ドン・ドライスデール
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ドン・ドライスデール(Donald Scott Drysdale、1936年7月23日 - 1993年7月3日)は、元メジャーリーグの投手。右投げ右打ち。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。ニックネームは“Big D”。
1954年、ブルックリン・ドジャースと契約し、1956年4月17日にメジャーデビュー。ドジャース一筋で14年間プレーし、1950年代から60年代にかけてチームメイトのサンディー・コーファックスと共にドジャースの黄金時代を築いた。
1962年は25勝9敗、防御率2.83でサイ・ヤング賞を受賞。1968年には5月14日のシカゴ・カブス戦から6月8日のフィラデルフィア・フィリーズ戦まで、当時のメジャー新記録となる58回2/3イニング連続無失点記録を樹立した(現在はドジャースの後輩、オーレル・ハーシハイザーに破られている)。ワールドシリーズには5回出場し、1959年・1963年・1965年の3度ワールドチャンピオンに輝いた。
1969年、肩痛のためシーズン途中に32歳の若さで引退。ブルックリン・ドジャース(1958年にロサンゼルスに移転)でプレー経験のある最後のドジャースの選手だった。
通算209勝、2486奪三振はドン・サットンに次ぐ球団歴代2位である。また、サイドスローから内角を厳しく攻める投球スタイルであったため死球も多く、通算154与死球はメジャー最多記録である。
バッティングも良く、1965年には130打数39安打で打率3割を記録。通算29本塁打は投手としては歴代6位、1958年・1965年のシーズン7本塁打はナショナルリーグタイ記録である。
1984年に野球殿堂入り。同年7月1日、背番号「53」がドジャースの永久欠番となった。
1986年、バスケットボールの殿堂入りもしている女子バスケットボール選手アン・マイヤーズと結婚。史上初の殿堂入り選手同士の結婚ということで話題となった。
1993年7月3日、ドジャースの試合の放送のため滞在していたカナダ・モントリオールのホテルで、心臓発作のため56歳の若さで急死した。
通算成績 518試合登板 209勝166敗 2486奪三振 防御率2.95
[編集] 受賞歴・記録
- オールスター8回出場 (1959年、1961年~1965年、1967年、1968年)
- サイ・ヤング賞 (1962年)
- 最多勝1回 (1962年)
- 最多奪三振3回 (1959年、1960年、1962年)