ゴラン高原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴラン高原(Golan Heights)は、以前はシリア高原と呼称されていたが、イスラエル、レバノン、ヨルダンおよびシリアの国境が接する高原である。シリアおよび国連は同高原をアル・クナイティラの施政区域の一部であると考える。 シリアの砲台のある土地であったために、イスラエルは第三次中東戦争以降同地の占拠を続け、「ゴラン高原」の用語の使用に反対を示している。
目次 |
[編集] 現在の状況
イスラエル国防軍はゴラン高原を1967年から1981年まで占領して軍政下に置き、クネセトはゴラン高原法に基づき同地を併合した。国際連合およびイスラエル以外の当事国のどちらもこの併合を認めず、ゴラン高原はイスラエルに軍事占領されたシリア領であると考える。国連安全保障理事会が決議497「イスラエルの併合は国際法に対して無効である。」を採択し、この見解は固定化した。さらに、レバノンはヘルモン山の領域にあるドヴ山のシェバ農場として知られるエリアの割譲を要求している。シリアの公式見解は農場はレバノン領であるとしている。しかしながらレバノンからイスラエル軍の撤退を確認するために2000年に派遣された国連のチームは、ゴラン高原の一部としての農場がシリア領と同一であることを間接的に保証した。1981年の法律でイスラエルは第三次中東戦争以降同地に留まるシリア人にイスラエルの市民権を与えた。何人かのユダヤ人およびシオニスト組織はゴラン高原を自由なユダヤ人の土地であると考える。この見解は国際的にほとんど支持されていない。
シリアとイスラエルは現在もゴラン高原の領有権を争っているが、第四次中東戦争停戦後の1974年以来、武力行使を行っていない。ゴラン高原の戦略的および水源地としての大きな価値は、両国の交渉が不確かであることを意味している。国際連合のPKO兵力引き離し監視隊(the United Nations Disengagement Observer Force, UNDOF)は1974年に設立され、停戦合意の実施を監督し、地域の分割を維持している。現在1,000名を越える国連平和維持部隊が平和の維持に従事している(日本も1996年から自衛隊を派遣している自衛隊ゴラン高原派遣参照))。
[編集] 古代史
[編集] 第一次世界大戦以来の歴史
[編集] コミュニティ
ゴラン高原には多くのドルーズ人およびチェルケス人の集落が存在する。イスラエル人の入植地は1970年代にカツリンの町が建設されたことに始まり、多くのキブツおよびモシャブが建設された。イスラエル以外の国はゴラン高原でのその居留地の合法性を認めていない。