サッカーブラジル代表
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国または地域 | ![]() |
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協会 | ブラジルサッカー連盟 |
愛称 | Os Canarinhos |
監督 | ドゥンガ |
最多出場選手 | カフー(142試合) |
最多得点選手 | ペレ(77得点) |
初の国際試合 | 1914年9月20日対アルゼンチン 0-3 |
最大差勝利試合 | 1949年4月10日対ボリビア 10-1 |
最大差敗戦試合 | 1920年9月18日対ウルグアイ 0-6 |
W杯出場回数 | 18回 |
W杯初出場 | 1930 FIFAワールドカップ |
W杯最高成績 | 優勝(1958、1962、1970、1994、2002) |
サッカー南米選手権出場数 | 31回 |
サッカーブラジル代表(Seleção Brasileira de Futebol )は、サッカー王国ブラジルのナショナルチームである。
チームカラーはカナリア色(黄色)、青、緑、白で、これはブラジルの国旗から取られている。愛称はチームカラーよりカナリア(Os Canarinhos)。また、ブラジルの公用語であるポルトガル語で代表のことをセレソン(Seleção)というため、日本語ではセレソンというとブラジル代表が想起されることが多い。最多試合出場はカフー(141試合)。最多得点はペレ(77得点)。
目次 |
[編集] 歴史
ブラジルはワールドカップの過去の18大会すべてに出場している唯一の国であり、また、優勝回数は5回と最多を誇る。ただ不思議なことに、ワールドカップ優勝国の中で唯一自国大会での優勝経験のない国でもある。唯一最大の機会は1950年ブラジル大会で、事実上の決勝となったリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムでのウルグアイとの2次ラウンド最終戦で、引き分けでも優勝だったにもかかわらず逆転負けを喫し、初優勝を逃した。これはマラカナンの悲劇とよばれている。
初優勝は1958年スウェーデン大会で、決勝で地元スウェーデンを5-2で破った。これは南アメリカのチームがヨーロッパで優勝したただひとつの例である。一方、ヨーロッパのチームが南米で優勝したことはない。1970年メキシコ大会では、ペレ率いるブラジルは3度目の優勝を果たし、ジュール・リメ杯を永久保持することとなった。
1982年スペイン大会のジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの4選手が形成した中盤は黄金のカルテットと呼ばれ、「ブラジルサッカー史上最もファンを魅了したチーム」と称されたが、結果的には2次リーグ敗退している。
2002年日韓共催大会では南米予選で苦戦し、本大会出場すら疑われるほどだったが、始まってみると序盤からロナウド、リバウドら華麗な攻撃陣が盛んに得点し、無敗で決勝まで勝ち上がった。決勝の相手はそれまでワールドカップで対戦したことのなかったもうひとつのサッカー大国ドイツ。これをロナウドの2ゴールにより2-0で制し、ワールドカップ最多優勝記録を5に伸ばした。
2006年ドイツ大会では前回大会とは対照的に南米予選を1位で通過。黄金のカルテットになぞらえて「カルテット・マジコ」(魔法の4人組)と呼ばれたロナウド、アドリアーノ、ロナウジーニョ、カカの4人による前線を擁し、優勝候補の大本命とみなされていた。とくにロナウジーニョへの期待が高く、「この大会はロナウジーニョの大会になるだろう」との声もあったが、本大会が始まってみると今ひとつ調子が振るわなかった。これも一因となってか、8年前の1998年フランス大会決勝において苦杯を喫した相手、フランスとの再戦となった準々決勝を1-0で落とし、連覇を逃した。その後、ドゥンガ政権では負の遺産「カルテット・マジコ」が解体した。ロナウド、アドリアーノは、レギュラーポジションに定着できていない。
[編集] ワールドカップの成績
- 1930 - 1次リーグ敗退
- 1934 - 1回戦敗退
- 1938 - 3位
- 1950 - 準優勝
- 1954 - ベスト8
- 1958 - 優勝
- 1962 - 優勝
- 1966 - 1次リーグ敗退
- 1970 - 優勝
- 1974 - 4位
- 1978 - 3位
- 1982 - 2次リーグ敗退
- 1986 - ベスト8
- 1990 - ベスト16
- 1994 - 優勝
- 1998 - 準優勝
- 2002 - 優勝
- 2006 - ベスト8
[編集] コパ・アメリカの成績
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[編集] 歴代監督の一覧
- アデマール・ピメンタ(1936年 - 1938年)
- アデマール・ピメンタ(1942年)
- フラビオ・コスタ(1944年 - 1950年)
- ゼゼ・モレイラ(1952年)
- アイモレ・モレイラ(1953年)
- ゼゼ・モレイラ(1954年 - 1955年)
- フラビオ・コスタ(1955年)
- ビセンテ・フェオラ(1955年)
- オスワルド・ブランダン(1955年 - 1956年)
- フラビオ・コスタ(1956年)
- テテ(1956年)
- シルビオ・ピリロ(1957年)
- ペドリーニョ(1957年)
- オスワルド・ブランダン(1957年)
- ビセンテ・フェオラ(1958年 - 1960年)
- アイモレ・モレイラ(1961年 - 1963年)
- ビセンテ・フェオラ(1964年 - 1966年)
- ドリバル・ユストリッチ(1968年)
- ジョアン・サルダーニャ(1969年 - 1970年)
- マリオ・ザガロ(1970年 - 1974年)
- オスワルド・ブランダン(1975年 - 1977年)
- クラウディオ・コウティーニョ(1977年 - 1980年)
- テレ・サンタナ(1980年 - 1982年)
- カルロス・アルベルト・パレイラ(1983年 - 1984年)
- エドゥ・アントゥネス・コインブラ(1983年 - 1984年)
- エバリスト・デ・マセド(1984年 - 1985年)
- テレ・サンタナ(1985年 - 1986年)
- カルロス・アルベルト・シルバ(1987年 - 1988年)
- セバスティアン・ラザローニ(1989年 - 1990年)
- パウロ・ロベルト・ファルカン(1991年)
- カルロス・アルベルト・パレイラ(1991年 - 1994年)
- マリオ・ザガロ(1995年 - 1998年)
- ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ(1998年 - 2000年)
- エメルソン・レオン(2000年 - 2001年)
- ルイス・フェリペ・スコラーリ(2001年 - 2002年)
- マリオ・ザガロ(2002年)
- カルロス・アルベルト・パレイラ(2003年 - 2006年)
- ドゥンガ(2006年 - )
[編集] 選手
[編集] 現在の選手
[編集] GK
[編集] DF
- イウシーニョ(サンパウロFC)
- クレベール(サントスFC)
- ダニエル・アルベス(セビージャFC)
- ジウベルト(ヘルタ・ベルリン)
- ジュアン(バイエル・レバークーゼン)
- ルッシオ(バイエルン・ミュンヘン)
- ナウド(ヴェルダー・ブレーメン)
- エドゥ・ドラセナ(フェネルバフチェ)
[編集] MF
- ジョズエ(サンパウロFC)
- エラーノ(シャフタール・ドネツク)
- ドゥドゥ・セアレンセ(CSKAモスクワ)
- ジウベルト・シウバ(アーセナル)
- エジミウソン(FCバルセロナ)
- ミネイロ(ヘルタ・ベルリン)
- ジエゴ・リバス・ダ・クーニャ(ヴェルダー・ブレーメン)
- カカ(ACミラン)
[編集] FW
2007.3.8発表
[編集] 過去の著名な選手
- ペレ
- ガリンシャ
- ジーコ
- ソクラテス
- パウロ・ロベルト・ファルカン
- トニーニョ・セレーゾ
- カルロス・アルベルト・トーレス
- レオニダス・ダ・シルバ
- ドゥンガ(2006年より監督)
- ロマーリオ
- リバウド
- カレカ
- ベベット
- ロベルト・リベリーノ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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