ジェームス・B・ランパート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェームス・ベンジャミン・ランパート(James Benjamin Lampart、1914年4月16日 - 1978年7月10日)は、アメリカの軍人。1969年1月28日から1972年5月14日まで琉球列島高等弁務官を務めた。ワシントンD.C.出身。
[編集] 経歴
1914年生まれ。1936年に陸軍士官学校を卒業し、更に1939年、マサチューセッツ工科大学土木工学専攻修士課程を修了する。
第二次世界大戦中はフィリピン攻略戦に従軍した。終戦直後の半年間は日本の米軍駐留部隊に勤務した。マンハッタン計画に参画するなど主に技術畑を歩む。その過程で、移動式の小型原子力発電所の開発に成功する。その後陸軍士官学校長、国防次官補を歴任する。
1969年に第6代高等弁務官に就任する。既に沖縄返還が決まっていたため、琉球政府や日本政府と協力して復帰に対応するための施策を行った。米軍に直接関係しない限り、琉球政府への干渉は差し控るなど穏健路線をとった。
離任後、日本政府より民政安定に尽力したとして勲一等旭日大綬章が贈られた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|
|
カテゴリ: アメリカの沖縄統治機関の高官 | アメリカの軍人 | 1914年生 | 1978年没