ジュノー (ドック型輸送揚陸艦)
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艦歴 | |
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発注: | 1963年5月23日 |
起工: | 1965年1月23日 |
進水: | 1966年2月12日 |
就役: | 1969年7月12日 |
母港: | 長崎県佐世保 |
性能諸元 | |
排水量: | 満載排水量:17,299 トン, 軽荷排水量:9,589 トン, 積載重量トン:7,710 トン |
長さ: | 全長:173.7 m (570 ft), 水線長:167 m (548 ft) |
幅: | 全幅:30.4 m (100 ft), 水線長:25.6 m (84 ft) |
吃水: | 最大:6.7 m (22 ft) , 限界:7 m (23 ft) |
乗員: | 士官59名、兵員569名、930名 |
兵装: | ファランクスCIWS 8基 25mm機関砲 2門 12.7mm機銃 8基 |
愛称: | The Mighty "J" |
ジュノー(USS Juneau, LPD-10)は、アメリカ海軍のドック型揚陸艦。クリーヴランド級ドック型輸送揚陸艦の4番艦として建造された。アラスカ州の州都ジュノーに因んで命名され、その名を持つ艦としては三隻目である。
同艦はワシントン州シアトルのロッキード・シップビルディングで1965年1月23日に起工した。艦はアラスカ州知事ウィリアム・A・イーガン夫人によって1966年2月12日に進水し、1969年7月12日に就役した。
1970年代全体にわたってジュノーは西太平洋に配備され、ベトナム戦争においてベトナム海域に八度航海し五つの従軍星章を得た。ジュノーは1976年2月にAV-8Bハリアーが着艦した最初の太平洋艦隊所属揚陸艦にとなった。
1980年代にジュノーは七度の配備転換が行われた。1989年4月にプリンスウィリアム湾でタンカー、エクソン・ヴァルディーズの石油流出事故が発生したとき、ジュノーは緊急命令を受け掃海業務を行う。同艦はアラスカ州のジョイント・タスクフォース指揮艦であった。艦は400人以上の清掃作業員のために通信、空陸輸送、食料、医療、クリーニング業務を提供した。
イラク軍のクウェート侵攻後、ジュノーは揚陸艦グループ3の僚艦12隻と共に1990年12月、砂漠の嵐作戦に参加するためペルシャ湾に向けて出航した。揚陸艦グループ2の艦が加わり、ジュノーは朝鮮戦争時の仁川上陸作戦以来最大の上陸作戦部隊のメンバーであった。1991年2月24日、ジュノーはサウジアラビアのラス・アル・ミシャブにクウェート南部からイラク軍を攻撃する部隊員と装備および弾薬を陸揚げした。
1991年5月、ジュノーはバングラデシュに展開しサイクロン被害援助のためのシーエンジェル作戦に参加した。
ジュノーは14回目の配置転換で、ソマリア沖でのレストア・ホープ作戦支援に参加した。艦に乗船した海兵隊員はソマリアの人々への食糧供給の安全保障業務に従事した。
ジュノーは1999年7月30日までカリフォルニア州サンディエゴが母港であったが、現在はダビューク(USS Dubuque, LPD-8)に代わって長崎県佐世保を母港としている。
1999年の6月から9月までジュノーは姉妹艦のダビュークと最初のシップ-スワップを行った。両艦の乗員は引き続いてそれまでの母港に留まることとなり、ダビュークは母港のカリフォルニア州サンディエゴに帰港した。