ウラン・ウデ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラン・ウデ(ロシア語:Улан-Удэ; ブリヤート語:Улаан-Удэ)は、ロシアの東シベリアにあるブリヤート共和国の首都である。
目次 |
[編集] 概要
人口は約38万6700人。
[編集] 歴史
1666年、ロシア帝国のコサック部隊がウデ川の河畔に建設した要塞に由来する。当初の名前はベルフネウジンスクで、現在のウラン・ウデの名称はソビエト連邦時代以降である。 ウラン・ウデとは「赤いウデ川」という意味である。
ロシア革命後には反革命軍、次いでシベリア出兵により日本軍がこの街を占領し、1920年にはソビエト政権による緩衝国家である極東共和国の首都となったが、1922年にソビエトが支配を回復した。1923年にはブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国の首都となり、現在に至るまで地域の中心となっている。
[編集] 気候
内陸型気候であり、夏は短いが、比較的温度が上がり、平均気温は20度近くまでになる。冬は酷寒で、平均気温はマイナス20度を下回る。雨は一年を通じて少ない。
[編集] 産業
シベリア鉄道の通過地であり、モンゴルのウランバートルを経て中国の北京に至る支線の分岐地としても重要である。
ウラン・ウデは、ソ連時代より航空機産業の中心地のひとつとされてきた。ソ連崩壊後、特にミル設計局のヘリコプター製造工場であったウラン・ウデ工場は、現在では独自にMi-8の派生型等を開発・生産・輸出しており、ロシアの航空産業を担う大きな柱となっている。
[編集] 姉妹都市
[編集] ウラン・ウデ出身の著名人
- イリナ・パンタエヴァ(Irina Pantaeva)