ペドロ・バルデス
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ペドロ・バルデス(Pedro Valdez、1973年6月29日 - )はプエルトリコ出身の福岡ダイエーホークスに在籍した、プロ野球選手。左投げ左打ち。ポジションは、外野手。背番号は35。血液型O型。
[編集] 経歴
- 1989年のドラフトで、シカゴ・カブスに入団。ボストン・レッドソックス、テキサス・レンジャーズを経て、2001年にダイエーに入団。当初の年俸は2500万円で、そこまで期待されていた選手ではなかった。
- 1年目の01年は、恐怖の2番打者として一時は打率4割を記録するなど、活躍。打率.310 本塁打21 打点81
- 2002年は1年目には劣るも、打率3割を記録。 打率.303 本塁打21 打点76
- 2003年は打撃3部門全てで自己最高の成績をマークし、チームの日本一に貢献。3番井口資仁、4番松中信彦、5番城島健司との、100打点カルテットは強力だった。打率.311 本塁打26 打点104
- 2004年はケガで不調が続き、前年のホームラン量産に味をしめたのか、引っ張りの雑な打撃が目立った。また、既に年俸は1億円を超えており、チームの経営悪化もあってオフに戦力外通告を受け、チームを退団。打率.279 本塁打18 打点74
- 外国人助っ人としては珍しい、広角打法のヒットメーカーで、安打や痛烈なライナー性の本塁打を連発した。また、100打点の03年には、リーグ最多犠牲フライを記録するなど、状況に応じたバッティングもできた。その反面、走塁や守備、特に送球に雑な面があった。また、死球や審判の判定に怒ることも多く(戸部浩に突進しようとした事もあった)、凡打を打ったときにファーストまで全く走ろうとしない姿勢(走っていればセーフになっていた可能性のある打球も度々あった)ことなどが、全力プレーを望んでいる王貞治監督の意向に合わず、戦力外通告の原因にもなった。
- ポーカーフェイスで無表情のイメージがあるが退団時には福岡、球団への愛着を涙ながらに語り、鳥越裕介と抱き合っていたのが印象的である。
- 2005年は、日本でのプレイを希望していたが、オファーがなかったため、メキシカンリーグに移籍した。東北楽天に途中入団の話もあったが、金銭面で折り合いがつかず結局アンディ・トレーシーが入団した。
- 2006年はメキシカンリーグのゲレーロ・デ・オアハカに在籍。打率.362 本塁打14 打点100
- 2007年からは韓国プロ野球・LGツインズに所属する。
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
2001年 | ダイエー | 137 | .310 | 163 | 21 | 81 | 1 |
2002年 | ダイエー | 121 | .303 | 135 | 21 | 76 | 2 |
2003年 | ダイエー | 124 | .311 | 141 | 26 | 104 | 1 |
2004年 | ダイエー | 115 | .279 | 117 | 18 | 74 | 1 |