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[編集] 概説
自由民主党総裁は党員・党友(「自由国民会議」「国民政治協会」会員)による公選が原則だが、両院議員総会で選ばれることもある。党員の国会議員のみ選出される資格を持つ。また、過去には党幹部による話し合いで決定されたことや、形は公選だが実質的には事前に決まっていたことも多い。
自由民主党総裁は一時期の例外を除き、単独または連立与党の協力を得て国会での首相指名選挙において内閣総理大臣に指名されてきたため、自由民主党総裁選挙は事実上の首相指名選挙として注目される。
[編集] 選挙の方法
党所属国会議員20人により推薦された党所属国会議員のみが総裁候補になることができる。
党大会による総裁選挙の場合、党員票と国会議員票によって行われる。国会議員の投票と党員予備選挙は無記名投票である。国会議員票は一人1票として計算する。党員票と国会議員票の有効投票総数の過半数を得た候補が自由民主党総裁となる。過半数を得た候補がいない場合、得票数の多かった上位2名で国会議員のみによる決選投票を行い、得票数の多かった候補を当選者とする。
[編集] 過去の自由民主党総裁選挙
年月日 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 無効票 | 推薦 | ||||||
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1956年4月5日 | 鳩山一郎 | 394 | 岸信介 | 4 | 9 | - | |||||||
1956年12月14日 | 一 | 岸信介 | 223 | 石橋湛山 | 151 | 石井光次郎 | 137 | - | |||||
決 | 石橋湛山 | 258 | 岸信介 | 251 | |||||||||
1957年3月21日 | 岸信介 | 471 | 松村謙三 | 2 | 2 | - | |||||||
1959年1月14日 | 岸信介 | 320 | 松村謙三 | 166 | 5 | - | |||||||
1960年7月14日 | 一 | 池田勇人 | 246 | 石井光次郎 | 196 | 藤山愛一郎 | 49 | 7 | - | ||||
決 | 池田勇人 | 302 | 石井光次郎 | 194 | |||||||||
1962年7月14日 | 池田勇人 | 391 | 佐藤栄作 | 17 | 20 | - | |||||||
1964年7月10日 | 池田勇人 | 242 | 佐藤栄作 | 160 | 藤山愛一郎 | 72 | 1 | - | |||||
1964年12月1日 | 佐藤栄作 | 候補者1人(池田総裁の裁定で総裁選出) | - | ||||||||||
1966年12月1日 | 佐藤栄作 | 289 | 藤山愛一郎 | 89 | 前尾繁三郎 | 47 | 灘尾弘吉 | 11 | 野田卯一 | 9 | 5 | - | |
1968年11月27日 | 佐藤栄作 | 249 | 三木武夫 | 107 | 前尾繁三郎 | 95 | 1 | - | |||||
1970年10月29日 | 佐藤栄作 | 353 | 三木武夫 | 111 | 3 | - | |||||||
1972年7月5日 | 一 | 田中角栄 | 156 | 福田赳夫 | 150 | 大平正芳 | 101 | 三木武夫 | 69 | 7 | 10人 | ||
決 | 田中角栄 | 282 | 福田赳夫 | 190 | |||||||||
1974年12月4日 | 三木武夫 | 候補者1人(椎名悦三郎副総裁の裁定で総裁選出) | 10人 | ||||||||||
1976年12月23日 | 福田赳夫 | 候補者1人(両院議員総会の話し合いで総裁選出) | 10人 | ||||||||||
1978年11月26日 | 予 | 大平正芳 | 748点 | 福田赳夫 | 638点 | 中曽根康弘 | 93点 | 河本敏夫 | 46点 | 20人 | |||
本 | 大平正芳 | 2位が辞退 | |||||||||||
1980年7月15日 | 鈴木善幸 | 候補者1人(西村英一副総裁の裁定で総裁選出) | 20人 | ||||||||||
1980年11月27日 | 鈴木善幸 | 候補者1人(大平総裁の任期満了に総裁選で無投票再選) | 20人 | ||||||||||
1982年11月24日 | 予 | 中曽根康弘 | 559673 | 河本敏夫 | 265078 | 安倍晋太郎 | 80443 | 中川一郎 | 66041 | 50人 | |||
本 | 中曽根康弘 | 2位以下が辞退 | |||||||||||
1984年10月30日 | 中曽根康弘 | 候補者1人(中曽根総裁の任期満了による総裁選で無投票再選) | 50人 | ||||||||||
1986年9月11日 | 中曽根康弘 | 任期1年延長(両院議員総会で中曽根総裁の任期延長を全会一致で再選) | - | ||||||||||
1987年10月31日 | 竹下登 | 候補者1人(中曽根総裁の裁定で総裁選出) | 50人 | ||||||||||
1989年6月2日 | 宇野宗佑 | 候補者1人(竹下総裁の裁定で総裁選出) | 50人 | ||||||||||
1989年8月8日 | 海部俊樹 | 279 | 林義郎 | 120 | 石原慎太郎 | 48 | 20人 | ||||||
1989年10月31日 | 海部俊樹 | 候補者1人(竹下、宇野総裁の任期満了に総裁選で無投票再選) | 20人 | ||||||||||
1991年10月27日 | 宮沢喜一 | 285 | 渡辺美智雄 | 120 | 三塚博 | 87 | 30人 | ||||||
1993年7月30日 | 河野洋平 | 208 | 渡辺美智雄 | 159 | 20人 | ||||||||
1993年9月30日 | 河野洋平 | 候補者1人(宮沢総裁の任期満了による総裁選で無投票再選) | 20人 | ||||||||||
1995年9月22日 | 橋本龍太郎 | 304 | 小泉純一郎 | 87 | 30人 | ||||||||
1997年9月11日 | 橋本龍太郎 | 候補者1人(橋本総裁の任期満了による総裁選で無投票再選) | 30人 | ||||||||||
1998年7月24日 | 小渕恵三 | 225 | 梶山静六 | 102 | 小泉純一郎 | 84 | 20人 | ||||||
1999年9月22日 | 小渕恵三 | 350 | 加藤紘一 | 113 | 山崎拓 | 51 | 20人 | ||||||
2000年4月5日 | 森喜朗 | 候補者1人(両院議員総会の話し合いで総裁選出) | 20人 | ||||||||||
2001年4月24日 | 小泉純一郎 | 298 | 橋本龍太郎 | 155 | 麻生太郎 | 31 | 20人 | ||||||
2001年8月10日 | 小泉純一郎 | 候補者1人(小渕、森総裁の任期満了による総裁選で無投票再選) | 20人 | ||||||||||
2003年9月20日 | 小泉純一郎 | 399 | 亀井静香 | 139 | 藤井孝男 | 65 | 高村正彦 | 54 | 20人 | ||||
2006年9月20日 | 安倍晋三 | 464 | 麻生太郎 | 136 | 谷垣禎一 | 102 | 20人 |
※1972年以前の総裁選挙は立候補制ではないので、立候補をしなかった議員への票も有効票として計算されている
※1978~1982年には一般党員による予備選挙が導入されていた。
※1978年は1000票を1点と計算し上位2名に比例配分される点数方式で、予備選挙の上位者2名が国会議員による本選挙に進出する方式。
※1982年は総得票方式で、上位者3名が本選挙に進出する方式。
[編集] 備考
- 生一本・ニッカ・サントリー・オールドパー
- かつて自民党総裁選において聞かれた隠語。所属派閥の意向に従うのを「生一本」、二派から金を貰うのを「ニッカ」、三派全てから金を貰うのを「サントリー」、あちこちから金を貰ったらしいが誰に投票したかわからないのを「オールドパー」と呼んだ。又、個々の議員を個別に買収する「一本釣り」に対して小派閥をまるごとカネで買うことを「トロール」と呼んだ。
- 参議院議員の総裁候補
- 総裁候補は自民党所属の国会議員であることが条件になっているが、過去の総裁選では参議院議員の自民党議員が立候補した例はない。衆議院の優越の問題、総理総裁が決定権を持つ衆議院解散権において国会議員の身分が保証されている参議院議員によって衆議院を解散することは憲政上問題があると指摘する声がある。