ロナウド
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ロナウド(Ronaldo, 1976年9月22日 - )こと ロナウド・ルイス・ナザリオ・ジ・リマ(Ronaldo Luís Nazário de Lima)は、ブラジル出身のサッカー選手。2007年現在はイタリアセリエA・ACミランに所属する。
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[編集] プレイスタイル
スピード、テクニック、ボディバランスなどストライカーに必要な能力を完璧に近いほど併せ持つ。鋭い切り返しとスピードあるドリブル突破、両足から放たれる正確なシュートが特長で、実績なら現役世界最高のストライカーの一人。歴代で見ても最も偉大な選手の一人として数えられている。そのプレイぶりから「怪物」、「フェノーメノ」(fenômeno、ポルトガル語で信じられないような現象・人の意)の異名をとる。シザーズフェイントの名手としても知られ、(多くの場合)左に持ち出すことが分かっていながら止められないことでも有名。一方、ヘディングは不得意(本人曰く、「練習しているがなかなか上手くならない」とのこと)ある雑誌では全盛期のロナウドに対し「ロナウジーニョのプレイを子供たちは真似をする、しかしロナウドのプレーは真似など出来る訳ない」と評していた。
インテルに所属していた当時、「攻撃の戦術が無い」と批判されたルイジ・シモーニ監督が「私の戦術はロナウドだ」と言い返したのは有名な逸話である。当時のロナウドは相手から「ボールを渡さない」、「反則でしか止められない」と言われていた。
インテル時代の1999年に右膝十字靭帯を部分断裂。2000年、リハビリののち復帰した直後のSSラツィオ戦で、ドリブル中に同じ箇所を完全に断裂するという悪夢のような出来事に見舞われた。このような怪我は膝を特に駆使するスキーやバレーボールの選手に多く、外部から局所的に強い衝撃が加わらない限りサッカー選手に起こるのは稀とされている。一説にはロナウドの地を蹴るパワーが強すぎて起こってしまったのではないかと言われている。一時は現役引退も囁かれたが、1年半以上に及ぶ長いリハビリの末に2002年に復帰を果たした。
復帰後はリハビリで膝の筋肉を鍛えたため体重が増加し、走力とスタミナが以前より落ちたためにドリブルをする距離が短くなったと言われる。一時は100kgを越える体重を記録したこともあった。しかし、足元のテクニックやディフェンスの裏へ抜け出してからの加速力とトップスピードの速さは相変わらず世界でもトップクラスであり、シュートの決定力やゴール前での狡猾さ・冷静さは若い頃より増した感がある。大怪我を負っても素晴らしい能力を誇っているのは正に「怪物」である。
[編集] エピソード
- 1993年クルゼイロECの一員として日本に来日。ジュビロ磐田とのプレシーズンマッチに出場しハットトリックを達成(試合は3対1)。なおこの際の試合会場は東京ドームである。
- 1996年のアトランタオリンピックにブラジル代表として出場したときの登録名称は「ロナウジーニョ」だった。また同大会のハンガリー戦では後半開始前のグラウンド上で座り込んで股間をボールで隠しながら放尿をするという前代未聞の行為をやってのけている。
- 1996年のバルセロナ移籍後のコンポステーラ戦で約60メートルをドリブルで次々とDFを交わしながら決めたゴールはナイキ社のCMにも使用され知名度が飛躍的に上がるきっかけとなった。
- 1997年、イタリア・セリエAに移った初年度に25ゴールを挙げ、同リーグにおいて1年目の外国人選手によるものとしての最多ゴール記録を樹立した。この記録は未だに破られていない。
- 2002年の日韓ワールドカップの途中に、前髪のみを三角形に残して残りの髪を全部剃るという奇抜な髪型にしたことがある(日本では、三角の前髪を海苔に見立てて「おにぎりカット」、またはドラマ『子連れ狼』の登場人物から「大五郎カット」と呼ばれた)。本人は非常に気に入っていたようだが、世界中のファン、果ては自分の息子からも「変だ」と総バッシングを食らい、結局ワールドカップ終了後すぐにやめてしまった。が、それは自身が緊張するあまりフランス大会で活躍できなかった轍を踏むまい、そして仲間達に踏ませまい、との心遣いだった。事実、当時のキャプテンことカフーから「至上最悪の髪型」と揶揄されるほどだったが、セレソン全てが和む事が出来、決勝戦での勝利という最高の形に繋げる事が出来た。
- 2002年の日韓ワールドカップ優勝の翌日、ロナウド1人が夜遊びから宿泊ホテルになかなか戻らず、このためチーム全員の出発時間が遅れた。
- 2002年のワールドカップ終了後、帰国に際して、空港でちょんまげのかぶり物をかぶりながら飛行機に乗っていった。
- レアル・マドリードでのチームメイトだったジダンとともに、2003年から国連開発計画(UNDP)の親善大使を務めており、貧困撲滅キャンペーンへの協力とチャリティマッチを開催している。
- 2005年にスペイン国籍を取得した。ブラジル国籍は放棄していない二重国籍であり、所属チームの外国人枠を空けるための選択。なお、イタリアに移籍した現在でも規定によりスペイン国籍はEU圏内なので外国人とはみなされない。
- 2006年6月28日(日本時間)のドイツW杯の決勝トーナメント一回戦ブラジル対ガーナ戦で、今大会3得点目、W杯通算15得点目を挙げ、ゲルト・ミュラー(西ドイツ)が打ち立てた14得点という大会得点記録を更新した。この大会では、体重の増加が「太り過ぎ」とされたことと、予選グループリーグの第1試合、第2試合でシュートを空振りするなど動きが悪かったことも重なり、母国を始めとしてメディアや評論家から「レギュラー失格」の烙印を押されていたが、第3試合の日本戦では2ゴールを挙げて批判を一気に沈静化させた。
- 2006年、レアル・マドリードの監督にファビオ・カペッロが就任すると、年齢や太りすぎによる運動量の低下を理由に構想から外され出場機会が減少した。2007年1月30日、アンドリー・シェフチェンコの放出でストライカーを探していたACミランに、移籍金9億5000万円、1年半の契約で移籍。背番号はすでに9番をフィリッポ・インザーギが付けているためか、背番号は99番になった。この契約に関し、ライバルクラブでありロナウドの古巣であるインテルのモラッティ会長が「不快である」とコメントした。
- 趣味にF1観戦があり、ヨーロッパで開催されるレースを中心にしばしば姿を見せているほか、2005年には、この年に開幕した国別対抗チームによる自動車レース選手権A1グランプリでブラジル代表チームの共同出資者の1人として名を連ねている。その他、ゴルフを趣味としている。
[編集] 経歴
男子 サッカー | ||
銅 | 1996 | サッカー |
- 代表
- 代表デビュー 1994年3月24日 アルゼンチン代表戦
- 1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会 - 優勝(出場機会は無し)
- 1996年 アトランタオリンピック - 3位(銅メダル)
- 1998 FIFAワールドカップ・フランス大会 - 準優勝・MVP
- 2002 FIFAワールドカップ・日韓大会 - 優勝・得点王(8得点)
- 2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会 - ベスト8
- この大会で3得点を挙げ、ゲルト・ミューラー(14得点)を抜きワールドカップ通算得点歴代1位(15得点)となる
- クラブ
- 1996-97 UEFAカップウィナーズカップ - 優勝 (FCバルセロナ)
- 1997-98 UEFAカップ - 優勝 (FCインテル・ミラノ)
- 2002-03 トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ- 優勝 (レアル・マドリードCF)
- 2002-03 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 (レアル・マドリードCF)
[編集] 主要な個人タイトル
- 1996年 - FIFA最優秀選手賞受賞
- 1997年 - FIFA最優秀選手賞受賞、バロンドール受賞
- 2002年 - FIFA最優秀選手賞受賞、バロンドール受賞
リーグ
- 1994-1995 オランダリーグ得点王(33試合30得点)
- 1996-1997 スペインリーグ得点王(37試合34得点)
- 2003-2004 スペインリーグ得点王(32試合24得点)
代表
- 2002年 FIFAワールドカップ 得点王(7試合8得点)
[編集] 所属クラブ
- 1989-1991 ソシアル・ラモス
ブラジル
- 1991-1993 サンクリストバン
ブラジル
- 1993-1994 クルゼイロEC
ブラジル
- 1994-1996 PSVアイントホーフェン
オランダ
- 1996-1997 FCバルセロナ
スペイン
- 1997-2002 インテル
イタリア
- 2002-2007 レアル・マドリード
スペイン
- 2007-現 在 ACミラン
イタリア
ACミラン - 2006-2007 |
---|
1 ヂーダ | 2 カフー | 3 マルディーニ | 4 カラーゼ | 5 コスタクルタ | 7 オリヴェイラ | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 セードルフ | 11 ジラルディーノ | 15 ボッリエッロ | 13 ネスタ | 16 カラッツ | 17 シミッチ | 18 ヤンクロフスキー | 19 ファヴァッリ | 20 グルキュフ | 21 ピルロ | 22 カカ | 23 アンブロジーニ | 24 グリミ | 25 ボネーラ | 27 セルジーニョ | 29 フィオーリ | 32 ブロッキ | 44 オッド | 99 ロナウド | 監督 アンチェロッティ | |
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ブラジル代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ![]() |
---|---|---|
1 ヂーダ | 2 カフー | 3 ルシオ | 4 フアン | 5 エメルソン | 6 ロベルト・カルロス | 7 アドリアーノ | 8 カカ | 9 ロナウド | 10 ロナウジーニョ | 11 ゼ・ロベルト | 12 ロジェリオ・セニ | 13 シシーニョ | 14 ルイゾン | 15 クリス | 16 ジウベルト | 17 ジウベルト・シウヴァ | 18 ミネイロ | 19 ジュニーニョ・ペルナンブカーノ | 20 リカルジーニョ | 21 フレッジ | 22 ジュリオ・セザール | 23 ロビーニョ | 監督: パレイラ |
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ブラジル代表 - 2002 FIFAワールドカップ(優勝) | ![]() |
---|---|---|
1 マルコス | 2 カフー | 3 ルシオ | 4 ロッキ・ジュニオール | 5 エジミウソン | 6 ロベルト・カルロス | 7 リカルジーニョ | 8 ジウベルト・シウヴァ | 9 ロナウド | 10 リバウド | 11 ロナウジーニョ | 12 ヂーダ | 13 ベレッチ | 14 アンデルソン・ポウガ | 15 クレーベルソン | 16 ジュニオール | 17 デニウソン | 18 ヴァンペッタ | 19 ジュニーニョ・パウリスタ | 20 エジウソン | 21 ルイゾン | 22 カカ | 23 ロジェリオ・セニ | 監督: スコラーリ |
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ブラジル代表 - 1998 FIFAワールドカップ | ![]() |
---|---|---|
1 タファレル | 2 カフー | 3 アウダイール | 4 ジュニオール・バイアーノ | 5 サンパイオ | 6 ロベルト・カルロス | 7 ジオヴァンニ | 8 ドゥンガ | 9 ロナウド | 10 リバウド | 11 エメルソン | 12 カルロス・ジェルマーノ | 13 ゼ・カルロス | 14 ゴンサウヴェス | 15 アンドレ・クルス | 16 ゼ・ロベルト | 17 ドリヴァ | 18 レオナルド | 19 デニウソン | 20 ベベット | 21 エジムンド | 22 ヂーダ | 監督: ザガロ |
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ブラジル代表 - 1994 FIFAワールドカップ 優勝メンバー(4度目) | ![]() |
---|---|---|
1 タファレル | 2 ジョルジーニョ | 3 R.ローシャ | 4 ロナウド | 5 マウロ・シルバ | 6 ブランコ | 7 ベベット | 8 ドゥンガ | 9 ジーニョ | 10 ライー | 11 ロマーリオ | 12 ゼッチ | 13 アウダイール | 14 カフー | 15 マルシオ・サントス | 16 レオナルド | 17 マジーニョ | 18 パウロ・セルジオ | 19 ミューレル | 20 ロナウジーニョ | 21 ヴィオラ | 22 ジウマール | 監督: パレイラ |
先代: マティアス・ザマー |
欧州年間最優秀選手 1997 |
次代: ジネディーヌ・ジダン |
先代: - |
UEFAチャンピオンズリーグMVP 1997-1998 |
次代: デビッド・ベッカム |
先代: マイケル・オーウェン |
欧州年間最優秀選手 2002 |
次代: パベル・ネドベド |
先代: ジョージ・ウェア |
FIFA最優秀選手 1996, 1997 |
次代: ジネディーヌ・ジダン |
先代: ルイス・フィーゴ |
FIFA最優秀選手 2002 |
次代: ジネディーヌ・ジダン |
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