スキーキャプテン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 芦毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1992年4月24日 |
死没 | - |
父 | Storm Bird |
母 | Ski Goggle |
生産 | フォンテンブローファーム |
生国 | アメリカ合衆国 |
馬主 | (有)社台レースホース |
調教師 | 森秀行(栗東) |
競走成績 | 6戦3勝(内海外1戦0勝) |
獲得賞金 | 8462万4000円 |
スキーキャプテンは日本の競走馬・種牡馬。日本調教馬として初めて、ケンタッキーダービーに出走した。 母はエイコーンステークスを制したスキーゴーグル。半姉には、ムーラン・ド・ロンシャン賞、京王杯スプリングカップなどを制したスキーパラダイスがいる。 主戦騎手は武豊。
[編集] 戦績
1994年10月、阪神競馬場でデビュー。 1マイルの新馬戦を1.3倍の人気に応えて勝利すると、続く京都3歳ステークスも、後にスプリングステークス等に勝利したナリタキングオーを抑え、無敗で朝日杯3歳ステークスに向かった。 レースは前評判と同様、フジキセキとの一騎打ちとなった。追い込み届かずクビ差敗れて2着だったものの、改めて素質の高さを感じさせた。
この後陣営は、アメリカの三冠レースへの挑戦を発表。ステップレースにはきさらぎ賞が選ばれる。 他に有力馬がいなかったため、単勝支持率74.4パーセントという圧倒的人気に推されると、レースでは大外から直線一気で鋭く抜け出し快勝、重賞初制覇を飾った。 余談だが、カメラワークのまずさから最後の直線でスキーキャプテンを捉えられず、実況の杉本清が「外を見せてくれ」と絶叫するという一幕もあった。 遠征前には毎日杯を一叩きする予定だったが、蹄が欠けたために回避。ぶっつけでケンタッキーダービーに臨むこととなる。 日本からの初めての参戦とあって現地でも注目を集めたが、3ヶ月ぶりの競馬というローテーション、初ダート、初の海外遠征という条件ではいかんせん厳しかった。 最後方から差を詰めただけで、サンダーガルチの14着とレースにならなかった。 このレースでの消耗度は大きく、その後の3冠レースは回避、帰国して休養することとなる。
復帰戦となったのは、翌1996年のアメリカジョッキークラブカップ。久々ながら2番人気に推されるも、出遅れが影響し、結果はカネツクロスの8着とブービーに終わった。 この後屈腱炎を発症したため早々に引退、種牡馬入りすることとなった。
引退後は、社台スタリオンステーション荻伏で供用される。だが、種牡馬としては、無敗で青雲賞を制したレオボストンが目立つ程度と振るわず、2001年からニュージーランドにリースされている。
[編集] 年度別競走成績
1994年(3戦2勝)
- 1着 - 京都3歳ステークス(オープン)
- 2着 - 朝日杯3歳ステークス(GI)
1995年(2戦1勝)
- 1着 - きさらぎ賞(GIII)
1996年(1戦0勝)
[編集] 血統表
スキーキャプテンの血統 (ノーザンダンサー系/アウトブリード ) | |||
父
Storm Bird 1978 鹿毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
South Ocean 1967 鹿毛 |
New Providence | Bull Page | |
Fair Colleen | |||
Shining sun | Chop Chop | ||
Solar Display | |||
母
Ski Goggle 1980 芦毛 |
*ロイヤルスキー Royal Ski 1974 栗毛 |
Raja Baba | Bold Ruler |
Missy Baba | |||
Coz o'Nijinsky | Involvement | ||
Gleam | |||
Mississippi Siren 1973 芦毛 |
Delta Judge | Traffic Judge | |
Beautillion | |||
Cable Censor | Sailor | ||
New Lede F-No.3-l |
カテゴリ: 1992年生 (競走馬) | サラブレッド | アメリカ合衆国生産の競走馬 | 日本調教の競走馬