オーレル・ハーシハイザー
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オーレル・ハーシハイザー(Orel Leonard Hershiser VI, 1958年9月16日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身の元メジャーリーガー。投手。右投げ右打ち。ハーシャイザー、ハーシュハイザーとも書かれる。 愛称は「ブルドック」あるいは「ドクターO」。現役時代、55番の背番号を好んでつけていた。
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[編集] 経歴
ニューヨーク州バッファローの上流階級の家庭に生まれる。ハーシハイザー家では長男が必ずオーレルの名を受け継ぐ事になっており、彼は4世である。
1983年メジャーデビュー。191センチ・86キロのスリムな体から、確かな制球力のもとシンカー、カーブ、チェンジアップを操り、ドン・サットン、フェルナンド・バレンズエラ、ボブ・ウェルチらと投手王国と呼ばれたドジャースを支えた。メジャー3年目の1985年には19勝3敗、防御率2.03という圧倒的な成績を残したが、その後は打線の援護に恵まれず、2ケタ勝利を挙げても同じくらい敗戦が多く、先発3番手、4番手的な扱いとなってしまった。
そんなハーシハイザーが突如神懸かり的投球を見せたのはメジャー6年目の1988年。開幕から6連勝、6,7月にも6連勝。さらに8月30日のモントリオール・エクスポズ戦5回に2失点してから以降6試合で5完封、ドジャースの大先輩のひとりドン・ドライスデールが1968年に打ち立てた連続無失点イニング58回2/3のメジャー記録を更新し、59回連続無失点を記録した。特筆すべきは記録更新日の9月23日サンディエゴ・パドレス戦。この日まで49回連続無失点。記録更新のためには、この試合で延長10回を0点に抑えなければならない状況。自らが無失点に抑えるのはもちろんのこと、味方が点を取っても記録は更新できない、という限り無く達成困難な状況下、記録更新は本人が語った通り『神の意志』が働いたとしか思えないものだった。結果的にこのシーズンは23勝8敗、防御率2.26という素晴らしい成績でエースとして大車輪の活躍。ポストシーズンに入っても神懸かり的な投球は続き、リーグチャンピオンシップシリーズ・ワールドシリーズでは合計3勝1S、防御率1.05。双方でシリーズMVPを獲得し、さらにサイヤング賞も獲得。タイトルを総ナメにしドジャース7年ぶりの世界一の立役者になった。
2000年に現役引退後、ハーシハイザーはテキサス・レンジャーズのGM補佐を務めたのち、2006年現在はレンジャーズの投手コーチとして現場に復帰している。
[編集] チーム歴
ロサンゼルス・ドジャース(1983年-1994年)-クリーブランド・インディアンス(1995年-1997年)-サンフランシスコ・ジャイアンツ(1998年)-ニューヨーク・メッツ(1999年)-ドジャース(2000年) 18年
[編集] 通算成績
510試合 204勝150敗 5S 3130回1/3 2014奪三振 防御率3.48