エンロン
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エンロン(Enron Corporation)は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに存在した、総合エネルギー取引とITビジネスを行う企業。
2000年度には全米売上げ第7位という大企業に成長し、2001年には21,000名ほどの社員を抱えていた。しかし、巨額の不正経理・不正取引が明るみに出て、2001年12月に破綻に追い込まれた。破綻時の負債総額は160億ドルを超えると言われ、2002年7月のワールドコム破綻まではアメリカ史上最大の企業破綻であった。
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[編集] 歴史
エンロンの起源は、1930年に数社のエネルギー(ガス・電力・パイプライン)関連企業が集まってできたノーザン・ナチュラル・ガスにさかのぼる。1979年に同社は企業再編を行い、持株会社としてインターノースを設立した。ガス業界の規制緩和によって業界再編が進む流れの中で、1985年にインターノースがヒューストン・ナチュラルガスと合併してエンロンが誕生した。当初は、英語のenterとonを組み合わせたEnteronを合併会社の社名としたが、"enteron"という英単語が「消化管」を意味することに気づいたため、短縮したEnronを採用した。また、この合併はインターノースがヒューストン・ナチュラルガスを買収する形で行われたが、本社は後者の本拠地であったヒューストンに置かれ、なおかつ後者のCEOであったケネス・レイが合併会社のCEOに就任し、2001年の破綻に至るまで実権を握っていた。
1980年代の暮れには、業界の先端を走るようにガス取引に積極的にデリバティブを取り入れ、企業規模を拡大していった。経済学を学んだスタッフを多く抱え、エネルギー業界に限らないキャッシュフロー経営の最先端企業ともなり、アメリカの投資バブルにも支えられ、安定した経営をアピールした。
こうした一方、1980年代暮れには、粉飾会計に手を染めるようになっていた。1990年代のうちに、時価主義会計を利用して見かけ上の利益を水増しする、当時でも合法ぎりぎりの会計も積極的に利用して売上・利益を増大させていった。さらに、インサイダー取引についても、1980年代から行われていたことが明らかになっている。
1990年代後半には、デリバティブで電力価格がわかりにくくなっているのを利用して、同じ電力に対して同量の売りと買いを発生させて実質の取引量がゼロであるにも関わらず売上を上げる取引も積極的に取り入れた(循環取引)。空売りなどによる売上・利益確保は2000年のカリフォルニア電力危機においても積極的に行われたため、この危機の原因の一つともなった。1998年には利益に占めるデリバティブ比率は8割を越えた。
[編集] 損失隠し
この裏では、取引損失を連結決算対象外の子会社(SPE:特別目的事業体)に付け替えて簿外損失とすることも積極的に行われた。会計を全米有数の会計事務所であったアーサー・アンダーセンが担当していたために、決算における市場の信頼は厚かったが、実際にはアーサー・アンダーセンならびに顧問法律事務所も、数々の違法スレスレのプロジェクトの遂行や粉飾決算に荷担していた。
損失を簿外に隠蔽するプロジェクトの例として、ADSLをベースとするISPであったリズムス・ネットコネクション株に関するLJMプロジェクトがある。エンロンはリズムス株を1998年3月に1株あたり1.85ドルで買収したが、1999年4月に同社が上場すると上場日の終値は69ドルにもなり、その後も上昇を続けたため、エンロンが採用していた時価会計によって評価益が発生した。しかし、実際には契約によりエンロンはリズムス株を4年間売却することができず、あくまでも経理上の評価益にとどまっていた。
このリズムス株の値下がりリスクをヘッジするという名目で、エンロンはSPEであるLJMパートナーズを設立した。最大で3億ドル近くあった評価益を、エンロン本体は1億ドルのみ計上して、残りの2億ドル程度をLJMに移管し、その代わりにリズムス株が値下がりした場合の損失はLJMが負担することとした。しかし、LJMは巧妙に連結対象外となるように仕組まれてはいたものの、事実上はエンロンと一体のものであり、リズムス株がその後急落して評価損が出るとその損失を簿外に隠蔽する役割を果たした。
さらに、LJMの設立にあたっては、CFOのアンドリュー・ファストウをはじめとする幹部がエンロン本社の取締役会の承認を得ずにLJMの役員を兼任して高額の報酬を得ていたり、アーサー・アンダーセンや顧問法律事務所にも多額の手数料が渡っていた。
リズムスはその後2001年8月に破綻したため、本来であればエンロン本体として計上すべき1億ドルの損失が隠蔽されることになった。LJMの場合には当初の設立目的は損失隠しではなく、結果的にその役割を果たすことになったが、後には多くのSPEが最初から巨額の損失を簿外に隠蔽する目的で設立された。
[編集] エンロン・オンライン
1999年に設置した「エンロン・オンライン」においては、電力だけでなく、元々エンロンのフィールドであったガス・石油をはじめ、石炭、アルミニウム、パルプ、プラスチック、果ては信用リスク、天候、ネットワーク帯域幅、排ガス排出権に至るまで、あらゆる商品の市場をインターネット上に開設し、そのすべてでエンロン自体が売り手・買い手として取引を行った。そのため、表面上の売上・利益は急激に拡大していった。
このエンロン・オンラインのアイデアとシステムは、稼働当時はもちろん、エンロン破綻後も高く評価されていた。しかし、ビジネスモデルが手数料ビジネスではなく自ら売買を行うトレーディングであったにもかかわらず、これまで経験のない商品の市場にも積極的に乗り出していったために、もともとその市場にいたプレーヤーにいいように利用された面もあった。
折からのアメリカにおけるITバブルの波にも乗り、1990年代後半にはエンロンは革新的でなおかつ安定した成長を続ける超優良企業としての名声を確立していった。
- 1999年 CFOマガジン CFO賞(CFO Excellence Award)をCFOのアンドリュー・ファストウが受賞
- 1996年~2001年(6年連続) 『フォーチュン』誌「アメリカで最も革新的な企業」
1999年には、ヒューストン・アストロズの本拠地であるアストロズ球場の命名権を30年・1億ドルで買収し、「エンロン・フィールド」と名付けた。エンロン破綻後、2002年2月にアストロズは5百万ドルを支払って契約を解除した。
[編集] 政治との関係
エンロンはロビー活動にも積極的であり、2000年の大統領選挙の年には共和党・民主党の双方に対して合計で20億ドル以上という高額の企業献金を行った。特に、ケネス・レイと地元テキサス州出身である共和党ブッシュ大統領やチェイニー副大統領との個人的な友好関係は有名であり、これらの献金や友好関係が電力自由化やキャッシュフロー会計などの連邦政府・州政府の政策に影響を与えたのではないかという指摘もある。また、2001年には当時のパウエル国務長官がダボール発電所プロジェクトの事態収拾のためにインドに派遣されるなど、アメリカの外交にも大きく影響を与えた。
2000年8月にはエンロンの株価は90ドルを超えた。この時点で経営陣は「株価は130ドルから140ドル程度まではこのまま上昇するだろう」との見通しを提示し、アナリストもエンロン株を「ストロング・バイ」として推奨した。そのため、年金基金などの堅実で知られる投資主体も、エンロンの株・債券をポートフォリオに組み入れていった。
[編集] 破綻
カリフォルニア電力危機で経理上は大きな利益を上げたものの、この危機で2001年2月にパシフィック・ガス&エレクトリック社が倒産したため、実際には同社に対する数億ドルにも上る債権が回収不能となった。2001年夏には、インド・ダボール発電所、アズリックス(水道事業)など、海外での十億ドル単位の大規模事業の失敗などが明るみに出始め、株価も下落を始めた。2001年10月16日に発表された第三四半期報告では赤字が発表された。それでもアナリストはこれをそれほど問題視しなかった。
2001年10月17日、ウォールストリート・ジャーナルがエンロンの不正会計疑惑を報じた。株価はこの日から急落する。証券取引委員会(SEC)の調査も始まった。11月6日、同じヒューストンに本拠を置くパイプライン企業であるダイナジーが合併に名乗りを上げ、エンロンは崩壊を免れるのではないかとの観測もいったんは流れた。しかし、SPEの特殊なスキームにより、エンロンの株価が一定額を下回るとエンロン本体に巨額な債務が発生してそれがまた株価を押し下げるなど、状況は加速度的に悪化し、さらには数々の不正経理が明るみに出るに及んで、11月28日買収交渉は決裂した。その結果、12月2日にエンロンは連邦倒産法第11章適用を申請し、事実上倒産した。エンロンに投資していた投資家、ならびに自社株を401kプランに組み込んでいた従業員など多くの関係者が巨額の資産を失い、あるいは損失を抱えることとなった。その中で、CEOケネス・レイ、CFOアンドリュー・ファストウ、COO(一時期ケネス・レイの跡を継いでCEOとなった)ジェフ・スキリングなど、会社の中枢にいた経営陣ならびにその家族は2000年夏以降の株価下落局面において大量のエンロン株を売り抜けており、インサイダー取引の疑いでSECの調査・訴追を受けることとなった。
エンロンという会社は、連邦倒産法第11章による会社再編を経て2007年04月現在まだ存続している。2004年9月には傘下のクロスカントリー・エナジー(米国内のパイプライン資産を中心に設立した会社)をCCEホールディングスに売却した。さらに、2006年9月にはプリズマ・エナジー(海外資産を中心とする会社)のアシュモア・エナジー社への売却が完了した。これらの売却によって得たキャッシュの債権者への分配が開始されており、2006年10月時点で既に94億ドルが債権者に分配された。現在エンロン傘下で企業活動を行っているのはポートランド・ジェネラル・エレクトリック(PGE、オレゴン州の発電会社)のみとなっており、この会社の株式と残存流動資産を債権者に分配することによって活動を終了する方針で、現在交渉が進められている。
1997年、三池炭鉱跡地に火力発電所を建設する計画を発表していたが、これも株価操作のためで、首脳陣には実現する気などなかった事が判明している。
[編集] 影響
- カリフォルニア電力危機におけるエンロンの関与は、自由化された電力市場における取引のルールの見直しのきっかけの一つともなった。
- エンロン破綻以降、アメリカの大企業で次々と粉飾決算が発覚し会計不信が広がり2002年7月には同じくワールドコムの不正が明らかになり同社が倒産する事態となった。2002年6月にはブッシュ大統領が遊説先のフロリダで「腐ったリンゴがいくつかあるが、アメリカの大企業の95%は健全で資産や負債の内容も適切」とパニックを控えるよう促したが、その直後にワールドコム破綻が起こり大統領は赤恥をかくことになった。
- 監査を担当しながら、一方で会計粉飾やその証拠の隠蔽に関与していたアーサー・アンダーセンの信用は失墜し、世界5大会計事務所の1つと言われた名門会計事務所は2002年に解散を余儀なくされた。エンロンとワールドコムを合わせ、アメリカのみならず世界を代表する3社もの巨大企業と信用を短期間で失ったアメリカ経済は大きな混乱に陥り、世界経済に与えた影響も計り知れない。
- 共通点を指摘されるワールドコム破綻とも関連して会計・監査・情報公開などの制度見直しのきっかけとなり、2002年7月には上場企業会計改革および投資家保護法が制定された。
- アメリカが1980年代の不況から再生するためのマーケット自由化施策の副産物として、1998年のヘッジファンドLTCMの崩壊や、2000年のネットバブル崩壊などと一貫で捉える声もある。
- エンロンの株価が20ドル以下となった2001年10月においても、まだ多くのアナリストがエンロン株を「ストロング・バイ」と推奨していたことは、アナリストの客観性・状況対応能力に対する信頼を失わせる結果となり、コンピュータによる客観的・機械的な格付けモデルの進歩を促した。
- 日本でも2006年1月に、ライブドアによる不正経理の発覚に端を発し、堀江貴文ら経営陣の証券取引法違反による逮捕、いわゆるライブドア・ショックと呼ばれる日本株式の暴落という、一連のライブドアスキャンダルが発生した。このライブドアとエンロンの間には、連結外を装った投資ファンドを使い、なおかつ自社株を使った資金調達や不適切な利益操作、本業を忘れ、バーチャル事業を中心に買収によって事業を拡大する行き過ぎた多角化経営、政治への関与の意欲など、共通点も数多く指摘されている。相違点としては、エンロンが数兆円、ライブドアは約50億円の不正経理だということが挙げられる。ライブドアは2007年04月現在でまだ存続している。
[編集] 関連項目
[編集] 映画
- ディック&ジェーン 復讐は最高!(同社の破綻を参考にして作られた映画)
- エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?(en:Enron: The Smartest Guys in the Room)(同社の破綻を扱ったドキュメンタリー映画)
- 歪んだエンロン 虚栄の崩壊(入社から崩壊までをエンロンと共にした元社員の1人を描いたドキュメント映画)