イブラヒム・エガル
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ムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガル(英語:Muhammad Haji Ibrahim Egal、ソマリ語:Maxamed Xaaji Ibraahim Cigaal、1922年8月15日~2002年5月3日)はソマリアとソマリランドの政治家。第2代ソマリランド共和国大統領(1993年5月16日~2002年5月3日)。ソマリランド領内での内戦を終結させながらも、国際社会からの評価は得られなかった。
[編集] 生涯
旧イギリス領ソマリランド出身。
1960年6月26日にソマリランド(旧イギリス領ソマリランド)の首相に就任。しかし同年7月1日にイタリア領ソマリランドと併合され首相職を退く。その後はソマリア国防大臣(1960年~1962年)、文部大臣(1962年~1963年)、ソマリア首相(1967年~1969年)、インド駐在のソマリア大使(1976年~1978年)を勤めるも、反逆罪で二度、刑務所に入っている。
1991年にソマリア内戦が勃発すると旧英領ソマリランドがソマリランド共和国の独立を宣言し、その2年後、国民和解のための大会議の指名で大統領に就任、全国会議で大統領に再任した。
任期の間は、国連やUNDP、部族の長老などの協力を得て、武器の回収を中心とした治安の回復に尽力した。
2002年、南アフリカのプレトリアにある陸軍病院で死去。3人の息子によってベルベラに埋葬された。国葬には4000人の市民が参加したと言われている。議会は7日間、喪に服すように国民に呼びかけたが、国旗はシャハーダを含んでいるため、イスラーム法により半旗にはならなかった。
後任には、副大統領だったダヒル・リヤレ・カヒンが暫定大統領として権限の代行を行った。ダヒル・リヤレ・カヒンは2003年に大統領選挙で当選している。
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