アメリカ合衆国による沖縄統治
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アメリカ合衆国による沖縄統治(アメリカがっしゅうこくによるおきなわとうち)とは、1945年(昭和20年)のアメリカ軍による沖縄占領から、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄本土復帰にいたるまでの27年間に及ぶアメリカ合衆国による統治のことである。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 軍政の開始
第二次世界大戦末期の1945年3月末から、アメリカ軍は沖縄諸島の各地に上陸を開始した。アメリカ軍は4月1日に沖縄本島に上陸し、そこの防衛にあたっていた日本軍と地上戦を繰り広げた(沖縄戦)。アメリカ軍は上陸時に、占領地の軍政機関として琉球列島米国軍政府を設立した。
6月に入ると日本軍は組織的抵抗が不可能となり、沖縄本島と幾つかの島嶼はアメリカ軍によって占領された。日本が降伏を表明した8月15日に沖縄の統治機関としてアメリカ軍と住民の協同組織『沖縄諮詢会』が設置された。1946年(昭和21)2月には、米軍が占領しつつも日本の主権が認められていた奄美群島も、鹿児島県から切断されて沖縄の軍政当局下に置かれた。
アメリカは当初、沖縄(琉球)は日本の帝国主義に支配された異民族であると認識しており、朝鮮半島と同じく国際連合による信託統治期間を設けた上で、日本から分離独立させることを計画していた。軍政もそのための準備段階として捉えられていたのであるが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領期間中、ソビエト連邦を中心とした共産主義国との冷戦が意識されるようになり、琉球を信託統治にした場合、軍用地を自由に接収できなくなるほか、国連へ統治の実態の報告を毎年義務付けられているなど、ソ連と対抗し、沖縄を共産主義の防波堤として利用するには不都合であった。そこで、独立を前提とした信託統治計画を取り下げ、日本の潜在的な主権を認めつつ、軍による統治の形態をとることとした。そして、従来の軍政機関である琉球列島米国軍政府を琉球列島米国民政府に改組した。
アメリカ軍は日本軍の旧基地を獲得していたが、さらに演習地や補給用地、倉庫群などの用地として、次々に住民の土地を強制的に接収していった。これらの様子は「銃剣とブルドーザーによる土地接収」として例えられ、アメリカ軍の強権の代名詞となった。
[編集] 本土からの分離
1952年(昭和27年)の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)において、沖縄諸島の潜在的な日本の主権は確認されたが、引き続きアメリカ軍政下に置かれることとなった。また、統治機関である沖縄諮詢会は、『沖縄中央政府』『沖縄民政府』と名称を変えてきたが、1952年に『琉球政府』となった。
なお、与論島以北の奄美群島は1953年(昭和28年)12月25日に日本に返還された。このとき、米軍は「日本へのクリスマスプレゼント」だと冗談交じりに自画自賛していたという。しかし、奄美から沖縄本島へ労働に来ていた人々は「日本人」と言うこととなり、パスポートの所持の必要、公務員からの追放が行われるなど、いくつかの副作用がもたらされた。
[編集] 軍政下の経済
沖縄戦の影響で経済基盤が破壊された沖縄では、通貨として日本円のほか、アメリカ軍の軍票であるB円が用いられた。1948年(昭和23年)から1958年(昭和33年)まではB円が唯一の通貨であったが、1958年以降はアメリカドルが使われた。日本本土との往来は、パスポートが必要となるなど制限が行われた。
日本本土との経済圏は分離されたが、アメリカ軍の基地が多数設置されたことにより、基地における雇用が確保された面もある。基地関連の土木建設、下請けの運送、基地周辺の飲食業、歓楽街、風俗業がそれであり、やがて、これらの業者に支えられた政治家が輩出されるようになった。つまりは、基地の維持とアメリカ軍との融和を促進する勢力である。
[編集] 高等弁務官統治
1957年(昭和32年)からアメリカ本国の全権を委任された琉球列島高等弁務官による統治が行われるようになった。
- 歴代高等弁務官
- ジェームス・E・ムーア陸軍中将(1957年7月 - 1958年4月)
- ドナルド・P・ブース陸軍中将(1958年5月 - 1961年1月)
- ポール・W・キャラウェイ陸軍中将(1961年2月 - 1964年7月)
- アルバート・ワトソン陸軍中将(1964年8月 - 1966年10月)
- フェルディナンド・T・アンガー陸軍中将(1966年11月 - 1969年1月)
- ジェームス・B・ランパート陸軍中将(1969年2月 - 1972年5月)
特に、第3代のキャラウェイ中将の統治は、「琉球」を多用して沖縄住民のナショナリズムを刺激して日本との分離政策を推し進めたり、強権を発動したりと、「キャラウェイ旋風」と呼ばれた。
[編集] 統治の終了
- 返還へのいきさつは沖縄返還を参照。
沖縄諸島は1972年(昭和47年)5月15日に日本へ返還され、沖縄県が復活した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
復帰前の沖縄の統治機構 |
琉球列島米国民政府 |
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高等弁務官|民政府裁判所 |
琉球政府 |
行政主席|立法院|民裁判所 |
米軍統治下の沖縄住民統治機構の変遷 | ||||||||||
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奄美群島 | 大島支庁→臨時北部南西諸島政庁→奄美群島政府 | |||||||||
沖縄群島 | 沖縄諮詢会→沖縄民政府→沖縄群島政府 | |||||||||
宮古群島 | 宮古支庁→宮古民政府→宮古群島政府 | |||||||||
八重山群島 | 八重山支庁→八重山仮支庁→八重山民政府→八重山群島政府 | |||||||||
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カテゴリ: 沖縄県の歴史 | 沖縄県 | アメリカ施政権下の沖縄