ザクセン王国
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- ザクセン王国
- Königreich Sachsen
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(国旗) (紋章) - 国歌 :
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首都 ドレスデン 君主号 王(König) 君主家 ヴェッティン家(アルブレヒト系) 面積 14.993 km² 人口 4,806,661 人(1910年) 人口密度 320 成立 ザクセン選帝侯の王位獲得(1806年) 消滅 ドイツ革命による君主制廃止(1918年)
以後ザクセン州へ連邦参議院での投票権数 4 ナンバープレート I, II, III, IV, V
ザクセン王国(独:Königreich Sachsen、英:Kingdom of Saxony)は、1806年から1918年までドイツに存在した王国。前身はザクセン公国。1918年のワイマール共和国の樹立によって消滅した。首都はドレスデンであった。領域は現在のザクセン州の領域と同じである。
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[編集] 歴史
アウステルリッツの戦いで敗北した神聖ローマ帝国は、1806年にナポレオン1世によって解体された。ザクセンも独立した王国とされ、時のザクセン公フリードリッヒ・アウグスト3世は、ザクセン国王フリードリッヒ・アウグスト1世となった。この時独立した王国群は、フランスとライン同盟を構成した。ライン同盟の寿命は短く、1813年にナポレオンがロシアで敗北すると解体した。またワルシャワ公国の大公も兼ねたが同様に解体した。1815年、ウィーン会議の結果、ザクセン王国はドイツ連邦に加入した。しかし王国の北半分をプロイセン王国に割譲させられることになった。
1848年革命の際には、ライプツィヒを中心として自由化運動が広まった。こうした中で成立したブラウン内閣は、言論・出版の自由を保障し、封建的諸特権の廃止を実現させた。また、ザクセン王国内における制限選挙を廃止、21歳以上の男子に普通選挙権を認めた。同年末の議会選挙では少数民族であるソルブ人協会の代表も3人選出された。しかし、こうした改革の潮流は、オーストリアやプロイセンでも反動化が進む中で鎮圧されていった。
1866年の普墺戦争では中立をとろうとしたが、結局オーストリア側についた。そのため、プロイセン軍による占領を受けて降伏を余儀なくされた。この際、ハノーファー、ヘッセン、ナッサウ、フランクフルト・アム・マインなどのようにプロイセンに併合されることはなかったが、形式上の自立のみを残してプロイセンに従属し、北ドイツ連邦に加入した。さらに1871年の普仏戦争で北ドイツ連邦はドイツ帝国となり、ザクセン王ヨハンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓った。第一次世界大戦中の1918年11月3日、キール軍港の反乱をきっかけにドイツ革命が勃発し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位を余儀なくされた。ドイツ帝国は崩壊してヴァイマル共和政が布かれ、最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世もまた、1918年11月13日に退位に追い込まれた。
[編集] 君主一覧
- フリードリヒ・アウグスト1世 (1806年 - 1827年) - ワルシャワ公(1807年 - 1813年)
- アントン (1827年 - 1836年)
- フリードリヒ・アウグスト2世 (1836年 - 1854年)
- ヨハン (1854年 - 1873年)
- アルブレヒト (1873年 - 1902年)
- ゲオルク (1902年 - 1904年)
- フリードリヒ・アウグスト3世 (1904年 - 1918年) - 1918年、退位。ザクセンは共和政へ移行。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- G.シュミット著、松尾展成訳『近代ザクセン国制史』九州大学出版会
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- ドイツ帝国の構成国
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