ジョージ・アリアス
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ジョージ・アリアス(George "Alberto" Arias , 男性、1972年3月12日 - )はプロ野球選手。アメリカ合衆国アリゾナ州生まれ。ヒスパニック系で英語とスペイン語のバイリンガル。身長180cm、体重93kg、右投げ右打ち。
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[編集] 来歴・人物
長打力のある打撃と強肩が特徴の内野手で、主にオリックス・ブルーウェーブ時代は三塁、阪神タイガース移籍後は一塁を守る。強打のパワーヒッターの印象が強いが実は守備の名手でもある。オリックス入団時三塁手として守備のよさに定評があり、二塁手としても試合に出場したことがある。阪神では一塁手として藤本敦士らの送球ミスを度々好捕する場面が目立った。
好不調の波が非常に激しい事でも有名。不調な時は長期間ホームランが出ない(しかし、東京ドームでの試合に限っては好不調に関係なくよく打っていた)が、好調な時は1試合3ホームランも難なく打つ。また、チャンスにはかなり弱い。ここぞという場面に打てなく、逆に試合展開が決まっているときには異常にホームランを打ち、ダメ押しホームラン王とまで呼ばれた。この極端な好不調の波さえなければ、いかなる球団でも活躍できることは容易に想像がつくと言えよう。
「ジョージ」の愛称で親しまれており、オリックスに所属した2000年は、監督が愛称を登録名にすることが好きで有名な仰木彬であったこともあり、開幕直前に登録名を『ジョージ』とした。しかし、登録名を変えてから絶不調が続いたため再び『アリアス』に戻した。
2002年に阪神に移籍、2003年の阪神のリーグ優勝に貢献。2004年に阪神を退団し翌2005年にワシントン・ナショナルズと契約するも4月に解雇。その後はメキシカンリーグのティファナ・ポトロスでプレーしていたが、日本球界復帰を目指していたアリアスと右打者の補強に乗り出していた巨人の両者の思惑が一致し、2006年6月28日、読売ジャイアンツへ入団。背番号は「91」(オリックス時代の5と阪神時代の14を足して19。それを逆にして91)。来日してすぐ一軍に入り、同年7月5日の対中日ドラゴンズ(東京ドーム)で6番左翼手として初出場したが、その後、結果を残すことは出来なかったため、2軍に降格。わずか17試合出場にとどまり成績も低迷。シーズン途中の9月2日に来季契約を結ばない方針が巨人フロントから発表され、この年限りでの退団が決定した。東京ドームに強いアリアスの絶不調の原因としては、時差ボケが残る中で即一軍という酷使をしたため、という声もあった。阪神での成功の要因には、アリアスの大きな精神的支柱となっていたトーマス・オマリー特命コーチの存在も挙げられており、「巨人はアリアスと共にオマリーも獲るべきだった」という声も少なからずある。 帰国の際、「チームを救済出来ずに申し訳ない。巨人の成功を祈っている」としたうえで、「阪神では信念や希望を持ち、何より野球は楽しむものだと感じた。巨人にはいいプレイヤーがいるが、重圧に負け野球を楽しんでいない。」と評した。
[編集] エピソード
- 長男は日本ではジョージJr.と呼ばれる事が多かったが、正しくはジョージー(Georgie)君で父とは別名である。
- タフィ・ローズとは同じアメリカ出身で関西のパシフィック・リーグチームの所属と言う共通項から、非常に仲が良かった。ローズがアリアスと同じ神戸のマンションに引っ越した際には、たびたび料理や阪神甲子園球場での試合に招待していた。
- イチローがオリックス在籍時の2000年春に、メジャーリーグ・マリナーズのスプリングキャンプ及びオープン戦(プレシーズンゲーム)に参加するため渡米し、パドレス戦に出場したことがあった。そのイチローのサードライナーをキャッチしたのがアリアスである。アリアスはアメリカで初めてイチローの打球をキャッチした選手と言うことになる。一年間チームメイトとなったが、イチローがメジャーに挑戦することになった際、活躍について疑問視されている中で「彼は素晴らしいプレイヤー。間違いなくメジャーでも3割打つだろう。ひょっとして新人王を獲っちゃったらどうしようかと考えているよ」と週刊ベースボールのインタビューで答えている(実際その通りになっている)。
- また、2001年に近鉄が優勝争いをしている時にローズがお立ち台で叫んだ「絶対優勝するぞ!」を、アリアスも2003年の優勝争いの際に受けたヒーローインタビューで叫んだ。
- 2003年の阪神の優勝時、たまたま道頓堀を通りかかった普通の外国人男性が狂喜乱舞する阪神ファンに「レッツゴー、ジョージ」と囃し立てられた。(これに近い現象が1985年のランディ・バースにも起こっている)
- 2003年、阪神のセリーグ優勝時にオートバイ用品専門店南海部品より特別仕様のバイクを贈呈される。
- 打席に入ってる最中に唾を吐く場面が度々見られるが、あれは噛みタバコを噛んでいるためである。
- 2002年阪神在籍時のシーズン中、対巨人戦で入来祐作投手の投球が背後に大きく外れ、乱闘騒ぎとなった。
- 彼はなぜか東京ドームでの成績がよく、本人も「東京ドームは大好きだ」と言っている。オリックス時代は日本ハムファイターズに、阪神時代は巨人に相性がよく、どんなに不調であっても東京ドームで試合があれば復調するほどでもあった。東京ドームでホームランを打ったあとのインタビューに日本語で「東京ドーム大好きです」と答えた事がある。巨人に入団したのも、相性の良い東京ドームでの活躍が期待された為である。
- 阪神時代の応援は「ジョージ」だが、巨人時代は差別化を図るためか「アリア」と言われていた。
[編集] 経歴
ぺブロ高校卒・ピマ・コミュニティ短期大学・アリゾナ大学を経て
- 1993年、アナハイム・エンゼルスにドラフト7位で入団。
- 1997年、サンディエゴ・パドレスへ移籍。
- メジャー通算:率.238 本14 点55
- 2000年、オリックス・ブルーウェーブへ移籍。
- 2002年、阪神タイガースへ移籍。
- 2003年 ベストナイン・ゴールデングラブ賞(共に一塁手)を受賞。
- 2004年、阪神タイガースを退団。
- 2005年、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約するも4月に解雇。その後メキシカン・リーグのティファナ・ポトロスでプレー。
- 2006年 途中に読売ジャイアンツに移籍。
[編集] 通算成績
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗刺 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | オリックス | 5 | 116 | 461 | 412 | 66 | 103 | 21 | 0 | 26 | 202 | 61 | 2 | 0 | 3 | 43 | 3 | 110 | 6 | .250 |
2001 | 139 | 603 | 543 | 70 | 142 | 19 | 1 | 38 | 277 | 97 | 3 | 1 | 7 | 49 | 4 | 104 | 14 | .262 | ||
2002 | 阪神 | 14 | 126 | 523 | 473 | 64 | 122 | 29 | 1 | 32 | 249 | 82 | 3 | 3 | 6 | 43 | 1 | 126 | 10 | .258 |
2003 | 124 | 518 | 464 | 89 | 123 | 25 | 0 | 38 | 262 | 107 | 2 | 1 | 4 | 44 | 6 | 130 | 6 | .265 | ||
2004 | 117 | 451 | 412 | 54 | 112 | 26 | 1 | 25 | 215 | 84 | 3 | 0 | 4 | 33 | 2 | 119 | 5 | .272 | ||
2006 | 巨人 | 91 | 17 | 64 | 60 | 5 | 10 | 2 | 0 | 2 | 18 | 5 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 15 | 0 | .167 |
日本通算 | 639 | 2620 | 2364 | 348 | 612 | 122 | 3 | 161 | 1223 | 436 | 13 | 6 | 24 | 216 | 16 | 604 | 41 | .259 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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