アル・ジョルソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アル・ジョルソン(Al Jolson, 1886年5月26日 - 1950年10月23日)は、リトアニア生まれのアメリカ合衆国の歌手、俳優。黒塗りの顔で黒人を演じ、大げさな演技とオペラ風の歌い方、口笛、そして聴衆に直接語りかけるスタイルを確立し、20世紀のアメリカを代表するエンターテイナーの一人となった。
エイサ・ヨエルソン (Asa Yoelson) としてリトアニアのセレジウスでユダヤ人の家庭に生まれる。父はハザン。一族の本来の苗字はヘッセルソン(Hesselson)である。幼い頃に家族と共に渡米し、ブロードウェイで人気歌手となった。
1927年、最初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』に出演。歌手としての代表作はガーシュウィンの「スワニー」である。
政治的には保守派であり、1924年の選挙に際しては、民主党候補ジョン・ウィリアム・デイヴィスを支持していた他のユダヤ系芸能人と違って、デイヴィスの対立候補のカルヴィン・クーリッジを支持した。
1940年にブロードウェイを引退してからはラジオで活躍。1946年にはコロンビア社が彼の伝記映画『ジョルスン物語』を作り、『風と共に去りぬ』以来の大入りを記録。1948年には人気投票でフランク・シナトラやビング・クロスビーやペリー・コモを凌ぎ、「最も人気ある男性歌手」部門で1位となった。
にも拘らず、ジョルソンは今日ほとんど無視されている。黒塗りの顔で黒人を演じたことが(当時は普通だったが)今では人種差別的と見なされているためである。
1950年、医師の反対を振り切って朝鮮半島のアメリカ軍へ慰問に行き、心臓を悪くしたことが彼の死因となった。ジョルソンが心臓麻痺によりサンフランシスコで亡くなった日に、ブロードウェイは彼を偲んで10分間電灯を消した。
カテゴリ: 1886年生 | 1950年没 | リトアニアの人物 | アメリカ合衆国の俳優 | アメリカ合衆国の歌手