ジンギスカン (曲)
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ジンギスカン (Dschinghis khan) は、ドイツ(当時は西ドイツ)の音楽グループジンギスカン (Dschinghis khan, 日本では契約上「Genghis Khan」と表記される) のデビュー曲。作詞作曲はラルフ・ジーゲルとベルント・マイヌンガー。
[編集] 概要
モンゴルの英雄であるチンギス・ハーン(ジンギス・カン:成吉思汗)をモチーフにしたこの曲は1979年3月に「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で発表されて話題を呼び、ジュピターレコードから発売されて西ドイツ国内では4週にわたりチャート1位、50万枚の大ヒットになった。さらにヨーロッパにのみならず世界的な大ヒットとなり、オリジナルのドイツ語だけでなく「ジンギスカン」自身による英語版や、中国語、日本語でのカバーも出された。
1970年代末期のディスコミュージックではあるが、現在でも保育園・幼稚園の遊戯や運動会、キャンプファイヤーなどのレクリエーションにもよく用いられる。
2000年1月26日、日本のアイドルグループであるモーニング娘。がこの曲をモチーフにしたといわれる曲「恋のダンスサイト」を発売。「ウッ! ハッ! 」という掛け声が新たな形でよみがえった。同年5月24日、オリジナルの「ジンギスカン」がシングルCDで再発。
2004年12月16日にはサッカー国際親善試合「日本対ドイツ」戦で「ジンギスカン」を基にした応援歌が披露される。これは2006年に行われるFIFAワールドカップの会場がドイツということもあり、アメリカ大会(1994年)へ向けて行われたアジア地区予選(1993年)で歌われたアメリカ民謡「リパブリック讃歌」の替え歌「アメリカへ行こう」、1998年のフランス大会本戦で披露されたフレンチポップ歌手ミッシェル・ポルナレフの大ヒット曲「シェリーにくちづけ (Tout tout pour ma Cheriee) 」の替え歌「アレー ジャポン」に続くケースとなった。
2005年2月9日のアジア地区最終予選の第1戦となる北朝鮮戦が行われたこの日には「成吉思汗(ジンギスカン)~ドイツへ行こう~」として「ウルトラスニッポン」によりインディーズレーベルによりCDも発売され、「みんなでドイツへ行こう」のフレーズとともに、このメロディが会場に鳴り響いた。この声援がテレビ中継などを通じて話題となり、3月2日にはメジャーレーベルから発売となった。ただしサッカーファンの間では「モチベーションが下がる」「ドイツの曲だからという安易な発想」「最近の日本代表の応援のダラダラした空気の象徴」などと不評の声が根強い。
この曲は2006年現在、2ちゃんねるにおいても空耳FLASHとして様々なFLASH(Macromedia Flash)が製作されている
[編集] カバー
- マルコポーロ(1979年)
- 林子祥(1979年)
- 5カラット(1979年)
- 原たかし&バッドマンズ(1979年)
- ザ・モンゴルズ(1979年)
- 川崎麻世(1979年)
- 渋谷哲平(1979年)
- M's-QUEEN(1990年)
- 米米CLUB(1990年、コンサートライブにて)
- メガ・エナジー・マン(1994年)
- D.K.2nd Generation(1996年)
- レニングラード・カウボーイズ(1997年)
- Apokalyptische Reiter(1998年)
- イノウエ(1999年)
- SMAP(1999年、コンサートライブにて)
- Vielharmoniker(2000年)
- Zuckermund(2000年)
- KOYOTE(2005年)
- ウルトラスニッポン(2005年)
- WIG WAM(2005年)