セルゲイ・イワノフ
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セルゲイ・ボリソヴィッチ・イワノフ(Сергей Борисович Иванов,Sergei Borisovich Ivanov、1953年1月31日 - )は、ロシアの政治家。ロシア最初の文民国防相。プーチン政権とともにロシア政界に台頭した「シロビキ」と言われる旧ソ連国家保安委員会(KGB)など治安当局や軍の出身者を中心とする武闘派の代表格。予備役大将。
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[編集] 経歴
[編集] 出自
1953年1月31日、ソビエト連邦・ロシア・ソビエト社会主義共和国のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)に生まれる。同期にウラジーミル・プーチンがおり、プーチンとイワノフは、同郷でレニングラード大学同窓でもある。1975年、レニングラード大学文学部を卒業。
[編集] KGB
1976年、KGBミンスク高等課程を修了し、KGBレニングラード局で勤務。その後、KGB第1総局(対外諜報)に移り、第101学校を卒業。1981年、二等書記官として駐ロンドン・ソビエト大使館に勤務したが、1983年、スパイ容疑で国外追放。その外、KGBでは、フィンランド、ケニアで対外諜報活動を行っていた。
ソ連崩壊後は、KGBの解体に伴い、ロシア対外情報庁(SVR)に移り、プーチンがロシア連邦保安庁(FSB)長官に就任すると、1998年8月、FSB次官/分析・予測・戦略計画部長に登用された。
[編集] 政治家
以後、プーチンと共に出世し、プーチンがボリス・エリツィン大統領の代行職に就任した1999年11月には安全保障会議書記に任命され、プーチンが大統領になった2001年3月には国防相に任命された。旧ソ連時代も含めて、トロツキーを除き、ロシアでは、陸相・海相・国防相は軍人が務めていたが、イワノフは、史上初の文民の国防相である(KGB職員は軍人だが、2000年11月に予備役に編入されていた)。国防相としては、ロシア軍にこれまでの徴兵制を改め、志願制を導入し、人員の削減による質的向上を図ろうとしている。また、巡航ミサイルを中心とする戦略兵器の削減に意欲的であるとされる。
北朝鮮が核兵器保有宣言をしたことに対して、イワノフは、2005年2月13日、ドイツのミュンヘンで開かれた閣僚会議でロシアを代表して演説し、北朝鮮の選択は誤りであると批判した。同時に北朝鮮に核拡散防止条約(NPT)に留まり、6カ国協議に戻るように求めた。
2005年11月14日から副首相(安全保障担当)を兼務する。
2007年2月15日、第一副首相(専任)に昇格し、軍事産業だけではなく、民間経済も担当する。
イワノフは大統領補佐官のヴィクトル・イワノフとともに、プーチンの側近中の側近であり、同格となったドミトリー・メドヴェージェフ第一副首相とともにプーチンの大統領任期が切れた後の有力な後継候補と目されている。
[編集] パーソナル
妻帯、2児を有する。英語、スウェーデン語を話す。余暇は釣りと散歩で過ごす。原語で探偵小説を読むのを好む。
なお、ソ連時代からの政治エリートでありながら、10代の頃には当時禁制であったビートルズのファンであった事を2003年にポール・マッカートニーが赤の広場で行ったコンサートの際にインタビューで答え、このコンサートにもプーチン大統領と伴に来場した。
二等「祖国に対する貢献に対する」勲章、「国家の国防能力と安全の強化への大きな個人的貢献に対する」勲章、カザフスタンの「ドストゥイク」(友好)勲章を受章。
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