ウッチャンナンチャンのウリナリ!!
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ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!→ウッッチャンナンチャンのウリナリ!! | |
ジャンル | バラエティ |
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放送時間 | 金曜日20:00~20:54→19:58~20:54 |
出演 | ウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆) |
ナレーション | 奥田民義 |
放送国 | 日本 |
放送局 | 日本テレビ系列 |
放送期間 | 1996年4月12日~2002年3月22日 |
[[1] 公式サイト] |
ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(通称「ウリナリ!!」)は、1996年(平成8年)から2002年(平成14年)に、日本テレビ系全国ネットで放送されていた人気テレビ番組、バラエティ番組で、お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの冠番組である。マジカル頭脳パワー!!などと同様、1990年代中盤黄金期の日本テレビを代表する番組でもある。収録はどのコーナーも日曜日・月曜日にされていた。
毎週金曜日19:58 - 20:54に放送されていた(1999年3月までは20:00 - 20:54)。
目次 |
[編集] 出演者
また、出演者が言葉を話す際に画面に表示されるテロップの色は1996年以来、色がほぼ決まっている。かっこの(1、)は出演期間、(2、)はテロップの色である。
- メイン(およびリーダー)
- 全盛期レギュラー(初期~中期)
- キャイ~ン
- K2
- 杉本彩(1、1996年4月レギュラー放送開始~2002年3月の社交ダンス部のみ、社交ダンス部2002年末SP~現在までのSP)(2、濃い紫)
- よゐこ
- 千秋(1、1996年4月~2001年5月)(2、ピンク)
- ビビアン・スー(1、1996年ごろ~1999年10月)(2、オレンジ色)
- 藤崎奈々子(1、1997年ごろ~2001年5月)(2、薄紫)
- ケディ(1、1999年5月~2000年11月)(2、薄緑)
- 山川恵里佳(1、1998年ごろ~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~2003年秋SP)(2、赤に近い肌色)
- 末期レギュラー(「ウリナリ解散総選挙」以降)
- ゴルゴ松本(1、2001年6月~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~現在までのSP)(2、水色) - TIMの相方のレッド吉田もレギュラーになろうとしたがウリナリ解散総選挙で落選。
- 大竹一樹(1、2001年6月~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~降板時期不明)(2、不明) - さまぁ~ずの相方の三村マサカズもレギュラーになろうとしたがウリナリ解散総選挙で落選。
- 坂本ちゃん(1、2001年6月~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了)(2、不明) - アルカリ三世(当時)の相方(当時)の添野豪もレギュラーになろうとしたがウリナリ解散総選挙で落選。
- 小池栄子(1、2001年6月~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~2005年春SP)(2、不明)
- 神戸みゆき(1、2001年6月~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~2003年年明けSP)(2、不明)
- ジニー(1、2000年ごろ~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~降板時期不明)(2、不明)
- ハン(1、2000年ごろ~2002年3月レギュラー放送・および社交ダンス部以外のコーナー終了、社交ダンス部2002年末SP~降板時期不明)(2、不明)
- ウリナリアナウンサー
- さまざまな企画でのウッチャンナンチャンのアシスタント的な役割。以下の日本テレビアナウンサーが担当(すでに日本テレビアナウンス部に所属していない元アナウンサーも含む)。
- 河村亮(レギュラー放送時代初期から社交ダンス部のみとなった特番の現在でも担当中、ウンナン・キャイ~ン・勝俣に次ぐ最多出演者。)
- 松永二三男(元日本テレビアナウンサー、レギュラー放送時代末期に一時担当)
- 後藤俊哉(元日本テレビアナウンサー、現外報部、初期に一時担当)
- 藤井貴彦(ドーバー海峡横断部に参加後、一時担当)
- 鷹西美佳(レギュラー放送時代初期に一時担当)
- 藤井恒久(1999年ウリナリブラビ生放送特番スペシャル時、中継アナとして担当)
- 魚住りえ(1999年ウリナリブラビ生放送特番スペシャル時、中継アナとして担当)
- 松本志のぶ(2001年にウリナリゼミナールの1回のみ担当)
- 蛯原哲(1998年ごろ一時担当)
- 村山喜彦(ウリナリグレートサミット)
- 船津宜史(ウリナリグレートサミット)
- ウリナリ審査委員会
- 元々は追加ルールや課題の発表などを出演者及び視聴者に発表する役割を持つ架空の組織。制作側の意思を具現化した物と言える。登場時は、必ず黒タキシードを着ていた。主に、ポケビ・ブラビの企画を中心に中期に十数回出演。1999年に、ポケットビスケッツとのCD発売を賭けてのトライアスロン対決に敗れた事で自然消滅(事実少し後ポケビ企画(ユーミンとのコラボ)で勝俣が出た際は審査委員会としてではなかった)。
- 河村亮(日本テレビアナウンサー)
- 勝俣州和
- 堀部圭亮
- 一時期、短期間レギュラーとして、「ウリウリ!!ナリナリ!!」からの続投だった国生さゆり、東野幸治(内村のコーナー担当)、室井滋(後に社交ダンス部の部員として再登板)、高山理衣(「芸能人サークル活動宣言」の司会を担当)、新規レギュラーの森脇健児、鈴木紗理奈、巴千草(1996年)、矢部美穂(1997年)、伊藤裕子(1997年)、遠藤久美子(1997年~1998年)、ニラ・バラ(2000年~2001年)が参加。
- その他にも三津谷葉子や、初期のレギュラーメンバーから外れたよゐこが出演し、ウリナリファイナルにもゲスト出演。また初期・中期(全盛期)の頃のメンバーと末期のメンバーが共演することは滅多にない。
- 室井滋と千秋はウリナリ!!をきっかけに公私に渡り仲が良く、この事は室井滋の著書「クロアン」にも写真付きで書かれている。
[編集] ウリナリ解散総選挙
- 2001年5月、ウリナリ解散総選挙後に、番組リニューアルが行われメンバーが大幅に変更。女性陣についても山川恵里佳を除き全員変更された。だが多くのウリナリファンは、リニューアル前の初期~中期のメンバー(千秋、ビビアン、藤崎、ケディ、堀部、よゐこ...等)のことを「ウリナリレギュラー」とその後も呼び、「脱退メンバーがいないウリナリは、もうウリナリでない」と言う批判も当時は多かった。
- レギュラーの座を賭けた「ウリナリ解散総選挙」
- 当選したウッチャンナンチャン、キャイ~ン、K2の勝俣州和が暫定レギュラー。ゴルゴ松本(TIM)、大竹一樹(さまぁ~ず)、坂本ちゃん(アルカリ三世)が新メンバーとしてレギュラー入り。
- 落選したよゐこ、堀部圭亮が番組を去った(堀部圭亮はこの後、一時期タレント活動をほぼ停止し、放送作家に専念していた。ウリナリの最後の出演の際、「負けたらテレビから身を引く覚悟でいます」と語っていた。)。
[編集] 番組史
- 1996年3月 - スーパークイズスペシャルに初登場(この時出演したのは、ウンナン、キャイ~ン、よゐこ、千秋という後の全盛期を支えるメンバーだった)。この後、~1997年秋、1998年秋~1999年春までウリナリの部分のロゴがスーパークイズスペシャルのロゴにつき、この頃が全盛期だったことが分かる(なぜ1998年春のタイトルに載らなかったかは不明)。ウンナンの2人は以前にもウンナン世界征服宣言として出演したこともあった。
- 1996年4月12日 - ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!(1995年5月12日-1996年3月15日)をリニューアルする形でレギュラー放送として番組スタート。
- 1997年 - 当時は共に結婚していなかった内村と勝俣で「もてないブラザーズ」を結成し、ピアノで松任谷由実のヒット曲「春よ来い」を弾く。
- 1997年9月 - 初めてオープニングCGとタイトルロゴを変更。
- 1998年 - ポケビVSブラビ(3人時代)の対決絶好調期。番組も日本テレビ金曜日の看板バラエティとなり、一番の安定期となる。この頃から視聴率が急激に向上し、ほぼ毎週20%前後はキープしていた。回によっては20%台後半だった。この年の3月末~10月ごろまでにかけては特にポケビ VS ブラビの企画などが大好評だったために、金曜日の野球中継を月1~2回程度に減らし、このウリナリの放送回数をなるべく多めにしていた。(土日が東京ドームでの試合の場合、金曜日が移動日になることが多かったためでもある。)
- 1998年12月25日 - 初のウリナリ大型特番、「ザッツウリナリテイメント」を生放送。
- 1999年10月 - 惜しまれつつもビビアン・スーがブラックビスケッツ活動停止と同時に母国台湾へ一時帰国のためレギュラー脱退した。当初からのレギュラーの初めての脱退だった。ビビアンは2000年12月の「ナトゥ」宣伝時と2002年3月の最終回の「ウリナリ祭り」のスペシャルのみ帰ってきている(ウリナリ祭りではゲスト出演という形でブラックビスケッツで出演した)。
- 1999年12月31日~2000年1月1日 - 「雷電スペシャル いけ年こい年 1999→2000」を日本テレビ大晦日スペシャルとして放送。その中で「ウリナリ」企画も放送。ユーミンとポケビの夢のライブやもてないブラザーズが復活し、スペシャル版「春よ、こい」を演奏したほか、南原清隆がブラックビスケッツ時代の「Timing」で演奏した経験をいかし、ユーミンの歌とともにサックス演奏をした。
- 2000年5月 - オープニングCGとタイトルロゴの二度目の変更。
- 1998・1999・2000年 - これら3年の間には内村VS南原の対決企画で内村が敗れ番組を一時降板し、タイトルが2回のみ「ナンチャンのナリ!!」となったことがあるが、南原も負けたことがある。しかし、タイトルロゴでは「ウッチャン」「ウリ」部分のバックは残っていたうえ、いずれもレギュラー復帰を果たしている。→ウリナリ会議を参照。
- 2001年6月 - ウリナリ解散総選挙が行われ、番組開始以来初めてレギュラー陣がウッチャンナンチャン・キャイ~ン・勝俣州和・山川恵里佳を除く全員一新された。その後同時期にフジテレビ系で放送開始した「ザ・ジャッジ!~得する法律ファイル」に食われ、急激に視聴率・人気が低迷。さらに、千秋などの旧・レギュラー陣もザ・ジャッジ!など多くの裏番組にゲスト出演していた。視聴率低迷の背景として、上記の理由以外にも柔道や狂言等の大人向け部活動の放送が多くなり、当時、主な視聴者だった小・中学生も次第に番組を見なくなっていったのが現実である。また、新聞・雑誌などの投書欄にも「最近のウリナリはつまらない。」「昔の方が面白かった。」等の意見が非常に多かった。
- 2001年10月 - オープニングCGとタイトルロゴの三度目の変更。
- 2002年3月12日 - 番組最高期(特に1997年~1999年ごろ)の頃の旧レギュラー陣もゲストという形で特別登場・特別出演した最高のラストステージ「ウリナリ祭り」を有楽町・東京国際フォーラムで開催。会場には5000人を超えるウリナリ!!ファンが集まり、1Fから2階席まで、完全に満席となり立ち見をした人もいたほどだった。
- 2002年3月22日 - 番組は惜しまれつつも社交ダンス部以外のコーナーのレギュラー放送としては終了。ウリナリ!!7年の歴史に幕を閉じる。
- 2002年3月の番組終了後も「ウリナリ芸能人社交ダンス部」のコーナーのみ独立番組化し、特番となり不定期放送となる。ただ、内村の出演していないウリナリ芸能人社交ダンス部は、「ナリ芸能人社交ダンス部」だと皮肉って言われる事が多く、メンバーも毎度激変され、創設時から今日にかけて、大会に参加したり等をする所属部員は南原と杉本だけになった。
[編集] コーナー説明
[編集] 芸能人サークル活動宣言
- 「ウリナリ」初期の名物コーナーで、ウンナンの二人が毎回交互にサークル活動を展開していくという内容。
- 司会を高山理衣が担当していたが、その仕切りの下手さから毎回ウンナンにどつかれていた。
- 企画の一本だった芸能人社交ダンス部が独立し、コーナー自体は自然消滅した。なお消滅後もサークル活動をメインにした企画が何本か作られた。
[編集] ウリナリキリ
- 毎回1人のレギュラーがモノマネで他の有名人に扮し、数人の観客が判定で合否が決められる。合格ラインに達するとグランドチャンピオン大会への出場権が与えられる。
- 5人ノミネートされたうち、4人がグランドチャンピオン大会に進出した。
- 司会は内村(グランドチャンピオン大会では天野)と巴千草。
[編集] ウリナリ芸能人社交ダンス部
- 元は「芸能人サークル活動宣言」というコーナーの一企画であったが、自然に一本立ちしていった。
- 堀部・濱口・有野は部加入前、「ウリナリ!!応援団」で社交ダンスを見守る存在だった。
- 杉本彩は現在でも新・旧部員達(番組レギュラー陣)から”アニキ”と慕われ、ダンスの時の「セクシーさ」ポイントが高い。
- 1996年6月 - 杉本彩/南原清隆ペアでJADA1級を取得。
- 1999年まで参加していたビビアン・スーは1997年(平成9年)外反母趾になってしまい存分に踊る事が出来ず、1998年以降の社交ダンス部には参加していない。
- 回復後…1999年10月までランキングキャラクターライブやブラックビスケッツとして活動。
- 社交ダンス企画が番組メインとなりつつあった時、内村ただ一人が「お涙頂戴もう飽きた!」とダンス企画を番組内で批判していた。
- お世話になった先生
- わたりとしお(開始当初の先生)
- 湯浅奈緒子(開始当初の先生)
- 二ツ森司(新・芸能人社交ダンス部~不定期放送現在の先生)
- 二ツ森みどり(新・芸能人社交ダンス部~不定期放送現在の先生)
- その他の事についてはこちらを参照のこと。
[編集] ドーバー海峡横断部
1997年、内村、ウド、勝俣、有野の4人をメンバーとしてスタート。横断に必要な人数(6人)を満たすため、濱口、藤崎を勧誘、入部させた。堀部は「鬼部長」として見守っていた。専用練習場で実力を高め、国内の大会出場・予行演習などを繰り広げたが、あまりに過酷な活動に部員の脱落→補充が続出。勝俣、有野、藤崎が脱落、参加メンバーが足りず出場が危ぶまれたが、堀部が「鬼部員」に転身、さらに元テニスプレイヤーの神尾米、日本テレビアナウンサーの藤井貴彦が参加(なお、一時元プロ野球(巨人)選手の宮本和知も参加していたが、相次ぐ故障で結局参加できず)。
最終的に1999年8月31日「内村、濱口、神尾、藤井、堀部、ウド」(この順は横断時のリレー順)の6人(+マネージャー千秋)で16時間37分(当時過去5年の中で最長記録らしい)を掛けドーバー海峡の横断に成功しチャネルスイマーとなる。
横断達成記念に堀部圭亮デザインのオリジナルリングを作成。内村は滅多にアクセサリーを付けないがこのリングだけは左薬指に付けており、ファンに混乱を呼んだ。
2年越しの企画だった。
[編集] もてないブラザーズ
1997年、もてないキャラ2人「内村光良と勝俣州和」で「もてないブラザーズ」を結成。「もてるようにピアノを演奏しよう!」という企画で松任谷由実のライブにピアノで参加。超大ヒット曲「春よ、こい」を(片手で)演奏。1999年12月31日~2000年1月1日、日本テレビの年越し企画「ウリナリ年越しライブ」で「元もてないブラザーズ」として、ピアノを(両手で)演奏。二人での演奏はこれが最後。
- 演奏の様子(ファンサイト)
[編集] ウリナリ会議
1998年~2000年にかけレギュラー陣が多すぎる等の事情から「ウリナリ会議」を開会。全員分用意してあるトマトジュースを一人一人が選び、その中に一つだけある「タバスコ入りジュース」を選んで飲んでしまった人が、一定期間レギュラー補欠扱いにされた。女性陣は1度もタバスコ入りを当てた事が無い。過去に当てたメンバーは、濱口・南原・内村。内村は他番組でもこの手の競技に弱(強?)くよくハズレを飲んでいた。(ドラマや他番組が忙しくなり番組にあまり参加出来なかった為との説も)2代目のオープニングCGはウッチャンナンチャン二人の顔がはめこまれていたが、どちらかが補欠となっていた期間、顔がない状態でO.A.されていた。また、内村が消えたときに2回のみ「ナンチャンのナリ!!」という番組名になり、新聞のテレビ欄などでもそのように表示されたことがある。
[編集] ポケットビスケッツ vs ブラックビスケッツ
- ウリナリ!!超大看板コーナーだった。1997年1月~1999年。
- このコーナーで視聴率が一気に上がった。
- CD発売の試練として利き酒や利き寿司等で対決。
- 千秋はポケットビスケッツの試練でよく泣いていたがポケットビスケッツ活動終了解散後、本心か照れ隠しか「あれはうそ泣きだった」と語っている。
- 千秋は番組で「も~一生懸命やったのに!」というギャグを南原清隆に作って貰った。
- そして、この企画により、千秋・ビビアンの人気があがり、ポケビ・ブラビの2大ユニットは1990年代後半を一世風靡した。ただし番組の企画上、レコーディングしたCD原版が破壊され封印されたこともある(ちなみに、ポケットビスケッツの封印された曲はその後改めてレコーディングし発売された)。
[編集] ランキングキャラクターライブ
- ウリナリレギュラー陣参加のキャラクターコントLIVE。毎週番組の最後のコーナーとしてO.A.されていた。
- 「RANKING CHARACTER LIVE傑作選1~6」巻と「ザ・ベスト・オブ・ホワイティ」の計7巻がビデオ化。
- 初回特典として各ユニットのカードがランダムに各3枚付いていた。カードは全60種。
- 人気グループ
- モーニング息子。
- 天野のかあちゃん
- ホワイティ
- 他にも何十種類以上ある。その他のコントについてはこちらを参照。
- このコーナーは「ランキングキャラクターライブ」から1999年10月には「スーパーフライデーナイトライブ」へ2001年6月のレギュラー陣変更時には「ウリナリライブ」に変更・リニューアルされている。
[編集] 運命のファイナルステージ ウリナリ祭り ~7年間の総決算~
2002年3月12日、有楽町・東京国際フォーラムにて行われた「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」ファイナルイベント。レギュラー放送最終回。映画の撮影で来られなかった堀部圭亮を除きかつてのレギュラーがほぼ全員出演。千秋、ビビアン以外は最後のエンディグまで出演していた。
千秋がポケビ終了後にそそくさ帰ったのは内村との不仲が原因、ビビアンがウリナリから去ったのは南原との不倫が原因と噂もあったが、千秋は内村とも今でも仲が良く内村が出演している番組にも時々出演しているし、ビビアンも外反母趾と台湾で起きた地震(台湾大地震)が原因で台湾に帰国している。
ポケビ、ブラビ、ウルトラキャッツ、メモリーキャッツ等、番組発ユニットのヒット曲披露(Mckee、黒幕&愛人、ウリナリオールスターズを除く)、部活動ヒストリー、現メンバーによるスチールパン演奏などを行い感動のフィナーレで7年間の番組の歴史に幕を閉じた。
[編集] 他のコーナー
ウリナリ!!過去の企画一覧を参照。
[編集] タイトルのロゴ
- 初代 1996年4月~1997年9月
- 2代目 1997年9月~2000年5月
- 3代目 2000年5月~2001年9月
- 4代目 2001年10月~2002年3月
[編集] 音楽ユニット
この番組から誕生した番組企画ユニット
内村側ユニット
南原側ユニット
- Mckee(マッキー)(1995年)
- ブラックビスケッツ(黒色餅乾Heisebinggan)(1997年1月~1999年10月)
- 南々見組 (旧ブラックビスケッツ。1999年10月~2000年)
- ブランニュービスケッツ(2000年)
- メモリーキャッツ(2001年)
その他
- ウリナリオールスターズ
- UDO
- TERU
- Chiaki & Fruits Flowers
- Yuming+ポケットビスケッツ
- なお、番組終了に伴い全てのユニットが活動を停止している。解散したわけではない。
[編集] エンディングテーマ
ウリナリではレギュラー放送時代は番組で結成された企画ユニットの曲をエンディングテーマとしていた。エンディングテーマは無い時期もあり。
- 「Can't Stop My Heart」Mckee
- 「Rapturous Blue」ポケットビスケッツ
- 「Yellow Yellow Happy」ポケットビスケッツ
- 「Red Angel」ポケットビスケッツ
- 「GREEN MAN」ポケットビスケッツ
- 「STAMINA」ブラックビスケッツ
- 「Timing」ブラックビスケッツ
- 「POWER」ポケットビスケッツ
- 「Relax」ブラックビスケッツ
- 「青の住人」TERU
- 「マーガレット」CHIAKI&FruitsFlowers
- 「まごころ」ウド鈴木
- 「Bye Bye」ブラックビスケッツ
- 「Days」ポケットビスケッツ
- 「My Diamond」ポケットビスケッツ
- 「MIllenium」Yuming+ポケットビスケッツ
- 「サヨナラッ」南々見組
- 「partner"S"」ブランニュービスケッツ
- 「東京LOVE」黒幕&愛人
- 「TOMORROW」メモリーキャッツ
- 「バレム~願い~」ウルトラキャッツ
以上がレギュラー放送時代のエンディングテーマで、主にユニットのプロモーションビデオやメイキングビデオの映像とともに流れていた。現在では各ユニットが活動停止中となっていることや「ウリナリ社交ダンス部」のみが独立した特番となったため、エンディングテーマはない。
[編集] スタッフ
- 企画 : 内村光良、南原清隆
- ナレーション:奥田民義、バッキー木場ほか
- 構成:廣岡豊、清水東、内村宏幸、海老克哉、そーたに、おちまさと、都築浩、鮫肌文殊、中野俊成
- 演出:工藤浩之、加藤幸二郎
- CGタイトル:アクセス(1997年9月~2000年5月)
- チーフプロデューサー:棚次隆(前期)→吉川圭三(後期・スペシャル)
- プロデューサー:戸田一也→矢追孝男(スペシャル)
- プロデューサー・演出:土屋敏男(途中降板)
- ディレクター(歴代):中村英明、磯野太、篠宮浩司、中西太、塩谷祥隆、植木一実、長田昌之、寺野慎一郎
- 製作 著作:日本テレビ
[編集] 関連項目
- 冠番組
- コント
- ウリナリ7
- 日本お笑い史
- 投稿!特ホウ王国
- ウンナン世界征服宣言
- ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!(前番組)
- ウリナリ芸能人社交ダンス部
- 日本テレビ金曜夜8時枠
- ぐるぐるナインティナイン(金曜19時に放送している番組でこちらも看板番組だった。また、ウリナリとセットで見ている視聴者も多く、金曜19・20時のぐるナイ・ウリナリは1990年代後半の日本テレビ全盛期を支えた。)
[編集] 外部リンク
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(公式サイト・日本テレビ)
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(リニューアル前公式サイト)
日本テレビ 金曜20時台 | ||
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