ケビン・バーン
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ケビン・パトリック・バーン(Kevin Patrick Beirne , 1974年1月1日 - )は、アメリカ・テキサス州出身のプロ野球選手。千葉ロッテマリーンズに所属していた。ポジションは投手。2006年の背番号は42番。オリックス時代の登録名はケビン。
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[編集] 来歴・人物
2003年に大阪近鉄バファローズに入団。当時の梨田昌孝監督は、「すごい投手が来た」と大はしゃぎだった。しかし先発で結果を残せず抑えに転向するも炎上、その後中継ぎ降格と役割はコロコロ変わったが、終盤再転向した先発で適正を見せ、30試合に投げ8勝を挙げた。次年は防御率は改善したものの、6勝に終わる。
2005年にオリックス・バファローズに移籍し、登録名をケビンに変更、先発の一角として期待されたが、13敗を喫し、シーズンオフに解雇された。
2006年からは登録名をバーンに戻し、千葉ロッテマリーンズでプレーする。ロッテとの契約がこじれオリックス入りしたダン・セラフィニ投手と入れ替わる形となった。前年の成績はケビン4勝13敗 防御率4.69、セラフィニ11勝4敗 防御率2.91と、勝ち負けは反対に近かった。 バーンは開幕第2戦の先発に抜擢されるも先発では結果を残せず、シーズン途中から中継ぎに降格、主にビハインドの場面で登板し、不安定ながら3勝を挙げた。一方のセラフィニは左肩痛で2軍落ちとなり、結局1勝も挙げないまま9月3日ヘルニア手術のため帰国した。
球団側はベニー・アグバヤニ以外の外国人選手と同様に来季は契約しない方針であったものの、戦力外通告はされていなかったが、11月28日にフランコ、パスクチと、共に自由契約選手として公示された。
強力打線の福岡ソフトバンクホークス戦に滅法強く、2005年には防御率0.51をマーク。140km台中盤~後半のストレートを中心に、スライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップ、シュートを投げる。球が高めに浮きやすく、それを痛打されることも多かった。
[編集] プロフィール
- 身長/体重 193cm/95kg
- 投/打 右/左
- 出身地 アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン
- 血液型 O
- 球歴 テキサスA&M大-ホワイトソックス(2000)-ブルージェイズ(2001)-ドジャース(2002)-大阪近鉄(2003,04)-オリックス(2005)-千葉ロッテ(2006)
- 推定年俸 1億 (2006年)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
[編集] アメリカメジャーリーグ
46試合登板 3勝3敗0セーブ 防御率6.09 85 2/3投球回 63奪三振
年度 | 球団 | 試合数 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 勝率 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 防御率 |
2000 | CWS | 29 | 1 | 3 | 0 | .250 | 49 2/3 | 41 | 41 | 6.70 |
2001 | TOR | 5 | 0 | 0 | 0 | - | 7 | 5 | 10 | 12.86 |
2002 | LAD | 12 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 29 | 17 | 11 | 3.41 |
※ CWS:ホワイトソックス、TOR:ブルージェイズ、LAD:ドジャース
[編集] 日本プロ野球
107試合登板 21勝33敗0セーブ 防御率4.27 478投球回 379奪三振
年度 | 球団 | 背番号 | 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 勝率 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 防御率 |
2003 | 大阪近鉄 | 23 | 30 | 8 | 7 | 0 | .533 | 129 2/3 | 107 | 63 | 4.37 |
2004 | 27 | 6 | 8 | 0 | .429 | 173 2/3 | 154 | 83 | 3.89 | ||
2005 | オリックス | 21 | 22 | 4 | 13 | 0 | .235 | 109 1/3 | 70 | 63 | 4.69 |
2006 | 千葉ロッテ | 42 | 28 | 3 | 5 | 0 | .375 | 65 1/3 | 48 | 34 | 4.41 |