ジェシー・ノーマン
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ジェシー・ノーマン(Jessye Norman, 1945年9月15日 - )はアメリカ合衆国のソプラノ歌手で、オペラ歌手としてもソリストとしても世界的に著名であり、またクラシック音楽界きっての稼ぎ頭のひとりである。ソプラノ・ドラマティコの声質と圧倒的な声量を持ち、アイーダやカッサンドル、アルチェステ、レオノーラなどの厳粛な役柄を得意としている。
ジョージア州オーガスタの出身。両親は揃って音楽愛好家で、ピアノを得意とする母親と、地元の教会で聖歌隊員をつとめた父親との間に生まれた。ハイスクールまでを地元オーガスタで過ごした後、奨学金を得てハワード大学に進学する。同校を卒業後、ミシガン大学に進んで1968年に修士号を取得。翌1969年にミュンヘンARD国際音楽コンクールの覇者となり、ベルリン国立歌劇場にてリヒャルト・ワーグナーの《タンホイザー》のエリザベート役により、オペラ歌手としてデビューを果たし、その後もドイツやイタリアのさまざまな歌劇場に出演を重ねた。1973年に帰国し、リンカーン・センターにおいて母国での公式なデビューを果たす。メトロポリタン歌劇場には、同歌劇場の創立100周年を記念して行われた定期公演のうち、ベルリオーズの《トロイ人》の上演によって初出演を果たした。
しばしば公的な行事や祝典に呼ばれて歌唱を披露しており、1985年ならびに1997年の米国大統領就任式やエリザベス2世の還暦記念祝典への参加のほか、フランス革命200周年記念行事でコンコルド広場において、「ラ・マルセイエーズ」を熱唱した。
オペラ歌手としての活動に加えて、定期的なリサイタルも開いており、アリアや芸術歌曲、黒人霊歌を謳っている。イギリスの女性作曲家ジュディス・ウィアの連作歌曲集《女・人生・歌 woman.life.song 》(カーネギー・ホールによる依嘱作品)を初演している。デューク・エリントンやミシェル・ルグランによるジャズ・アルバムも録音しており、ヴァンゲリスの企画にも参加した。
ノーマンは、陰翳に富んだ表情と深みと張りのある声が特徴的である一方、詩と台本の内容や楽曲構成を把握した知的な解釈と、巧みにコントロールされた表現によって知られている。表向きの気位の高さと、和やかなユーモアの閃きが結び付いたステージマナーゆえに、オペラ界のディーヴァの由緒ある伝統にはっきりと位置を占めており、1981年のフランス映画「ディーヴァ」の着想源が彼女であると信じる人も多い。また、一般にディーヴァと呼ばれる歌手が避けがちな、新ウィーン楽派以降の新音楽にも取り組んでいる。とりわけシェーンベルクやアルバン・ベルクを得意としており、近年に来日した際にもシェーンベルクの1幕オペラ《期待》を披露した。
9月11日はカリフォルニア州パサデナ市において「ジェシー・ノーマンの日」と定められている。これは、その日に同市のブレア・マグネット高校において彼女がコンサートを行なったことを記念して、パサデナ市長がその日を記念日として宣言したことによる。2006年にグラミー賞を授与された。郷里のオーガスタは、ノーマンの功績を称えて、1990年代初頭に、川辺にある円形劇場に彼女の名をつけた。
1990年代初頭から、ニューヨーク州クロトン=オン=ハドソンに移り住み、テレビタレントのアレン・ファントから購入した、「ホワイト・ゲーツ」と呼ばれる人里離れた屋敷で暮らしている。