アンディ・トレーシー
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アンディ・トレーシー(Andy Tracy、1973年12月11日-)は、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手。日本では2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスに所属した。ポジションは内野手(一塁手・三塁手)。右投げ右打ち。188cm100kg。楽天時代の背番号は65。
なお、本名はAndrew Michael Tracy(アンドリュー・ミッシェル・トレーシー)である。
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[編集] 経歴
1996年にモントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)に入団。マイナー生活が長かったが、1999年には2Aで37本塁打をマーク。2000年には3Aに昇格したがそこでも活躍し、メジャーに昇格。この年は打率.260・11本塁打をマークした。しかし、翌2001年は打率1割と大不振で、この年のオフにニューヨーク・メッツにトレードされる。
2002年のオフにはコロラド・ロッキーズに移籍。なかなかメジャーからの声はかからなかったが、2004年には3Aで打率.315・33本塁打・120打点の好成績をマークし、3年ぶりにメジャーも経験した。
2005年4月に新球団1年目で深刻な得点力不足に悩まされていた楽天に入団。不振のルイス・ロペスに変わって4番を務める。当初はまずまずの打率を残していたが、期待された本塁打がなかなか出ないうちにジリジリと打率を下げてしまう。守備に関しても何でもない飛球を落球してチームの敗戦につながってしまうなど、こちらも決して上手ではないロペス以上に下手ということを露呈してしまった。
当初はトレーシーが三塁手、ロペスが一塁手または指名打者でスタメン出場していたが2人とも打てないことから、6月以降は一塁手が吉岡雄二、指名打者が山崎武司でほぼ固定され、トレーシーはロペスとの二者択一で三塁で使われることになる(ただし吉岡・山崎・ロペスは3人とも右打ちであることから、打線のバランスを取るために左打ちのトレーシーの方がスタメンの機会は多かった)。しかしシーズンを通して打率は2割を少し超える程度であり、チャンスにも弱かったことから、8月末には2軍落ちし、そのまま解雇された。なお、ロペスはシーズン終了まで1軍にはいたが、9月以降は代打限定の出場になり、こちらもシーズン終了後に解雇された。
[編集] 補強の迷走
前述通り貧打に悩まされていた楽天は、4月17日には捕手のカツノリを5番指名打者で起用したほどであった。こうしたことから日本で実績を残した外国人の獲得が求められ、ペドロ・バルデスやジョージ・アリアス(それぞれ前年まで福岡ダイエーホークス、阪神タイガースに在籍)の名前が挙がっていた。
しかし「金を(持っているのに)出さない」とすでに一部で不評を買っていたオーナーの三木谷浩史は、予想通り人件費がかかるとしてこれらの選手の獲得を見送り、結局前年3Aで好成績を残し(しかも安く済む)トレーシーに落ち着いた。当初球団は「もう1人外国人野手の獲得を目指している」としていたが、6月に入ると「トレーシー以上の打者がいなかった」と獲得を見送っている(だがこの時期にはすでにトレーシーも「ダメ外人」のレッテルを貼られかけていた)。
結局危惧されたシーズン100敗こそ免れたものの、「外国人獲得ルートの不備」という新球団ならではの弱点を露呈してしまった。このことを三木谷もチームも反省したのか、この年のオフには西武ライオンズを自由契約になっていたホセ・フェルナンデス、2003年に千葉ロッテマリーンズで打率3割を打ったリック・ショートと、日本で実績を残した外国人を獲得している。
[編集] 日本での通算成績
- 63試合 打率.209(172打数36安打) 本塁打6 打点15 三振62 四死球29 盗塁0