アレクサンドル・ソルジェニーツィン
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アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(Александр Исаевич Солженицын、Alexander Isaevich Solzhenitsyn, 1918年12月11日 - )は、ロシア生れの作家で90年代ロシア再生の国外からの提言者。
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[編集] 経歴
1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。1958年にニキータ・フルシチョフによって名誉回復される。
1962年、スターリン時代の収容所の1日を描いた処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し世界的ベストセラーに。1964年10月15日のフルシチョフ失脚から暗転。1970年度ノーベル文学賞を受賞するも、1974年2月12日逮捕、国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。スイスを経て、1976年9月米国に移住。
1982年9月、密かに短期来日。過酷な運命を耐え抜いたロシア正教徒としての神の信仰で宗教界のノーベル賞とも言える1983年度テンプルトン賞受賞。ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカで1990年8月ソ連市民権回復。同年9月、『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』はソビエト国内で2,650万部が出版されソ連国民の白熱の議論を呼んだ。ゴルバチョフは同月25日ソ連最高会議の席上で彼の論文を絶賛。ロシアの再生に大きな影響を与えた。1994年5月27日亡命先の米国からロシア連邦に帰国。1997年5月からロシア科学アカデミーの正会員(芸術院)。 [1]
[編集] 宗教
ロシア正教徒。幼児洗礼を受け、幼い頃は信仰深い母親の影響で宗教的雰囲気の中で育ったが、成長するにつれ確信的なマルクス・レーニン主義者となった。しかし政治犯として逮捕され強制収容所での苦難と内省を経て、再びキリスト教信仰に目覚めている。その信仰深さは冤罪、強制労働、流刑、業病、国外追放などの人生の試練に負けることなく、自分が信じるイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語・ロシア語読み)に節操を保ち続けたことによって証された。宗教、特にキリスト教が禁止されたソ連にあって、迫害を恐れず無神論国家の宗教政策と教会を批判した。数学が得意なのに信仰深いのは驚きではない。生ける神を知っていたので「宗教は阿片である」と断定したウラジーミル・レーニンを崇拝する無神論者には全く理解不可能な人間であった。
- 1973年3月、ロシア正教会のピーメン総主教あてに公開質問状を送り、無神論者に支配される正教会の体質を批判した。
- 1983年5月、テンプルトン賞を受け、ロンドンでの授賞式に出席、「現代の悲劇はすべて我々が神を忘れたことに原因がある」とクリスチャンの立場で現代文明を批判した。
[編集] ロシア再生に与えた影響
ゴルバチョフ大統領は、1990年9月25日のソ連最高会議の席上で、「アレクサンドル・イサーエヴィチ」と尊敬を込めて呼び『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』を2回読んだことを告白し、「彼は疑いもなく偉大な人物であり、この作品には非常に多くの興味深い見解、思想が盛り込まれている」と語ったという。実際、ゴルバチョフが共感しペレストロイカ政策に影響を与えた提言は次のとおりである。
- 「ソ連共産党政治綱領」(1990年2月5日)で、民族問題については、分離独立も含めた民族自決の権利をうたったレーニン主義を再確認する点。彼の主要な提言はこの点にあった。
- 「ソ連邦内の自治共和国の地位をソ連邦構成共和国と同等とする法律」(1990年4月10日)で、ロシア共和国内の自治共和国が主権独立宣言した場合、ロシア共和国は認証する決りになっていた点。カフカス出身の彼は「少数民族への言葉」の章で 「北カフカスの山岳民族も、連邦離脱の損得勘定をするかもしれない」と提言していた。
- 「ソビエト連邦離脱法」(1990年4月30日)で、ソ連邦構成共和国がソ連を離脱するための3要件を規定した点。
- 「主権ソビエト共和国連邦」創設合意(1991年9月1日)で、従来のソ連を崩壊させ、主権ソ連邦として甦りかけた点。
- 「チェチェン共和国連邦離脱宣言」(1991年11月)で、彼の地元の北カフカスから離脱しようとする旧自治共和国が出た点。
残念ながら、主権ソ連邦は甦らず、1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。彼の地元のチェチェン共和国はかつてボリス・エリツィンに、今はウラジミール・プーチンに独立を妨げられたままである。
彼は書いた。「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』[2]」ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。
[編集] チェチェン分離独立運動に与えた影響
ロシア併合、スターリン時代の強制移住と民族浄化などで400年にわたってロシアに苦しめられてきたチェチェンの歴史を振り返ると、チェチェンの人々にとって北カフカス出身のソルジェニーツィンの国外からの提言は、福音となった。そのため、ソルジェニーツィンがゴルバチョフに高く評価されロシアに帰国するに及んで、チェチェン分離独立運動は高揚した。[3]
[編集] 著書
- 『イワン・デニーソヴィチの一日』 Один день Ивана Денисовича 1962年。新潮文庫。岩波文庫。
- 『ガン病棟』 Раковый корпус 1968年-1969年。新潮文庫。
- 『収容所群島』 Архипелаг ГУЛАГ 1973年-1975年。新潮文庫。
- 『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』 1990年。日本放送出版協会。
- 『廃墟のなかのロシア』 Россия вобвале. Москва 1998年。草思社。
[編集] 注
- ^ 詳細はソルジェニーツィンの個人史を参照のこと。
- ^ マタイによる福音書第19章19節、マルコによる福音書第12章31節、ローマ人への手紙第13章9節を参照。
- ^ 詳細はチェチェンの歴史を参照のこと。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: ロシアの小説家 | ノーベル文学賞受賞者 | 1918年生