カディス
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カディス(Cádiz)はスペインの都市。アンダルシア州・カディス県の県都。スペイン西部の港湾都市として重要な役割を果たす。人口は約13万3千人。
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[編集] 地勢・産業
大西洋に面する港湾都市。紀元前より貿易港として栄え、現在も工業製品やぶどう酒など様々な商品が積み出される。アフリカなど各地へ向かう船も発着する。近隣の都市としては、約25キロ北西のへレス・デラ・フロンデラ、85キロ南東のアルヘシラスなどが挙げられる。
[編集] 歴史
前10世紀ころ、地中海交易で活躍していたフェニキア人が築いた拠点がカディスの起源とされ、フェニキア人によってガディル(Gadir)と称された。当初はイベリア半島の一部ではなく、半島から離れた小島だったと考えられている。土砂の堆積などによって、やがてイベリア半島と結びついた。古代ギリシア人にもカディスは知られており、彼らにはガデイラ(Gadeira)として記されていた。その後、ローマ帝国、西ゴート王国の支配を経て、イスラーム勢力による征服を受けた。しかし、13世紀半ばにカスティーリャ王国のアルフォンソ10世がイスラーム勢力からカディスを奪い、再びキリスト教勢力の統治下におかれた。その後、カスティーリャ王国とアラゴン王国が合併してスペイン王国が成立したことにともない、カディスはスペイン領となった。
大航海時代の到来にともない、活性化する大西洋貿易の拠点としてカディスは重要な港となった。「新大陸」到達で知られるコロンブスも、その第二回と第四回の航海はカディスから出発している。しかし、当時スペインに代わって交易の主導権を握ろうとしていたイングランドは、たびたびカディス周辺で海賊行為を行った。18世紀初頭のスペイン継承戦争でブルボン家のスペイン王位が承認されると、商業活動の振興を図るブルボン家のもとでカディスはさらに発展する。
19世紀にナポレオン・ボナパルトがスペインに侵略した際も、カディスにはその支配が及ばなった。そのため、カディスのサン・フェリペ・ネリ教会で国民議会が開催された。これはスペイン初の近代議会とされる。国民主権を確認し、それまでの身分制社会における封建的諸制度を撤廃し、1812年憲法(カディス憲法)が採択された。しかし、スペインに戻ったブルボン家の国王は憲法に理解を示さず、絶対君主として振る舞おうとした。
こうした歴史的経緯と、それまでに培われていた自由を重んじる気風から、19世紀のカディスは自由主義的な運動の発端となった。ウィーン体制の発足後、ブルボン家の復古王政下で1820年よりリエゴのもとで自由主義的改革が図られた。(1823年までに鎮圧される。)また、1868年の九月革命でブルボン家の国王が亡命する際も、カディスでの蜂起がその契機となっている。
20世紀には、アサーニャの人民戦線内閣に対してスペイン領モロッコで蜂起したフランコが、モロッコとイベリア半島を結ぶ重要な拠点として早期に占領した。(スペイン内戦も参照。)
[編集] 観光
- 大聖堂
- 大地の門
- サン・フェリペ・デ・ネリ教会
- サンタ・カタリーナ城
- 海の博物館
[編集] スポーツ
カディスCFがカディスを本拠地とするサッカークラブ。リーガ・エスパニョーラに属する。
[編集] 主な出身者
[編集] 関連項目
- フランシスコ・デ・ミランダ(ベネズエラの革命家。カディスで獄死。)
[編集] 外部リンク
- カディスの公式サイト(スペイン語)
- カディス大学(スペイン語、英語)
- 旅行者のためのサイト(スペイン語、英語など)