ダイタクリーヴァ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1997年3月24日 |
死没 | - |
父 | フジキセキ |
母 | スプリングネヴァー |
生産 | 雅牧場 |
生国 | 日本(北海道平取町) |
馬主 | 太陽ファーム |
調教師 | 橋口弘次郎(栗東) |
競走成績 | 19戦7勝 |
獲得賞金 | 4億243万9千円 |
ダイタクリーヴァは日本の競走馬である。半弟は中長距離重賞で活躍し天皇賞(春)3着など重賞3勝のダイタクバートラム、伯父にマイルチャンピオンシップ2勝したダイタクヘリオスがいる。
[編集] 戦績
デビューは1999年の11月で、当時笠松所属だった安藤勝己を鞍上に勝利を挙げる。この時4馬身の差をつけた2着馬は、後の海外GI馬のエイシンプレストンであった。次走の白菊賞(500万下条件戦)は2着だったものの、北九州3歳ステークス(平年開催では中京3歳ステークスにあたる)に勝利すると、明けて2000年のシンザン記念、スプリングステークスと3連勝を飾る。そして皐月賞では1番人気に支持されるもエアシャカールのクビ差2着に敗れる。一度はNHKマイルカップに進むと発表されたが最終的に東京優駿(日本ダービー)に出走する。2番人気に支持されたが、距離延長で全く動けず12着と初めての惨敗を喫す。
秋はマイル路線に目標を定め、富士ステークスで3着に入ったあと、マイルチャンピオンシップに駒を進めるが、当日のレースで主戦騎手だった高橋亮が落馬負傷し、急遽空いていた安藤勝己に乗り替わる事が発表されてから急に人気が上がり最終的に1番人気となる珍事もあった。レースも内からすくう騎乗だったが、ゴール前でアグネスデジタルの強襲に遭い、2着惜敗。次走の鳴尾記念では松永幹夫に乗り替わって勝利、翌2001年の京都金杯ではアグネスデジタルに雪辱を果たすが、次走の中山記念で3着に敗れ、その後左前脚の骨折が発覚する。
復帰した同年の秋は前年と同じローテーションで臨み、河内洋を鞍上に迎え、まず富士ステークスで2着。マイルチャンピオンシップではまたもや1番人気に推されるが、スタートで出遅れ、4コーナーも大外を回るロスが響き9着と惨敗。鳴尾記念では武豊の騎乗で2着に入り、翌2002年の京都金杯を史上初となる連覇で勝利する。しかしその後は精彩を欠き、安田記念17着惨敗後、レース中に屈腱断裂していた事が発覚し、引退を余儀なくされた。その後、フジキセキの後継種牡馬として門別町のブリーダーズスタリオンステーションに繋養されている。なお、本馬はサンデーサイレンスの孫で、種牡馬入り第1号でもある。
[編集] 主な重賞勝鞍
- 2000年1月9日:シンザン記念(GIII)
- 2000年3月19日:スプリングステークス(GII)
- 2000年12月10日:鳴尾記念(GIII)
- 2001年1月5日:京都金杯(GIII)
- 2002年1月5日:京都金杯(GIII)
ダイタクリーヴァの血統 サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/ネヴァービート 4×3=18.75%、Nasrullah 5×5=6.25% | |||
父
フジキセキ 1992 青鹿毛 |
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ミルレーサー Millracer 1983 鹿毛 |
Le Fabuleux | Wild Risk | |
Anguar | |||
Marston's Mill | In Reality | ||
Millicent | |||
母
スプリングネヴァー 1992 栗毛 |
サクラユタカオー 1982 栗毛 |
* Tesco Boy | Princely Gift |
Suncourt | |||
アンジェリカ | * Never Beat | ||
スターハイネス | |||
ネヴアーイチバン 1971 黒鹿毛 |
* Never Beat | Never Say Die | |
Bride Elect | |||
ミスナンバイチバン | * Harroway | ||
* Style Patch F-No.8-g |
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