アレクサンダー大塚
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アレクサンダー大塚 | |
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基本情報 | |
本名 | アレクサンダー大塚 |
あだ名 | リアル1・2の三四郎 |
階級 | ジュニアヘビー級(プロレス) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1971年7月17日 |
出身地 | 日本 徳島県徳島市 |
現居住地 | |
スタイル | プロレス |
戦績 | |
総試合数 | 13 |
総勝利数 | 3 |
KO勝ち | 2 |
一本勝ち | 0 |
判定勝ち | |
総敗北数 | 10 |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
大塚崇(おおつか たかし、1971年7月17日 - )は、日本の男子プロレスラー、総合格闘家である。身長182cm、体重92kg。リングネームアレクサンダー大塚として最も知られる。アレクサンダーの名は、大塚が尊敬するアレクサンダー・カレリンに因む。徳島県徳島市出身。
彼のリングで着用するタイツには「DIET BUTCHER」と明記されている。
以前NHK-BSの「おーい!ニッポン」の茨城県編において、大洗サンビーチからの中継レポーターとして(中島史恵と共に)出演していた。
目次 |
[編集] 経歴
徳島県立徳島東工業高等学校でアマチュアレスリング部に在籍していた。部の先輩には新崎人生がいる。
藤原組に入団後の1995年8月18日に、米山聡(現:モハメド・ヨネ)戦でプロレスデビュー(ヨネと共に藤原喜明の最後の弟子)。1996年に格闘探偵団バトラーツ設立と共に同団体所属となる。
妻子あり(妻は紙のプロレス元社員の、のものも)。バトラーツ時代はモハメド・ヨネとの「ラブ・ウォリアーズ」で活躍。
1998年から総合格闘技へも参戦を開始。PRIDE4での総合格闘技デビュー戦で、マルコ・ファス相手にTKO勝利を収めた。格闘家として更なる飛躍を期待されたが、この時がピークで、以降プロレスにおいてさえも全くいい所なく現在に至る。
2001年にプロレス団体ZERO-ONE旗揚げ戦にも出場し(相手はNO FEAR{高山善廣、大森隆男組}でパートナーは高岩竜一)、その後真撃シリーズにも参加する。しかし、同団体の旗揚げ第二戦でデビュー半年程度の杉浦貴とのシングルマッチで勝利こそ収めたものの試合内容で完全に圧倒され、評価を決定的に落とす結果となった。また、不甲斐ない(業界用語として”しょっぱい”)試合を見せた大塚に対し、橋本真也がマイクで「おいっ。アレク(大塚の事)なんてこんなもんか。もっとしっかりしろ」という檄を飛ばされたのは名シーンである。2003年の火祭りにも出場。
プロレスラーとしての活動も継続しており、2005年10月9日からみちのくプロレスでは男盛(おとこさかり)としても活動している。
最近ではめちゃ×2イケてるッ!内のコーナー、「只今参上!色とり忍者」に桃ハゲ'として出演中ではないかと同コーナー内で加藤浩次は語っている。そして内山信二に「プロレスラー崩れでしょ?」といわれ、逆に「後楽園ホールでやるか?(後楽園ホールはプロレスラーの聖地と言われている)」と言っている。(これは桃ハゲをアレクサンダー大塚と仮定した話であるが。)
[編集] リングネーム
大塚が現在、過去に用いたことがあるリングネーム
- アレクサンダー大塚
- シュー・キム(メキシコ遠征時)
- 男盛(おとこさかり)(2005年10月9日より、みちのくプロレスにて)
[編集] 得意技
- アレクサンダー大塚
- うず潮スイング
- 眉山(2段式ジャーマン・スープレックス)
- 高校時代の先輩である新崎人生とのタッグ時に開発した合体技。相手を後ろからホールドした大塚ごとジャーマンスープレックスで投げ捨てる。2人分の力で投げられる相手はかなり危険な角度で落ち、まさに一撃必殺。後に佐々木健介と中嶋勝彦のタッグもこの合体技を使用している。
- ちなみに技名の「眉山」とは、出身地・徳島市にある山の名前である。
- 男盛(おとこさかり)
- 浴びせ盛り
- 廻し盛り
- もろ出し ※(相手から技をかけられ大股開き状態になり、ふんどしからハミ出すギリギリでレフィリーストップまたはセコンドのタオル投入などにより自分が負けてしまう逆フェイバリットホールド技。)
[編集] その他
- 所属事務所: AO/DC
- 入場曲
- アレクサンダー大塚: "AO"corner 青西高嗣
- 男盛: Europa (Earth's Cry Heaven's Smile) Santana