指名打者
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指名打者(しめいだしゃ、英語 "designated hitter" の頭文字からDHと略記。指名代打と言うこともある)は、野球で、攻撃時に投手に代わって打席に立つ打撃専門の選手をいう。
ソフトボールには任意の野手に代わって打席に立つ打撃専門の選手として指名選手(DP)があるが、これとは異なる(DPは野手ならどのポジションでもよいがDHは投手代理に限る)。
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[編集] 概要
指名打者は守備にはつかず、投手と攻守を分担する。試合開始前にメンバーを発表する際には、投手以外の野手とともに打順が定められる。試合開始前に発表された指名打者は、相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度、打撃を完了(走者となるかアウトになるか)しなければならない。ただし、指名打者の打順が来る前に相手チームの先発投手が交代した場合はこの義務はなくなる。なお、チームは必ずしも指名打者を指名しなくてもよいが、指名しなかった場合は、その試合で(途中から)指名打者を使用することはできなくなる。なお、少年野球では、DHはない。
打撃は上手いが守備に難のある選手や、ケガで守備力が落ちている選手、足腰に不安があるベテラン選手、長打力のある助っ人外国人などを起用することが多い。ただ、守備をこなしてから打席に入ることでリズムを作るためDHを嫌う選手もいる。メジャーリーグでは選手の疲労回復のために、普段は守備についている選手を定期的に指名打者で起用することがある。
[編集] 指名打者が関わる選手交代
[編集] 指名打者への代打・代走
指名打者が少なくとも一度打撃を完了するか、相手チームの先発投手が降板した後は、指名打者に対して代打や代走を起用することもできる。この代打者または代走者は、それ以降指名打者として、その打順を引き継がなければならない(このルールは1982年から適用)。
逆に言えば打撃を1度も完了しないままで先発の指名打者を交代させることは出来ない。
- 1982年8月12日の近鉄バファローズ戦で、阪急ブレーブス・上田利治監督が近鉄の先発投手(鈴木啓示・左投げ)を読み切れず、指名打者に投手の山沖之彦を偵察要員として入れ、試合開始後の第1打席に代打・河村健一郎(右打ち)を送ろうとしたものの上記ルールによって打者交代が認められず、山沖が打席に立つ羽目になった(山沖は三振)。
その後、パ・リーグでは予告先発が導入されたので上記のようなケースはまず起こらなくなったが、次のようなケースもある。
- 1998年5月15日のオリックス・ブルーウェーブ対福岡ダイエーホークス戦では、オリックスの指名打者としてトロイ・ニールが先発発表されていた。しかしニールは開始直前体調不良を訴えるものの、上記ルールにより打席に立つ羽目になった。ニールは2ランホームランを放つとそのまま退き、病院へ直行した。
[編集] 指名打者が野手になる
守備位置変更により指名打者を守備につかせることもできるが、その場合、指名打者の役割は消滅する。指名打者の代わりに退いた選手の打順は、投手が引き継がなければならない。指名打者だった選手の打順は変わらない。
[編集] 投手が守備位置を変更し、投手でなくなる
投手が投手以外の守備位置へ移った場合、指名打者の役割は消滅する。投手だった選手は指名打者の打順に入り、指名打者は退いた形となる。新たに登板した投手には指名打者を使用することができない。ただし、投手の守備位置交代を含めて、同時に2人以上の選手交代を行った場合は、投手の打順も含めて、監督が打順を指定する。
[編集] 歴史
1973年、アメリカメジャーリーグのアメリカン・リーグで初めて採用される。
日本プロ野球ではパシフィック・リーグが1975年から採用。日本シリーズでは1985年に初めて採用(全試合)、翌1986年は採用せず、1987年よりパ・リーグ優勝チームの本拠地の試合で採用している。オールスターゲームでは、より多くの選手が出場できるようにするためにいろいろな試行の結果、1993年から全試合に指名打者制度が採用されている。 セ・パ交流試合(日本版インターリーグ)では、パ・リーグの主催チームのホームグラウンドで行われる試合にのみこの制度が採用されている。またアジアシリーズでも採用されるなど、DH制は次第に標準的な制度となりつつある。
なお、日本高校野球では指名打者制度は採用されていない。
[編集] セ・パ交流戦
2005年から始まったセ・パ交流試合(日本版インターリーグ)ではパ・リーグの主催チームのホームグラウンドで行われる試合にのみこの制度が採用されているが、セ・リーグのホームグラウンドでは行われていない。 このためパ・リーグのチームは普段DHの選手をどう守備に組み込むか、あるいはセ・リーグのチームは誰をDHに起用するかが問題となる。
ソフトバンクホークスは05年の交流戦でセ・リーグ主催試合でDHが使用できない時に、フリオ・ズレータ(現:千葉ロッテ)を一塁手として出場させた関係で、主に一塁手・DHで外野手の出場経験の少なかった松中信彦を左翼手として出場させた。不安視された守備だが無難にこなし、2006年には打撃が好調だった田上秀則にDHの座を譲り外野手としてベストナインを取るに至った。交流戦の変則ルールがもたらした収穫といえるだろう。
[編集] 連続フルイニング出場記録の扱い
日本プロ野球では、指名打者のみの出場であっても連続フルイニング出場記録は継続の扱いとなる。メジャーリーグにおいては、指名打者では連続フルイニング出場を認めないという見解が出された(2006年の交流戦まで連続フルイニング出場記録を続けている金本知憲に関して、阪神球団が大リーグ機構に問い合わせて確認した。しかし結局、金本の意向によって指名打者には入らず、従来の左翼手のポジションで出場した)。
[編集] 主な選手(50音順)
[編集] パシフィック・リーグ
- フェルナンド・セギノール(北海道日本ハム)
- 江藤智(西武)
- ジェフリー・リーファー(西武)
- 松中信彦(福岡ソフトバンク)
- 清原和博(オリックス)
- ホセ・フェルナンデス(東北楽天)
- 山崎武司(楽天)
[編集] 引退した選手
- 石嶺和彦
- 大田卓司
- オレステス・デストラーデ
- 門田博光
- トニー・ソレイタ
- トロイ・ニール
- フィル・クラーク
- マイク・ディアズ
- フランク・ボーリック
- ラルフ・ブライアント
- チャーリー・マニエル
- ドミンゴ・マルティネス
- ナイジェル・ウィルソン
- 山本和範
- 吉永幸一郎
- レロン・リー
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