スーダン内戦
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スーダン内戦(スーダンないせん)は、1983年、当時のヌメイリ政権が国政にイスラム法を導入したことに、南部の黒人(キリスト教徒)が反発し勃発したスーダンの内戦。
1989年後半から非アラブ人キリスト教徒のスーダン人民解放軍(SPLA)、アラブ人イスラム主義者のオマル・アル=バシール政権双方の衝突が南部で激化した。1995年3月に米国のカーター元大統領の仲介で一時停戦が実現したが、1996年にSPLAとエリトリアに拠点を持つ国民民主同盟 (NDA) が政府に対する共闘を開始し、内戦が拡大した。1997年4月、SPLAを除く反政府勢力4派と政府が和平協定に調印し、1998年5月4日、政府とSPLAの代表がケニアのナイロビで約半年ぶりに和平交渉を再開したが、一方で、東南部では戦闘が継続していた。
その後、エジプトとリビアによる仲介工作、スーダンと隣国6ヶ国でつくる政府間開発機構 (IGAD) による仲介に加え、スーダンの石油資源に関心を示す米国が2002年1月に特使を派遣し、積極的な調停に乗り出した。この結果、7月20日、政府とSPLAは、SPLAが実行支配する南部の帰属をめぐる住民投票を2008年に実施することなどを柱とする和平の枠組みに合意し、27日に、バシール大統領とSPLAのジョン・ガラン最高司令官がウガンダのカンパラで初会談をもった。これを受け、8月12日からケニアのマチャコスで包括的和平合意を目指した交渉が再開されたが、SPLAが南部の要衝トリトを武力制圧したことなどを受け中断した。その後、2003年1月に交渉を再開することで両者は合意。曲折を経た和平交渉はようやく翌々年の2004年5月26日になって、21年続いた内戦を終結させるスーダン政府とSPLAの包括和平協定調印に至った。