スーダン人民解放軍
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スーダン人民解放軍(―じんみんかいほうぐん)は1983年にジョン・ガラン、サルバ・キール・マヤディト、ウィリアム・ニュオン・バニ、ケルビノ・クアニン・ボルら南部スーダンの非アラブ非ムスリムが中心となり結成された反政府武装組織。ヌメイリ、サディク・アル=マフディ、オマル・アル=バシールら北部の「アラブ系」政権と第二次スーダン内戦で争った。
結成当時に別の反乱鎮圧のために政府から派遣された軍の大佐だったジョン・ガランは地方分権と民主主義を掲げ、南北の地域格差是正など「新スーダン」の建設を目指し、2005年7月30日に死ぬまで議長と最高司令官を兼ねた。正式名称は組織の政治部門と軍事部門の名をあわせたスーダン人民解放運動・スーダン人民解放軍 (SPLM/SPLA) だが軍事部門が突出していたためSPLAが通称となっていた。第二次内線は宗教と民族の概念で語られることが多かったが、南部に多い原油資源の分配を巡る争いでもあった。
SPLAはソ連などの支援により南部地域で支配領域をひろげ一時5万人の大勢力となるが幹部の大半が南部最大の部族ディンカ族だったため内紛が多発。1990年代にSPLAは3つに分かれ、ジョン・ガランがSPLAトリット、ケルビノ・クアニン・ボルがSPLAバール・エル・ガザル、リエク・マッチャーが南スーダン独立運動をそれぞれ率いた。この分裂は政権側の工作によるものだった。南スーダン独立運動/軍などの分派の多くは1997年のハルツームでの個別和平合意により政権に取込まれ統一民主救済戦線を結成した。
スーダン政府はウガンダをSPLAを支援していると非難してきた。それに対してSPLAはウガンダ国内で活動してきたと主張している。SPLAは依然として南部戦争の終結を交渉する主要な南部組織であり、ダルフールでは不安定な平和が脅かされているが、2005年にSPLA/Mとスーダンの政府の間の和平協定で南部スーダンの自治の正式な合意に至った。SPLMは現在では政党として認められている。
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