お歯黒
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お歯黒(おはぐろ)は明治時代以前の日本や15世紀の東南アジア、中国雲南省のミャオ族、ラフ族、ヤオ族、ベトナムのザオテン族、タイのアカ族、リス族の主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法である。
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[編集] 日本
日本では古代から存在したとされ、民間には明治時代末期まで見られた。漆のような艶のある真っ黒が美しいとされた
[編集] 名称
「お歯黒」というのは日本の貴族の用語である。「おはぐろ」の読みに鉄漿の字を当てることもある。御所では五倍子水(ふしみず)という。民間では鉄漿付け(かねつけ)、つけがね、歯黒め(はぐろめ)はなどとも。
[編集] 歴史
古くは、三国志『魏志倭人伝』に倭国の東方に黒歯国があると記述がある。古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にお歯黒の跡が見られる。753年に鑑真が持参したお歯黒の製法が東大寺の正倉院に現存する。
お歯黒に関する言及は源氏物語、堤中納言物語にもある。平安時代の末期には、第二次性徴に達し元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行った。
室町時代には一般の大人にも浸透したが、戦国時代に入ると政略結婚に備えて8~10歳前後の戦国武将の息女へ成年の印として鉄漿付けを行ない、このとき鉄漿付けする後見の親族の夫人を鉄漿親(かねおや)といった。又、一部の戦国武将(主に小田原北条家をはじめとする平家系)は戦場に赴くにあたり首を打たれても見苦しくないように、ということから女性並みの化粧をし、お歯黒まで付けた、という。これらの顔が能面の女面、少年面、青年面に写された。
江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間では殆ど廃絶、又、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって既婚女性、未婚でも18~20才以上の女性、及び、遊女、芸妓の化粧として定着した。農家においては祭り、結婚式、葬式、等、特別な時のみ、お歯黒を付けた(ごんぎつねを参照)。
1870年2月5日、政府から皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出され、それに伴い民間でも徐々に廃れ(明治以降農村では一時的に普及したが)、大正時代にはほぼ完全に消えた。
現代においては、演劇、花街、一部の祭り、1960年代頃までの時代劇映画(大映、等)のDVD、等で見ることが出来るだけである。
尚、お歯黒は引眉とセットになる場合が多い。
以上をまとめると、以下の通りである。
[編集] 染料
鉄漿を「かね」と読むと、染めるのに使う液を表す。 主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液で、これに五倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉を混ぜて非水溶性にする。歯を被膜することによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより浸食に強くなる、などの実用的効果もあったとされる。毎日から数日に一度、染め直す必要があった。
又、簡便にした処方として、五倍子粉、緑バン、蠣殻を合わせた粉末を歯に塗るだけのものもあったが、あまり普及しなかった。
演劇用には松脂に墨を混ぜたものが使われ、現代ではトゥースワックス(蝋に墨を混ぜたもの)が使われる。
[編集] 現在お歯黒を見ることが出来る場所等
- 演劇
- 歌舞伎(既婚女性、平安貴族、遊女、芸者役)
- 花柳界
- 祭り
[編集] 参考文献
- 日本審美歯科協会 「歯のおはなし > お歯黒あれこれ」