チョウカイキャロル
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性別 | 牝 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1991年3月26日 |
死没 | (現役繁殖牝馬) |
父 | ブライアンズタイム |
母 | ウイットワタースランド |
生産 | 谷川牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 新田嘉一 |
調教師 | 鶴留明雄(栗東) |
競走成績 | 12戦4勝 |
獲得賞金 | 2億5909万2000円 |
チョウカイキャロル(1991年 - )は日本の競走馬。ブライアンズタイムの初年度産駒の1頭であり、1994年の優駿牝馬(オークス)で優勝した。
※馬齢は旧表記で統一する。
[編集] 戦績
1994年1月の新馬戦(ダート1800m)でデビューし、大差勝ちを収める。次走セントポーリア賞(500万条件)は後の天皇賞馬オフサイドトラップの2着。初重賞となったフラワーカップで3着に敗れたことで本賞金を加算できず、桜花賞を断念し「残念桜花賞」こと忘れな草賞に出走、4馬身差で圧勝する。優駿牝馬(オークス)では前走の内容から桜花賞馬オグリローマンに次ぐ2番人気に支持され、好位抜け出しの強い競馬でゴールデンジャックを3/4馬身抑えて優勝、GI勝ちを飾る。
休養を挟んだ秋はサファイヤステークス2着の後エリザベス女王杯へと出走。当時の規定で外国産馬であったが為にクラシックに出走できず、裏街道で勝ち星を重ねトライアルも連勝したヒシアマゾンと激しい叩き合いを演じほぼ同時にゴール板を駆け抜けた。長い写真判定の末、僅か3センチの差でヒシアマゾンの2着に敗れる。
この後は1995年3月の中京記念に勝ち、5月の京阪杯では直後に宝塚記念を制するダンツシアトルの2着と牝馬としては悪くないレースを続けたが、宝塚記念12着の後に真菌性喉のう炎という病気を発症していることが判明し休養、そのまま引退した。繁殖馬としてはまだこれといった活躍馬は出ていない。
主戦騎手は小島貞博だったが、当時は師匠の戸山為夫調教師の死去による厩舎解散、後を継いだ森秀行調教師の騎乗方針変更で小島の騎乗機会は激減してしまっていた。そこで兄弟子である鶴留調教師が小島に声を掛け、チョウカイキャロルに騎乗することになった。この成功が後にタヤスツヨシでの当時JRAタイ記録の日本ダービー二勝目に繋がることになる。
[編集] 主な勝ち鞍
- 優駿牝馬(オークス)(GI)
- 中京記念(GIII)
[編集] 血統表
チョウカイキャロルの血統 (ヘイルトゥリーズン系)/Nashua4×4=12.50%) | |||
父
*ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
母
*ウイットワタースランド Witwatersrand 1981 鹿毛 |
Mr.Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Sleek Belle 1972 鹿毛 |
Vaguely Noble | *Vienna | |
Noble Lassie | |||
Sleek Dancer | Northern Dancer | ||
Victorine F-No.9-f |
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