藤井猛
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藤井 猛(ふじい たけし、1970年(昭和45年)9月29日 - )は、日本の将棋棋士。棋士番号198。群馬県沼田市出身。西村一義九段門下。
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[編集] 人物
- いわゆる「羽生世代」の一人で、振り飛車党の旗手的存在。ただし羽生世代の中でも早熟であったチャイルドブランドたち(羽生善治、佐藤康光、森内俊之、故村山聖、郷田真隆、先崎学)とは異なり、丸山忠久などと共にやや遅れて台頭してきたグループに属する。
- 得意戦法は四間飛車で、現代四間飛車最強の使い手の一人として誰もが認めるところである。また、振飛車退治にも好成績を残している。
- 藤井システムの創始者であり、その戦法は将棋界に革命をもたらした。序盤のセンスおよび研究家としての能力は将棋界随一とも言われる。終盤、大胆に大駒を切って、小駒で露骨に相手玉に向かって攻めてゆく棋風から「ガジガジ流」というニックネームがついている。そのため、居飛車感覚の振飛車ともいわれる。
- 1986年に奨励会に入会。5年をかけ1991年に四段に昇段し、プロ入り。さらに3年かけて五段になる。棋士としては遅咲きの部類に入る。
- 1998年に竜王戦の挑戦者になり、当時磐石を築きつつあった藤井システムを用いて谷川浩司を4-0のストレートで破り、竜王位を奪取した。
- 同じ振り飛車党である鈴木大介を迎えた1999年の竜王戦は、自ら振り飛車を封印して全局居飛車で戦い、4-1で防衛に成功した。この棋戦では居飛車でも十分戦えることを示した。当時鈴木が相振り飛車で高い勝率を誇っていたことも振り飛車を封印した理由の1つであると藤井は雑誌で語っている。
- 翌2000年、羽生善治を4-3で下し、竜王戦初の3連覇達成。羽生を相手にタイトルを防衛した数少ない棋士の一人である。2001年、再び羽生の挑戦を受け、1-4で竜王位を奪われることになるが、谷川、羽生をタイトル戦で下したことで晴れて一流棋士の仲間入りをすることになる。特に、この羽生との連戦は、居飛車対振り飛車の頂上対決として多くのファンを熱狂に取り込んだ。現在、若手棋士に振り飛車党が極端に増えているのも、こうした活躍の影響が大きい。
- 2000年王座戦では、竜王戦以外で初めてタイトル挑戦者になり、2-3で敗れたものの「勝っても負けてもフルセットにします」の宣言を実現させファンを沸かせた。
- 2006年、第24回朝日オープン将棋選手権で羽生善治に挑戦し、1-3で敗れる。この時控え室で着ていた派手なシャツが話題にのぼる。
- 純粋振り飛車党である自らを鰻屋に例え「こちとら鰻しか出さない鰻屋だからファミレス(オールラウンダー)の鰻に負けるわけにはいかない」と語ったことがある。ただし、「ファミレスの鰻も最近はうまい」と続けている。
- 筋違い角戦法に対しては90%勝てると公言している
- 「猛」という名前はボクシング元世界チャンピオンの藤猛からとられた。
[編集] 昇段履歴
- 1986年 6級
- 1988年10月 初段
- 1991年4月1日 四段
- 1994年4月1日 五段
- 1995年4月1日 六段
- 1998年10月1日 七段
- 1999年10月1日 八段
- 2000年10月1日 九段
[編集] 主な成績
(2007年4月1日現在)
- 竜王戦 - 1組(1組以上 - 9期)
- 順位戦 - A級(A級 - 5期)
[編集] 獲得タイトル
- 竜王 3期(第11期 - 13期)
[編集] 一般棋戦の優勝歴
- 早指し将棋選手権戦 1回(第33回)
- 早指し新鋭戦 1回(第16回)
- JT将棋日本シリーズ 2回(第23回・26回)
- 新人王戦 3回(第27回・28回・30回)
合計7回
[編集] 将棋大賞
- 第24回(1996年度) 升田幸三賞
- 第26回(1998年度) 最多対局賞・最多勝利賞・技能賞
- 第27回(1999年度) 殊勲賞
- 第28回(2000年度) 技能賞
[編集] 記録(歴代1位のもの)
- 竜王戦連覇 3期(渡辺明とタイ記録)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
名人戦(名人・森内俊之) |
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