堀江貴文
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堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 - )は、日本の実業家である。株式会社ライブドア(東証マザーズ:4753、2006年4月14日付で上場廃止)の前代表取締役社長CEO。福岡県八女市出身。血液型A型。愛称は「ホリエモン」。
目次 |
愛称
ホリエモンという愛称は元々ライブドア社内で使用されていたものであった。堀江社長のポケットからアイデアが沸いて出てくるという意味でつけられたという。この名称が一般メディアで取り上げられたのは、2004年、井上トシユキが『SPA!』に連載していた「エッジな人々」が最初であると思われる。
同年8月にライブドアのキャンペーンとしてインターネットで堀江の所有する競走馬のニックネームを募集したところ馬名がホリエモンに決定し、さらにこの名称の知名度を上げた。その後マスメディアがその名称を馬主である堀江の愛称としてニッポン放送買収を期に使い始めたため、一気に広まった。
来歴
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生い立ち
1972年、平凡なサラリーマンの家庭に生まれる。
会社設立
久留米大学附設中学校・高等学校卒業。東京大学文学部宗教学・宗教史学専修課程中退。大学在学中にウェブページ制作請負会社、オン・ザ・エッヂ(現・ライブドア)を600万円で設立。2002年、経営破綻した旧ライブドア社より営業権を取得した。
プロ球団買収
2004年に経営難でオリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)との合併が決定された、大阪近鉄バファローズ買収を申し出たことから一挙に注目を浴びる。申し出を拒否されると、今度は東北に新球団を設立する計画を発表、本業の競合他社でもある楽天と参入を競い合うが経営体力の不足等が指摘され、審査の結果楽天の参入が決定、ライブドアの参入は実現しなかった。その後も公営競馬の運営業務への参入打診を図るが、結局白紙となった他、経営危機に陥っていたJ2リーグ・サガン鳥栖の経営参加を計画するもやはり実現に至らなかった。競走馬「ホリエモン」を所有していた。
2004年10月、ベストジーニスト受賞。また2005年3月には第42回ゴールデン・アロー賞話題賞を受賞。後者は、タレント活動もしていたとは言え実業家の受賞は異例である(非・芸能人の同賞受賞者は、これまでスポーツ選手や作家にはいた)。
ニッポン放送買収
2005年2月、社長を務めるライブドアはニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となる。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得。なお、株取得が報道された直後からフジテレビジョンを出入り禁止になり、平成教育2005予備校から降板させられた。この時にフジテレビと大きな騒動となり報道機関が殺到することになる。その時に彼が言った言葉で有名なのは、主に「想定の範囲内」という言葉がある。
しかし、2005年4月、ライブドアとフジテレビジョンとの間で和解が成立。ライブドアの所有するニッポン放送株式全てをフジテレビジョンが取得することが発表された。フジテレビジョン側がライブドアに支払った金額は1400億円ほどであり、このことで2005年のフジテレビの株主総会で株主らが日枝久会長ら経営陣や堀江貴文に対し批判を行った。またこの和解によってフジテレビ出入り禁止は解除された。
2005年6月には自民党での講演でフジテレビ日枝久会長と共に呼ばれたが、お互いの溝の深さが露呈する講演となってしまった。
2005年7月23日放送のFNS25時間テレビよりフジテレビの番組出演が解禁され、細木数子との対談を行った。ちなみに何故か六本木にあるライブドア本社からお台場フジテレビのスタジオまでマラソン姿で走り、久しぶりに「想定の範囲内」という言葉が使われた。
総選挙立候補
2005年8月16日に衆議院の解散にともなう総選挙において、自民党から福岡1区での立候補を打診され、出馬するかどうかは未定であることが明らかとなっていた。
総選挙には出馬したが、亀井静香の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、創価学会からの組織票を得る為に「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香に敗北し落選した。敗北後、また衆院選で同じ広島に出馬する意向を示唆した。また、選挙投票日である9月11日に自身が所有する競走馬のホリエモンが高知競馬場で出走、こちらは見事に初勝利を挙げた。
自民党からは堀江を擁立することに対する批判が相次ぎ、また、堀江が自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。その後、無所属で広島6区から出馬することに決定したが、彼は郵政民営化賛成の立場で且つ自民党も対抗馬を立てないことから、選挙戦の構図上は自民党からの出馬、所謂刺客候補(同区には郵政法案に反対した亀井静香がいるため)であるとの見方もある。
ちなみに当人は住民票が現在の居住地(六本木ヒルズ)である為に9月6日に東京の選挙区で不在者投票を済ませていた。
2005年8月22日に放送された日テレのザ・ワイドで生中継のインタビューを受け、有田芳生に北朝鮮との間で抱える日本人拉致問題に関する質問に対しては、「経済援助して北朝鮮が自立出来る流れを作るべき」「太陽政策が良いと思う」と返答した。
2005年9月6日には都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を感じる」「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制にした方が良い」と言う天皇制の否定とも取れる趣旨の発言が一部で物議を醸し、選挙特別番組でも国民新党の亀井静香が「自民党が天皇制を否定するような人物を擁立すべきでない」と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三等に対し不満を漏らした。
受賞
- 2004年新語・流行語大賞-「新規参入」で受賞
- 2005年新語・流行語大賞-「想定内(外)」で受賞。他に「ホリエモン」も推薦された。
その他
2005年大晦日の「第47回輝く!日本レコード大賞」では、タキシードを着て最優秀新人賞のプレゼンターを務めた。
証券取引法違反容疑
- 詳細はライブドア事件を参照
経緯・推移
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- 2006年1月16日、東京地検特捜部は、証券取引法違反容疑で六本木ヒルズのライブドア本社や堀江貴文の自宅など関係各所の捜査に着手した。[1]
- 1月23日、証取法違反(風説の流布、偽計取引)の容疑で、東京地検特捜部に逮捕された。
- 2月13日、東京地検は、証取法違反(風説の流布、偽計取引)の容疑で起訴した。被告人となる。
- 2月22日、証取法違反(有価証券報告書虚偽記載)の容疑で再逮捕。同時に熊谷史人代表取締役も逮捕される。
- 3月14日、東京地検は、証取法違反(有価証券報告書虚偽記載)の容疑で追起訴した。
- 3月16日に岡本被告、翌3月17日宮内被告と中村被告、熊谷被告は4月5日にそれぞれ保釈されたが、堀江被告の保釈請求は通らなかった。[2]
- 4月26日、東京地裁は、堀江被告から出されていた3回目の保釈請求に対し、保釈を決定した。保釈保証金は3億円。堀江被告側はこれを小切手ですぐに支払った。この保釈決定に対しては、東京地検が準抗告したため、保釈の執行は停止された。翌4月27日、東京地裁は東京地検の準抗告を棄却した。
- 4月27日21時40分ごろ、94日ぶりに保釈され公の前に姿を現わした。大勢の報道陣にフラッシュをたかれカメラを向けられる中、報道陣に軽く会釈し、「大勢の方や株主にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」と語り車に乗り込んだ。保釈後は自宅のある六本木ヒルズへと戻った。髪の毛はこの3ヶ月間切っておらず、ずいぶんと伸びていた。体重も15kgも減ったという。[3]
- 6月20日、前年のニッポン放送の経営権問題での、村上ファンドの村上世彰前代表とのインサイダー取引をめぐって、東京地検特捜部から参考人聴取を受ける。
- 9月4日、東京地裁で初公判。午前9時30分に地裁に現れた際、体型は逮捕時の水準にほぼ戻っており、顔つきがややりりしく、服装は上下黒いスーツ・白いワイシャツだった。だが法廷では青いネクタイをしめた(ネクタイ自体何年ぶりか覚えていないと堀江被告は言っている)。罪状認否では「起訴状は悪意に満ちて書かれている」「そのような犯罪も指示もしたことがなく、起訴されたことは非常に心外だ」と起訴事実を全面否定、無罪を主張し、検察側と全面的に対決する姿勢を見せた。公判は滞りなく進み、地裁から出てくる際はネクタイをしていない最初現れたときの服装だった。この後は11月28日までに合計26回の公判を行なった。
- 12月22日、論告求刑において、検察官は「一片も反省の意が感じられない」と堀江被告を痛烈に批判し、懲役4年を求刑。
- 2007年1月26日、最終弁論が開かれる。堀江被告は涙声で「取り調べなしに突然逮捕された」「おまえをつぶすという意気込みで、こちらは商売できない」などと検察を痛烈に批判した。[4]
- 3月16日、東京地裁での判決公判があり、小坂敏幸裁判長は「上場企業の責任者としての自覚が微塵も感じられない」などと述べ、懲役2年6ヶ月の実刑判決(求刑懲役4年)が言い渡された。主任弁護士の高井康行弁護士は後の記者会見で「非常に不当な判決」として即日控訴した。また、保釈金2億円を追加納付して再保釈された。[5]
偽計取引、風説の流布容疑
東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアが実質的に支配する投資事業組合が、既にマネーライフ社を買収していたにもかかわらず、増資や架空売り上げを計上するなどし、ライブドアマーケティング社(現メディアイノベーション)が、それら事実を偽って公表したとするもの。
有価証券報告書の虚偽容疑
東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアの2004年9月期の連結決算では経常赤字であったにもかかわらず、架空売上の計上、投資事業組合を通じたライブドア株式売却による投資利益を売上に計上し、50億3400万円の経常黒字であるとする虚偽の有価証券報告書を提出したとするもの。
事件に関連し報道されたエピソード
- 2006年1月23日から4月27日までの勾留中、堀江被告は韓国語の勉強をしたり、史記や山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」など文庫本を200冊以上読んでいた。「沈まぬ太陽」に関しては、これに感銘を受け、保釈後の5月21日、日本航空123便墜落現場の御巣鷹の尾根へ登り、慰霊を行った。
- 保釈後は基本的に自宅の六本木ヒルズからは1歩も出ておらず、通販などで買った食品を自分で料理したり、出前を頼んでいる毎日であるという。拘置所内での生活により、見た目は大きく変貌し、かなりのダイエットに成功していた。しかし、保釈後の生活により、いくらか体重がリバウンドしたようであるが、リバウンド後知人から「メタボ」と呼ばれているらしい。
- 過去の部下である宮内被告や熊谷被告はすでに初公判を済ませ、「堀江の指示」を強調し起訴事実を大筋で認めているが、堀江被告は公判前整理手続に際して起訴事実を徹底的に否認していて、検察とは全面的に争う構えである。
- 2006年8月に、サイバーエージェントの藤田晋社長が同社最高技術責任者 (CTO) として検討していると発言している。しかし、裁判がまだ終わっていないため、実際に入社するかどうかは微妙である。
- 2007年3月16日地裁判決公判が始まる朝10時、NHKと民放キー局5局(5つのニュース系列)で報道特別番組が組まれた。3月18日OAのTBS「アッコにおまかせ!」によると、「実刑」「懲役2年6ヶ月」の2つの言葉を最も早く伝えたのはテレビ東京(TXN)の10時2分13秒であり、最も遅かったのはテレビ朝日(ANN)の10時2分23秒であった。「他社より早く」というテレビマンの戦いが垣間見られた瞬間だった。
その他
- かつては「社長日記」というブログを書いていたが、逮捕され社長を辞任した後は「堀江貴文日記」と改名された。4月下旬保釈前にこのブログは削除された。
- 堀江被告はライブドア関連の役職をすべて総辞職してはいるが、今でもライブドアの発行済み株式を約17%持っている筆頭株主である。ただ、保釈後に「ライブドアの経営にかかわることはない」とコメントしている。[6]
- ほぼ同時期に発覚している日興コーディアルグループ、カネボウの粉飾決算問題等の額の違いや悪質性、量刑、逮捕者が出てないこと、検察やマスコミの対応が違い過ぎるとの声がある。
地裁判決後
- 判決を受けて、以前衆院選を争った国民新党の亀井静香代表代行は「まだ若いんだから、これからスタート切ってほしい」とエールを送り、「わが息子」と持ち上げた自民党の武部勤前幹事長は「裁判は裁判」と淡々と述べ、また、小泉純一郎前首相は報道陣に対して「親しき仲にも礼儀あり」とした。
- 同日の判決後、テレビ朝日「報道ステーション」スタジオ内で古舘伊知郎の単独取材に応じた(放送前録画)。今まで主張してきたこととほぼ同じことを述べたが、「ライブドアの企業価値は下がっていない」とも答え、「人間としてどう反省してる?」との質問には「人を疑えってことですかね。株主には出来るだけ還元したいと思っていた」ともした。
- また、同日にはTBS「筑紫哲也NEWS23」に緊急生出演。判決理由に対して「裁判は公平だったが、主張が認められていないし、どうしてそういう事実認定になったか分からない」とした。公判前整理手続については「負担はなかった」、実態を大きく見せようとしたとの質問には「株主を欺こうなんて考えていない」とした。反省の意が感じられないとのことは「無罪を争っているので、それは仕方がない」、株主に対する責任については「自分としては果たしてきたが、今ではどうしようもない」。今後の生き方については「まだ考えられない状態だ。民事のほうでも決着が着かないと、ホントに新たな気持ちに切り替えることはできない」とした。控訴審については「私も早く終わらせたいし、納得のいく形にしたい」とした。
メディア出演
著書
- 儲け方入門~100億稼ぐ思考法 ISBN 456964094X
- 100億稼ぐ仕事術 ISBN 4797330848
- 100億稼ぐ超メール術 1日5000通メールを処理する私のデジタル仕事術 ISBN 4492501312
- 世界一の金持ちになってみろ!―単純に考えればうまくいく 竹村健一との共著 ISBN 4884664094
- プロ野球買います!―ボクが500億円稼げたワケ ISBN 4901318209
- 堀江貴文のカンタン! 儲かる会社のつくり方 ISBN 4797326948
- 稼ぐが勝ち ゼロから100億、ボクのやり方 ISBN 4334974600(単行本) ISBN 433478383X(知恵の森文庫)
- WebクリエーターのためのWebページ制作実践テクニック―HTML4.0対応 ISBN 4774106631
- ホリエモンの想定外のうまい店 ISBN 4779400090
- 堀江式英単語学習帳 ISBN 4779400015
- ライブドアの世界一になるキャッシュフロー経営 ISBN 4916089502
- ホリエモンの新資本主義! お金持ち¥三択ドリル ISBN 4334974813
- 僕が伝えたかったこと ISBN 4838715919
過去の出演番組
- DOORS(TBS系)
- お笑いLIVE10!(TBS系、2005年11月2日)
- 学問の秋スペシャル・たけしの日本教育白書 2005年11月12日 フジテレビ系
- 世界初!!新iQテスト空前の全国一斉試験!!(テスト・ザ・ネイション 全国一斉IQテスト)2005年11月27日 テレビ朝日系
- 角淳一の大大大正月2006(ちちんぷいぷいの特別編)2006年1月1日 毎日放送(関西ローカル)
- 平成教育予備校(フジテレビ系)
CM
(現在は放映されていない)
その他
- コアなアニメや漫画の鑑賞が趣味であり、本人が絶賛する『王立宇宙軍~オネアミスの翼』に関してはいつか続編を作りたいとも口にしている(発言しただけで計画は無い)。また、『ローゼンメイデン』を愛読している。
- テレビゲームの趣味では『ドラゴンクエストシリーズ』が好きだったとされる。
- 音楽の趣味では、好んで聞くJ-POPのアーチストの一つが、氣志團である。
- サッカーファンであり、実は「ジョホールバルの歓喜」の現場に駆けつけたサポーターの一人である。今でもしばしばスタジアムに足を運ぶ姿が目撃されている。なお、代表の試合を観戦する際には、昔からファンである三浦知良のレプリカユニフォームを着ている。
- 競馬最強の法則Webのサイトのドメイン名として有名な"k-ba.com"はもともとは1996年に堀江(サイトオーナーとしては「ほりえたかふみ」とひらがな表記)が運営する競馬サイト"The Derby Square"のドメイン名として取得されたが、競馬最強の法則に売却された。また、サイト設立時は一部コンテンツを引き継いでいる。
- かつてホリエナジーという栄養ドリンクが発売された。[7]しかし、堀江が逮捕されたのを受け、店頭から撤去された。[8]
- 関連会社や取引先などからは、中退したとはいえ東大合格者の上、マサヨシには敵わないとはいえITという花形産業の中でもトップという偉い人(偉人)であることから、敬意をこめて「堀江センセー」と呼ばれることが多々あった。かつてよりは減少したとはいえ、堀江に世話になった者や尊敬する者からは、この傾向は被告となった現在でも続く(堀江が罠にはめられたと信じて疑わない御仁が少なくないことも手伝う)。
かつての所有馬
- ホリエモン
- トキニワパンチ
- シルフ
脚注
- ^ "ライブドア堀江社長ら、証券取引法違反で逮捕" impress: 2006-01-23. 2007年3月17日閲覧.
- ^ "ライブドア前代表取締役・熊谷被告を保釈" 読売新聞: 2006-04-05. 2007年3月17日閲覧.
- ^ "堀江被告、3カ月ぶりに保釈" 読売新聞: 2006-04-27. 2007年3月17日閲覧.
- ^ "「事件は蜃気楼」・堀江被告側、最終弁論で改めて無罪主張" 日本経済新聞社: 2006-01-26. 2007年3月18日閲覧.
- ^ "ホリエモンに懲役2年6月…ライブドア事件判決" スポーツ報知: 2007-03-16. 2007年3月16日閲覧.
- ^ "ライブドア、平松社長除く5役員退任へ 外資主導に" asahi.com: 2006-11-24. 2007年3月17日閲覧.
- ^ "想定外の激務にこれ1本「ホリエナジー」" ITMedia: 2005-10-18. 2007年3月17日閲覧.
- ^ "「ホリエナジー」を店頭から撤去" ITMedia: 2006-1-24. 2007年3月17日閲覧.
外部リンク
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