ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア
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ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア (Jeanne de Valois-Saint-Rmy、1756年-1791年)は首飾り事件の首謀者と思われるフランスの伯爵夫人。通称、ラ・モット夫人。ジャック・ド・サン・レミー男爵の娘。フランス王族ヴァロア家の末裔。肩にVの焼印を付けられ投獄されたが、脱獄しフランス革命期に窓から転落死を遂げた。
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[編集] 一生
上記の通り、ジャック・ド・サン・レミー男爵の娘。ジャンヌが9才の時に、両親が死んだ。少女時代、貴族の娘としての教養を身につけるため、ロンシャン修道院の寄宿女学校に入学。22才になった時、修道女になる事を嫌になり、逃亡してしまった。1780年。バル・シュル・オーブ旅籠屋で、マルク・アントワーヌ・ニコラ・ド・ラ・モット伯爵と知り合い、結婚した。
1786年、首飾り事件を起こし、裁判でジャンヌは有罪となった。監獄で、ジャンヌは鞭打ちの刑を受け、サルペルオール監獄での終身刑となった。しかしジャンヌは、たくさんの民衆から同情され、いつの間にか、イギリスへと脱走した。
1791年。精神錯乱の発作により窓から転落して死んだ。ロンドンで強盗に襲われたために窓から転落したと言う説もある。
[編集] 首飾り事件
ド・ブーランヴィリエ侯爵夫人に、ルイ・ド・ロアン大司教を紹介した。ド・ロアンは、高貴な貴族であった。オーストリアの女王マリア・テレジアとフランス王妃のマリー・アントワネットに嫌われていた。
マリー・アントワネットは、首飾りを買うのを断った事を、ジャンヌは聞いた。そこでジャンヌは、こんな事を考えた。ド・ロアンは、総理大臣になりたくて仕方がなく、ド・ロアンに、「マリー王妃様に何かプレゼントすれば大臣にしてもらえますよ」と言い、プレゼントとしてある首飾りを買わせ、ジャンヌ本人が「首飾りをマリー王妃に渡してあげる」と言ってだまし取る。と言う方法である。
[編集] 出版物
ジャンヌは、ロンドンに脱走した際に、「回想録」と首飾り事件のあらすじについて書いた書籍を出版した。