エメ・ジャケ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
エメ・ジャケ(Aimé Jacquet、1941年11月27日 - )は、フランス・ロワール県出身の元サッカー選手、元サッカーフランス代表監督。
フランスのサッカークラブチーム・サンテティエンヌに12年間在籍。その後、リヨンとボルドーでコーチを務めて優勝。1993年、フランスがアメリカW杯予選で敗退し、本大会出場を逃したのを受けてフランス代表監督に就任。エリック・カントナ、ダヴィド・ジノラやジャン=ピエール・パパンら当時のスター選手を外すなど、当初はメディアの批判にさらされていた。又彼らに代わって、ジネディーヌ・ジダン、ティエリ・アンリ、シルヴァン・ヴィルトールなど移民、移民の子、移民の子孫を主力として据えた事から、国粋主義者に脅迫される事になった。フランスの極右政党である国民戦線などは「ラ・マルセイエーズも歌えない連中をフランス代表とは認められない」と罵ったものである。
ジャケは見事にこれらのプレッシャーを跳ね返しEURO1996で準決勝進出と結果を出し、1998年、地元開催のフランスW杯でフランスにとってはじめてのワールドカップ優勝を果たす。結果として1998年7月12日深夜、パリのシャンゼリゼ通りは「アレ・ラ・フランス(行け!フランス!)」の大合唱となり、あたり一面トリコロールの海となったのは国粋主義者達にとっては皮肉である。
優勝とともに勇退し、以降はフランス・サッカー協会のテクニカルディレクターを務めていた。2006年12月、引退。
[編集] 経歴
[編集] 選手として
- 1961年-1973年 - サンテティエンヌ(フランス)
- フランスリーグ優勝 5回(1964年、1967年、1968年、1969年、1970年)
- フランスカップ優勝 3回(1962年、1968年、1970年)
- 1973年-1976年 - リヨン (フランス)
[編集] 指導者として
- 1976年-1980年 - リヨン(フランス)
- 1980年-1989年 - ボルドー(フランス)
- フランスリーグ優勝 3回(1984年、1985年、1987年)
- フランスカップ優勝 2回(1986年、1987年)
- 1989年-1990年 - モンペリエ(フランス)
- 1990年-1991年 - ナンシー(フランス)
- 1992年-2006年 - フランス代表
![]() |
フランス代表 - 1998 FIFAワールドカップ(優勝) | ![]() |
---|---|---|
1 ラマ | 2 カンデラ | 3 リザラズ | 4 ヴィエラ | 5 ブラン | 6 ジョルカエフ | 7 デシャン | 8 デサイー | 9 ギヴァルシュ | 10 ジダン | 11 ピレス | 12 アンリ | 13 ディオメド | 14 ボゴシアン | 15 テュラム | 16 バルテズ | 17 プティ | 18 ルブフ | 19 カランブー | 20 トレゼゲ | 21 デュガリー | 22 シャルボニエ | 監督: ジャケ |
カテゴリ: フランスのサッカー選手 | サンテティエンヌの選手 | リヨンの選手 | フランスのサッカー指導者 | 1941年生