ジェームズ・ダイソン
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ジェームズ・ダイソン(James Dyson, 1947年5月2日 ノーフォーク州 - )はイングランドの産業デザイナー。ダイソン社の創業者として、また紙パック不要のデュアルサイクロン掃除機の発明者としてとりわけ著名である。車輪のかわりにボールを用いたねこ(手押し車)の発明者でもある。(以下、「ダイソン」と略記する場合は、ジェームズ・ダイソンのことを指す。メーカーについては、「ダイソン社」というように峻別する。)
1968年から1970年まで、王立美術大学で家具とインテリアのデザインを学び、その後は工学に転向。ダイソンの純益は、優に1億ポンドを越すと言われている[1]。
[編集] 掃除機
ダイソンは、そもそも1970年代後半には、掃除機を作る際に吸塵力を失わないようにサイクロン式粉末分離器を利用することを発想していたという。1983年には、Gフォース型サイクロン掃除機の試作品を、諸説あるが、2000台から5000台は製作したと伝えられている。英国内にてダイソンのアイデアに基づく製品の製造流通を行おうという業者がいなかったため(年間1億ポンド相当のマーケットの喪失がおこると考えていたため)、ダイソンは日本において、明るいピンク色のGフォース型サイクロン掃除機を、カタログ販売によって2000ポンド相当で発売を開始。 1986年には、米国で特許を取得している(特許番号 #4,593,429)。
ダイソンは、主要メーカーにこの発明を売ることに失敗してから、自前の製造工場を所有。ダイソン社は、かつて彼の発明を断わったメーカーを追い抜き、イギリス随一の掃除機ブランドに成長した。2005年初頭に、ダイソン掃除機は(販売数によってではなく)販売価格においてアメリカ合衆国で首位に立ったと伝えられる。
ダイソン社の英国市場における突破口は、テレビコマーシャルにおいて、他社と違って紙パックの買い替えが不要であることを訴え続けたことによる。当時イギリス市場で使い捨ての紙パックは、1億ポンド相当が出回っていた。「紙パックよさようなら」というスローガンは、それまでの、ダイソン社のテクノロジーがもたらした吸引力を強調する販売戦略よりも、顧客にずっと魅力的に響いたのである。
皮肉なことだが、家庭用掃除機の従来の変化の道のりは、使い捨て式紙パックの準備段階でしかなく、ユーザは手を汚さずにゴミ捨てのできる便利さのために、余分な出費を覚悟せねばならなかった。ダイソン社の成功があって、はじめて他の主要なメーカも、紙パック不要の掃除機を売り出すようになったのである。ダイソンは、フーヴァーUKを特許侵害によって告訴し、5億ドルの賠償金を獲得した。
ダイソンは、これまで20年間を自社掃除機の改良と流通に捧げてきた。近年では、経済的理由と、用地拡張の困難さから、製造工場をイギリス国内のマルムズベリからマレーシアに移転。これによって8万人の失業者を出した。ダイソン社の本部と研究設備はマルムズベリに残されている。ダイソンは後に、マレーシアへの会社移転の経費削減のために、マルムズベリで研究開発のために投資することができるようになったと述べている。目下ダイソン社は、マレーシアへの移転前より多くの人数をイギリスで雇用している。
2005年にダイソン社は、ダイソンの以前のボール式ねこの発明をもとに、車輪代わりのボールを掃除機に取り付けるようになった。これは人間工学的な観点からも、いくつかの配慮が加えられている。
ダイソン掃除機は、デザイン面や工学面、開発面から忌憚なく批判されてきたものの、何にもまして老獪なマーケティングや製造技術によって成功してきたと言ってよかろう。
[編集] 美術作品
2002年にダイソンは、オランダの画家エッシャーのリトグラフに描かれた騙し絵を現実にしようと構想した。土木技師のデレク・フィリップスは、1年間の作業の後、この任務を首尾よく成就し、正方形の4辺に沿って、下から上に逆流する滝状のウォーター・スカルプチャーを創り出した。この作品は「誤った庭 Wrong Garden」と名付けられ、2003年春に「チェルシー花の展覧会」に展示された。
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