イーゴリ公
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イーゴリ公( - こう、原題:Князь Игорь)はアレクサンドル・ボロディンによって書かれたオペラ、および同作品の主人公の事である。中世ロシアの叙事詩『イーゴリ軍記』を題材に、東スラブ人であるイーゴリ・スヴャトスラヴィチ公の勇壮な戦いを描き、序幕付き4幕からなる。初演は1890年11月4日、サンクト・ペテルブルク、マリンスキー劇場にて行われた。アメリカでの初演は1915年12月30日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にて行われた。日本での初演は1965年のスラブ歌劇(旧ユーゴスラヴィア(現クロアチア)ザグレブ国立劇場合唱団、管弦楽はNHK交響楽団)によるもの。
ボロディンはこの作品を完成させる前の1887年に逝去してしまったため、ニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフの手により完成された。従って、楽譜には「このオペラはリムスキー=コルサコフが序幕と第1・2・4幕、第3幕の「だったん人の行進」の編曲されていなかった所を編曲し、グラズノフはボロディンに残された断片を使い、第3幕を構成し作曲し、ボロディンが何度かピアノで弾いた序曲を思い出しながら再構成と作曲をした。」と書かれている。
このオペラの中の序曲、「だったん人の踊り」(第2幕)は有名で、広くコンサートなどでも演奏されている。また、この2曲に「だったんの娘たちの踊り」「だったん人の行進」を加えて組曲のようにも扱われる。
なお、日本では「だったん人(韃靼人)」の名で親しまれているが、原題ではポロヴェツ人となっている。誤りとの指摘もあるが、これは紹介者が訳の正確さよりもわかりやすさを優先したためと考えられる。
詳細は韃靼(タタール)、ポロヴェツ(クマン人)およびキプチャクの項を参照。
目次 |
[編集] 登場人物と背景
- イーゴリ公(バリトン) - 主人公。セーヴェルスキイの公。
- ヤロスラーヴナ(ソプラノ) - イーゴリ公の二度目の妻。
- ヴラヂーミル・イーゴリェヴィチ(テノール) - イーゴリの先妻との息子。
- ヴラヂーミル・ヤロスラーヴィチ(バス) - ヤロスラーヴナの兄。ガーリチ公。
- 補足・一般的な誤解としてガーリツキィ公はガーリツキィという名前の公であるように思われているが、実際はガーリツキィ公はガーリチのヤロスラーフ公の息子で、さらに、イーゴリの二人目の妻であるヤロスラーヴナの兄である。また、ガーリツキィ公とはガーリチの公であることを意味する。
- コンチャーク(バス) - ポロヴェツの首長(ハーン、汗)の1人。
- コンチャーコヴナ(アルト) - コンチャークの娘。
- オヴルール(テノール) - キリスト教徒のポロヴェツ人。
- スクラー(バス) - グドーク弾き。
- イェローシカ(テノール) - グドーク弾き。
- ヤロスラーヴナの乳母(ソプラノ)
- ポーロヴェツの娘(ソプラノ)
[編集] あらすじ
[編集] 序幕
プチーヴリ市内。イーゴリ公は、自分の土地であるルーシの町へのポロヴェツ人のコンチャークからの侵攻を防ぐため、妻ヤロスラーヴナの懇願と日食という悪い前兆を心配する人々の反対を押し切って遠征を始める。
[編集] 第1幕
[編集] 第1場
プチーヴリ市内のガーリチ公の館の中庭。イーゴリのいなくなったプチーヴリではガーリチ公の思うがままになっていた。ある時、若い女性の集団が公がさらった娘を返すように請願してきたのに対し、彼と彼の取り巻きは請願にきた彼女たちを怯えさせ、追い返す。
[編集] 第2場
プチーヴリ市内のヤロスラーヴナの館の居室。若い女たちがガーリチ公の横暴をイーゴリの妻であるヤロスラーヴナに訴えている最中、ガーリチ公はやってきた。ヤロスラーヴナは彼にこの話が真実であるか聞くと、彼はこの街の支配者は自分であることを宣言し、ヤロスラーヴナは大いに苦悩をする。その最中に貴族たちから、イーゴリとヴラヂーミルが捕虜になり、ポロヴェツ軍の攻撃が差し迫っているという報告が届く。
[編集] 第2幕
ポロヴェツ人の陣営。イーゴリは妻を心配しながらも、遠征を失敗させ、捕虜となった自分の不甲斐なさに怒りを覚え、再び自分の大切なものを守るため戦いたいと思う。そんな中、ポロヴェツ人でありながらキリスト教徒のオヴルールから脱走の提案を受けるも、武士としての意地から脱走への決意ができずにいた。その間に、イーゴリの息子であるヴラヂーミルはコンチャークの娘であるコンチャーコヴナと恋に落ちていた。 ヴラヂーミルは彼女の父が結婚に賛成してくれることを分かっていたが、ヴラヂーミルは自分の父が結婚に賛成してくれるか疑っていた。コンチャークはイーゴリを盛大にもてなし、イーゴリが再び戦いを行わないと約束をするならば、自由を与えると提案するが、イーゴリはその提案に謝意を示すも固く断った。
[編集] 第3幕
ポロヴェツ人の陣営。イーゴリはルーシの街が攻撃されたことを知る。イーゴリは脱走しようとし、ヴラヂーミルに自分と一緒に逃亡しようと説得するが、コンチャーコヴナがヴラヂーミルを引き止める。 そのためにイーゴリは一人でポロヴェツ人の陣営から逃走する。コンチャークはイーゴリが脱走したことを知り、彼はヴラヂーミルを人質にしたまま自分の娘婿にする。
[編集] 第4幕
プチーヴリ市内。ヤロスラーヴナは捕虜となった自分の夫と息子を未だに待ち続けていた。その中、2頭の馬が見え、こちらに向かってくる。それはイーゴリとオヴルールの2人だった。そしてついに、イーゴリとオヴルールは無事に人々に歓迎されてプチーヴリに戻ってきた。
[編集] 補足
ワレリー・ゲルギエフのキーロフ・オペラによる公演では、新しいマリンスキー劇場版の演出が使用され、さらに序幕、第2幕、第1幕、第3幕、第4幕の順で上演された。